
ジェラール・ド・ネルヴァルの作品は、彼の死の直後からずっとバイアスがかかって読まれ、現在でも狂気や幻想と結び付けて解釈されることが多い。
その原因として、2度か3度精神病院に入ったことがあり、最後はパリの場末の街角で首をつって死んだこともあるだろう。しかしそれ以上に、彼の代表作の一つとされる「オーレリア」が狂気の体験を語ったものであり、超自然な幻想に満ちていると見なされることに由来している。
その影響で、非常に明晰に構成されたもう一つの代表作「シルヴィ」までも、幻想的で、錯綜し、混乱した作品といった感想を抱く読者がいたりもする。
しかし、ネルヴァルは第1に作家・詩人であり、自らの体験を告白するにしても、膨大な知識を踏まえた上で、ユーモアとアイロニーを忘れることなく、読者の期待の地平を超える作品を生み出そうとした。
狂気が引き起こす幻影を描くとしたら、それは、例えばボードレールが麻薬による幻影を詩的創造の源泉としたのと同じであり、現実を超越したイメージを使い詩的作品を創造するために他ならない。
「オーレリア」と同時期に発表された「散歩と思い出」は、非現実的な次元に向かうことなく、身近な出来事と思い出を構成することで、散文による詩情を発散している。
「オーレリア」が目指すのは、自己の内面を見つめ、魂の働きをたどりながら、ポエジーを生み出すことだと考えられる。
ここでは、バイアスのかからない目で、「オーレリア」を読んでみよう。
前半は、「パリ評論」の1855年1月1日号に発表され、後半は1月26日のネルヴァルの死後、2月1日号に同じ雑誌に掲載された。

