
ジェラール・ド・ネルヴァルの作品は、彼の死の直後からずっとバイアスがかかって読まれ、現在でも狂気や幻想と結び付けて解釈されることが多い。
その原因として、2度か3度精神病院に入ったことがあり、最後はパリの場末の街角で首をつって死んだこともあるだろう。しかしそれ以上に、彼の代表作の一つとされる「オーレリア」が狂気の体験を語ったものであり、超自然な幻想に満ちていると見なされることに由来している。
その影響で、非常に明晰に構成されたもう一つの代表作「シルヴィ」までも、幻想的で、錯綜し、混乱した作品といった感想を抱く読者がいたりもする。
しかし、ネルヴァルは第1に作家・詩人であり、自らの体験を告白するにしても、膨大な知識を踏まえた上で、ユーモアとアイロニーを忘れることなく、読者の期待の地平を超える作品を生み出そうとした。
狂気が引き起こす幻影を描くとしたら、それは、例えばボードレールが麻薬による幻影を詩的創造の源泉としたのと同じであり、現実を超越したイメージを使い詩的作品を創造するために他ならない。
「オーレリア」と同時期に発表された「散歩と思い出」は、非現実的な次元に向かうことなく、身近な出来事と思い出を構成することで、散文による詩情を発散している。
「オーレリア」が目指すのは、自己の内面を見つめ、魂の働きをたどりながら、ポエジーを生み出すことだと考えられる。
ここでは、バイアスのかからない目で、「オーレリア」を読んでみよう。
前半は、「パリ評論」の1855年1月1日号に発表され、後半は1月26日のネルヴァルの死後、2月1日号に同じ雑誌に掲載された。
オーレリア 夢と生
第1章

「夢」は第二の生である。私は身を震わせることなしに、目に見えない世界から私たちを引き離している、象牙あるいは角の扉を通過することができなかった。眠りの最初の数瞬は死をイメージさせる。混沌とした麻痺が思考を捉えるため、私たちは、「自己」が別の姿をして生の活動を続ける瞬間を、正確に定めることができない。ぼんやりとした地下世界があり、徐々に明るくなる。影と夜から、青白い姿が浮かび上がってくる。それらの姿はじっとして動かず、煉獄の住まいに暮らしている。次いで、情景が形作られ、新しい光が奇妙な亡霊たちを照らし、活動を始めさせる。—— 「精霊たち」の世界が、私たちに開かれるのだ。
スウェーデンボルグはそうした映像を「メモラビリア(記憶すべきこと)」と呼び、眠りよりも夢想によって引き起こされることが多いと考えた。アプレウスの『黄金の驢馬』とダンテの『神曲』は、人間の魂を研究する詩的モデルである。私も彼らに倣い、長く続いた病気の印象を書き移そうと思う。その病は完全に、私の精神の神秘の中で起こったことだった。—— だが、どうして病気という言葉を使うのか、自分でもわからない。というのも、私に関する限り、あの時ほど自分が健康だと思ったことは決してなかったからだ。時に体力や行動力が倍増するように感じた。全てを知り、全てを理解しているように思った。想像力が数限りない甘美なものをもたらしてくれた。人々が理性と呼ぶものを取り戻した後、それらを失ってしまったことを、後悔しなければならないのだろうか?・・・
注:
この冒頭の一節は『オーレリア』全体の序文となっている。
ネルヴァルは最初に、夢や病気(狂気と言わないのは表現を弱めるため)の間に彼が体験したことは、第一の生である現実の人生に対して、第二の生だと宣言する。
その二つの生は、覚醒時と睡眠時、生と死、理性と狂気(病気)といった様相で捉えられるが、現実と対立する次元のものは、すべて「精神の神秘」の中で起こっていることだと考える。
(19世紀後半であれば、「無意識」という言葉が使われたかもしれない。)
想像力は、そこで起こったことを描き出す力。
「煉獄」「亡霊」「精霊」などといった言葉は、理性に統制された目に見える現実世界と区別するために使われている。
第二の生の中で生成するイメージを文学作品として定着させたモデルとして、スウェーデンボルグの「メモラビリア(記憶すべきこと)」、アプレウスの『黄金の驢馬』、ダンテの『神曲』が挙げられる。
「オーレリア」は、それらの古典に倣い、「人間の魂の研究」であり、散文で書かれた「詩」作品ということになる。

この「新生」は、私にとって、二つの相を持っていた。以下は、最初の相と関係していることを書き留めたものだ。—— 私は一人の女性を長い間愛していた。これから彼女をオーレリアという名前で呼ぶことにしよう。私はその女性を失ってしまったのだった。その出来事が起こった状況は重要ではないが、私の人生にとって非常に大きな意味を持つことになった。人は誰しも、思い出の中で最も心を傷つける動揺を探すことがある。魂の上に運命によって打ち下ろされる、ひどく恐ろしい一撃。そんな時には、生きるか死ぬか決心しなければならない。ーー なぜ私が死を選ばなかったのかは、後から話すことにしよう。愛する女性から断罪され、もはや許しを期待できない罪で有罪になり、私に残されているのは、卑俗な酔いに身を投じることだけだった。楽しんでいたり、気にしないような風を装い、世界を駆け巡り、様々な違いや気まぐれに気が狂うほど夢中になった。とりわけ、遠い国の人々の奇妙な服や風俗が好きだった。そんな風にして、善悪の条件を変化させたように思っていた。こう言ってよければ、私たちフランス人にとっての「感情」というものに関する用語を移動させたように思っていた。—— 「なんという狂気だろう。」と私は思った。「愛してくれない女性をプラトニックな愛でこれほど愛するなんて。こんなことは読書のせいだ。詩人たちが発明したことを真面目に受け取ってしまったのだ。今の時代のどこにでもいる女性を、ラウラやベアトリーチェにしてしまったのだ・・・。別の恋をしよう。そうすれば、彼女などすぐに忘れるだろう。」 —— イタリアの町の陽気なカーニヴァルで頭がクラクラし、私の憂鬱な考えはみんな追い払われてしまった。気持ちが楽になったのを感じ、あまりにも幸せだったので、友だちみんなに喜びを伝えた。手紙の中で、熱に浮かされた興奮状態に他ならないものが、私の精神の通常の状態だと書いたりもした。

ある日、その町に、一人の高名な女性がやって来た。彼女は私に友情を示してくれた。そして、愛されたり、相手を幻惑することに慣れているので、何の苦もなく、私を彼女の信奉者たちの集まりに連れていった。ある夜会で、彼女はとても自然で、全ての男たちがやられてしまうような魅力を撒き散らしていた。その夜会の後、私は彼女に夢中になっているように感じ、すぐに手紙を書きたいという気持ちを抑えることができなかった。新しい恋愛ができる心を感じ、とても幸せだった!・・・わざと熱狂しながら、ほんの少し前に使った言い回しを借用した。長い間感じてきた真実の愛を描くために使った言い回し。手紙を出した後、できれば手紙を取り戻したいと望んだ。一人になり、自らの思い出を冒瀆するのではないかなどと、ぼんやり考えていた。
夜になると、新しい恋に前日の威厳が戻ってきた。彼女は、私が書いたことに心を動かされた様子を見せたが、私が突然熱を上げたことに何かしら驚いてもいた。一人の女性に対して誠実を装いながら普通に抱くことができる感情の階段を、私は一日のうちに数段飛び超えてしまったのだ。彼女は驚いたけれど、自慢でもあると告白してくれた。私は彼女を説得しようと試みた。しかし、どんなことを言おうとしても、話をしながら、手紙の文章の調子を取り戻すことができなかった。そのために、彼女を騙すことになったのは、自分自身が間違えたためだと、涙ながらに白状せざるをえなかった。その告白は心を震わせながらのものだったので、なんらかの魅力を持っていた。そこで、穏やかな友情が、恋愛の空しい叫びに続くことになった。