ネルヴァル 『オーレリア』 Gérard de Nerval Aurélia コレスポンダンスと詩的散文

ジェラール・ド・ネルヴァルは、何度か精神の病に襲われ、最後は自ら死を選んだ。そのために、現在でも狂気と幻想の作家と呼ばれることがある。そして、そうしたレッテルがあるために、彼の作品は特定の色眼鏡を通して読まれ、理解が妨げられる傾向にある。

ネルヴァルは、若い時代から韻文詩を書いていた。その中で、詩法の規則に従い、音節数や韻を踏んでさえいれば、それだけで詩といえるのかどうか問いかけるようになった。その結果、散文でも詩情(ポエジー)を生み出すことができるのではないかと考えた。

彼が目指したのは、後にボードレールがするように、ジャンルとしての「散文詩」を作ることではなかった。散文というジャンルの中で、詩的散文(écriture poétique)により、詩情(ポエジー)を生み出すことだった。

このことは、ネルヴァルが何度か精神病院に収容され、最晩年の1855年に発表された『オーレリア』の中では、いかにも自伝のように見える作品の中で、狂気の体験について語っていることもあり、なかなか理解されてこなかった。
しかし、特定の偏見なしに彼の文章を読むと、ネルヴァル的散文の美を感じ取ることができるようになる。

ここでは、『オーレリア』の第2部6章の中で語られる、「私(je)」が精神病院で日々を過ごしている時の一節を読み、ネルヴァルが何を表現しようとしたのか見ていこう。

精神の神秘と詩的散文

『オーレリア』の冒頭で、ネルヴァルは自分の試みを、次のように書いている。

Je vais essayer, à leur exemple, de transcrire les impressions d’une longue maladie qui s’est passées tout entière dans les mystères de mon esprit.

私は、彼等の例にならって、長い病の印象を書き写すことを試みよう。その病は全て、私の精神の神秘の中で起こったものだった。

私たちの精神は、全てが意識化できるわけではなく、自分でもわからないことがよくある。狂気は、そうした神秘の中で起こる。意識的な自己が統制できないもう一つの自己があり、その自己が自由に活動する。

その状況は、夢の世界を考えると、誰にでも思い当たることだろう。
夢の中では、自分では何もコントロールできないまま、現実で考えられないことが次々に起こる。どんなに抵抗しようとしても、決して止めることはできない。
しかも、出来事と自分との間に距離がなく、全てが現実以上にリアルに感じられる。逃げても逃げても、逃げ切ることはできない。

ネルヴァルはそうした精神の状態を神秘(mystères)と呼び、その中で体験した思い出を書き写していく。

Domenico di Michelino, Dante

モデルとするのは、古代の作家アプレウスやイタリアの大詩人ダンテ。そして、神秘主義的なスウェーデンボルグ。
彼等の著作をネルヴァルは、「人間の魂の研究の詩的モデル(modèles poétiques des études de l’âme humaine)」と呼ぶ。

その3つの作品は、『オーレリア』が単に狂気の体験を記述した臨床的な記録ではなく、詩的作品であることを明かしている。
人間の魂の神秘を描き、詩情(ポエジー)を生み出す散文。
それが「オーレリア」なのだ。

コレスポンダンス 

『オーレリア』の後半(第2部6章)、精神病院に収容された「私(je)」の様子が語られる。

Je m’imaginai d’abord que les personnes réunies dans ce jardin avaient toutes quelque influence sur les astres, et que celui qui tournait sans cesse dans le même cercle y réglait la marche du soleil. Un vieillard, que l’on amenait à certaines heures du jour et qui faisait des nœuds en consultant sa montre, m’apparaissait comme chargé de constater la marche des heures. Je m’attribuai à moi-même une influence sur la marche de la lune, et je crus que cet astre avait reçu un coup de foudre du Tout-Puissant qui avait tracé sur sa face l’empreinte du masque que j’avais remarquée.

  私が最初に想像したのは、この庭に集まっている人々は、全員が、星々に対してある影響力を持っているということだった。絶えず同じ輪の中を回っているあの男は、太陽の動きを制御しているのだろう。一人の老人は、日中のある数時間ここに連れてこられ、腕時計を見ながら結び目を作っているのだが、彼は、時間の進行を確認する役割を担っているように思われた。私は自分自身に、月の進行に影響を与える力を付与した。そして、こう信じた。月は全能の神の雷の一撃を受け、表面には仮面の痕跡が引かれている。私はその痕跡をかつて見た事があった。

Vincent van Gogh, Hôpital Saint-Paul à Saint-Rémy

精神病院の庭で、ある男は一カ所でぐるぐると回り、別の男は腕時計を見ながら、何やら結び目を作っている。そうした光景は、病院の中では特別なことではないだろう。

ネルヴァルは、そうした狂人たちが不思議な力を持つように感じている。ぐるぐると回る行動は、太陽の動きを司る。結び目は時間の進行の印。
それは、地上と天上が目に見えない繋がりで連動していると感じ取ることであり、交信つまりコレスポンダンスについて語っていることになる。

「私(je)」は、月の進行を司る力があるように感じていた。
その月には、仮面のような描線が引かれているように見える。それは、全能の神(le Tout-Puissant)が雷を一撃振りおろした痕跡なのかもしれない。

こうした記述は、狂人の空想でしかなく、馬鹿げている、と考えることもできる。確かに、目に見える現象だけを見れば、正気ではない行動に関して、正気とは思えない考察を行っている、と見なされてもしかたがない。

しかし、精神の神秘(mystères de mon esprit)」の中では、目に見える現象を超えた何かが起こっているかもしない。
例えば、この庭を神話の世界だと考えてみれば、太陽の神、時間の神、月の神がいるのは、ごく普通のこと。
神話を人間の精神が作り出した物語だと考えれば、「私」はここで新しい神話を作り出し、自分に月の神の役割を与えたということもできる。
ネルヴァルが試みているのは、「人間の魂の研究(études de l’âme humaine)」なのだ。

「オーレリア」の語り手は、病院で交わされる会話に神秘的な意味があると考えたり、世界全体のシステムに何か誤りが生じ、そこから人間世界の悪が始まったと考えたりする。
「私」の役割は、「カバラの秘術によって宇宙の調和を回復し(rétablir l’harmonie universelle par l’art cabalistique)」、「様々な宗教の隠れた力を呼び起こして(en évoquant les forces occultes des diverses religions)」、解決策を見つけることだと思ったりする。

夕方、病院の中を散歩する時、「私」の想像力が活発に働き、意識は、現実から空想へとスムーズに移行する。

Je me promenai le soir plein de sérénité aux rayons de la lune, et, en levant les yeux vers les arbres, il me semblait que les feuilles se roulaient capricieusement de manière à former des images de cavaliers et de dames portés par des chevaux caparaçonnés. C’étaient pour moi les figures triomphantes des aïeux. Cette pensée me conduisit à celle qu’il y avait une vaste conspiration de tous les êtres animés pour rétablir le monde dans son harmonie première, et que les communications avaient lieu par le magnétisme des astres, qu’une chaîne non interrompue liait autour de la terre les intelligences dévouées à cette communication générale, et les chants, les danses, les regards, aimantés de proche en proche, traduisaient la même aspiration. La lune était pour moi le refuge des âmes fraternelles qui, délivrées de leurs corps mortels, travaillaient plus librement à la régénération de l’univers.

 夕方、散策をする時には、月の光の下で、静謐な気持ちで一杯だった。木々の方に目を上げると、木の葉が気まぐれに丸まり、飾り立てた馬に乗った騎士や貴婦人たちの姿のようだった。それらは私にとって、祖先たちの勝ち誇った姿だった。こんな風に考えていると、さらに、次の考えが浮かんだ。生き物全てが巨大な共謀を企画し、世界を原初のハーモニーの中で再建しようとしている。様々な交流が、星々の磁気を通して行われている。途切れることのない鎖が地球のまわりを取り囲み、全てのものが交信するように、知的な存在を結びつけている。そして、歌、ダンス、視線が、徐々に磁気を帯び、同じ望みを表現している。私にとって、月は、友愛に満ちた魂の隠れ家だった。その魂たちは、死すべき肉体から解放され、より自由になって、宇宙が再生するために活動していた。

Vincent van Gogh, Le jardin de l’Hôpital Saint-Paul

この一節は、散文でありながら、詩情(ポエジー)に溢れている。
月の照らされた庭を散策し、木の葉を見ると、様々な形をしている。その様子を、木の葉の「気まぐれ(capricieusement)」と感じるところから、視覚を通した外的世界を離れ始め、空想の世界へと入り込んでいく。

木の葉の作る姿が中世の馬上の騎士や婦人たちに見え、そこから祖先の姿を思い起こす。
さらに、空想はそこに留まることなく、世界の創造神話へと羽ばたく。
原初のハーモニーの中で、天空の星々が交信し、歌い、踊り、視線を交わす。宇宙全体が調和し、天空の音楽を奏でる。
こうした雄大で、大変に美しいイメージが、音楽的な散文によって描き出される、詩情(ポエジー)が発散する。

先ほどは、全能の神の雷によって正面に仮面の痕を付けられたとされた月も、ここでは、愛しい魂たちの隠れ家とされている。
その魂たちは、肉体から解放され、宇宙の再生のために力を尽くす。

この一節では、現実から空想へと自然に移行するネルヴァルの想像力の動きが、壮大なスケールでこの上もなく美しいイメージを描き出している。

こうした感覚は至福の瞬間ではあるが、しかし意識に支配された現実感覚とずれていることも確かである。
「私」はそのズレを、時間のズレとして感知する。「私」の時間と他の人々の時間が2時間ずれ、朝起きてもみんなはまだ眠っている。彼等の姿は、地獄の亡霊のようだ。

そうした状況を「私」は、「イニシエーションの試練(épreuves de l’initiation)」であると捉える。

Du moment que je me fus assuré de ce point que j’étais soumis aux épreuves de l’initiation sacrée, une force invincible entra dans mon esprit. Je me jugeais un héros vivant sous le regard des dieux ; tout dans la nature prenait des aspects nouveaux, et des voix secrètes sortaient de la plante, de l’arbre, des animaux, des plus humbles insectes, pour m’avertir et m’encourager. Le langage de mes compagnons avait des tours mystérieux dont je comprenais le sens, les objets sans forme et sans vie se prêtaient eux-mêmes aux calculs de mon esprit ; — des combinaisons de cailloux, des figures d’angles, de fentes ou d’ouvertures, des découpures de feuilles, des couleurs, des odeurs et des sons, je voyais ressortir des harmonies jusqu’alors inconnues. — Comment, me disais-je, ai-je pu exister si longtemps hors de la nature et sans m’identifier à elle ? Tout vit, tout agit, tout se correspond ; les rayons magnétiques émanés de moi-même ou des autres traversent sans obstacle la chaîne infinie des choses créées ; c’est un réseau transparent qui couvre le monde, et dont les fils déliés se communiquent de proche en proche aux planètes et aux étoiles. Captif en ce moment sur la terre, je m’entretiens avec le chœur des astres, qui prend part à mes joies et à mes douleurs !

  私は神聖な秘儀の試練を受けている。そのことをこれほどまではっきりと確信した時、不屈の力が心の中に入ってきた。自らを神々の眼差しの下で生きる英雄だと見なした。自然の中のあらゆるものが新しい姿を取った。秘密の声が、葉や木、動物、最も慎ましい昆虫から発し、私に忠告を与え、私を勇気づけた。仲間たちの言葉は神秘的な言い回しだったが、私はその意味を理解した。形も命もない事物が、それ自体で私の心の計算のままになった。— 小石の結合、角や隙間や開いたものの形、葉のギザギザ、色彩、香り、音、それら全てから、その時まで知らなかったハーモニーが湧き出てくるのが見えた。— どうやって、と私は自分に呟いた、これほど長い間自然の外で、自然と一体化せずに、生きることができたのだろう。全ては生き、全ては動き、全ては対応する。私から、あるいは他の人々から発する磁気の光が、障害物もなく、創造された事物の無限の鎖を横切っている。透明の網が地球を包み、鎖のほどけた糸が惑星や星々に徐々に近づき、互いに交信している。この瞬間、私は地上に囚われながらも、惑星のコーラスと対話している。そのコーラスが私の喜びや苦しみに加担しているのだ。

狂気の体験は、正気に戻った時には、苦痛でしかない。心を激しい痛みが突き刺す。その苦しみに打ち勝つためには、苦しい痛みを引き起こしたのが、神聖な通過儀礼(イニシエーション)の試練だったのだと納得するしかない。
その認識に至った時、「私」の前に、コレスポンダンスの世界が広がる。

その世界では、現実が意識によって捉えられる現象と、目には見えない神秘(mystère)的と感じられる何かが、対応している。
そこでは自然全体が命を持つ。全てのものは意味があり、調和に満ち、ハーモニーを奏でる。そして、「私」に語りかけ、勇気づけてくれる。

そうした自然の外で生きることなどできないはずなのに、自然と人間を分離させ、人間だけが特別な存在であると考えることがある。
しかし、と「私」は言う。どうやってこれほど長い間、自然の外(hors de la nature)で、自然と一体化せず(sans m’identifier à elle)に、生きることができたのだろうか、と。
そう自問した時、次の確信に達する。

Tout vit, tout agit, tout se correspond.

この言葉こそ、「人間の魂の研究」の結論であり、その詩的な表現だ。
精神の神秘は、「全ては生き、全ては動き、全ては対応する」と言う、この10音節の詩的散文に要約される。

ネルヴァルにとって、コレスポンダンスは、地上と天上、人間と星の対応というだけではなく、地上の全ての存在、人間も含めた自然全てが生命を持ち、互いに交信することなのだ。

韻文詩「黄金詩篇(Vers dorés)」の中で、彼はこう記したことがある。

Chaque fleur est une âme à la Nature éclose

一本一本の花は、自然の中で開花する魂。

Vincent van Gogh, Jardin fleuri à Arles

自然全てが命を持ち、一つ一つは自然の中で開く一つの花。
だからこそ、全ては生き、そして互いに響き会う。コレスポンダンスの響きが美しいハーモニーになる。

ネルヴァルの魂にはこうした神秘が潜んでいる。
この神秘は決して現実と無関係だったり、反現実なことではない。現象的な現実を含むより大きな現実が存在している。一般的な感覚では、それを神秘と感じるにすぎない。

神秘が韻文で表現されることもあれば、散文で表現されることある。そのどちらであろうと、それを表現するネルヴァルの言葉はハーモニーを奏で、ポエジーを生み出す。
そのポエジーが、私たちの内部の琴線と共鳴し、私たちの内部に美の感覚を生み出す。

ネルヴァルの上に張られた狂気や幻想というレッテルを通さず、彼の言葉に素直に耳を傾ければ、こうした彼の言葉の美を感じ取ることができるだろう。

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