高橋虫麻呂 奈良時代の異邦人 『万葉集』 孤独なホトトギスのあはれ

高橋虫麻呂(たかはしの むしまろ)は、生没年不詳だが、『万葉集』に長歌と反歌(短歌)あわせて三十五首が収められており、奈良時代初期の歌人と考えられている。

彼の歌には、地方の伝説を題材としたものもあり、「水之江の浦の島子を詠む一首」と題された長歌は、浦島太郎伝説の最古の形を伝えるものとして、きわめて興味深い。
浦島物語 奈良時代 神仙思想

その一方で、「霍公鳥(ほととぎす)を詠んだ一首と短歌」のように、人間のあり方を主題とした歌もある。
ほととぎすは、鶯(うぐいす)など他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に育てさせる「託卵(たくらん)」という習性をもつ。高橋虫麻呂は、そのほととぎすを題材に、アンデルセンの童話『醜いアヒルの子』(1843年)よりも約千年前に、周囲から孤立した存在の姿を描き出している。

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柿本人麻呂 飛鳥時代の抒情 失われたものへの愛惜を詠う

『万葉集』を代表する歌人である柿本人麻呂は、あえて時代錯誤的な表現を用いるなら、日本で最初の抒情詩人といっていいかもしれない。実際、人麻呂の和歌には、時間の流れに運ばれて失われていくものへの愛惜を美しく表現したものが数多くあり、現代の私たちが読んでも心にすとんと落ちる情感が詠われている。

そのことを最もよく示しているのが、「かえり見る」という姿勢である。そして、振り返るとともに甦ってくる「いにしえ」に思いを馳せるとき、そこに「悲し」の情感が生まれ、飛鳥時代から現代にまで繫がる日本的な抒情が、美として生成される。

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日本における漢字の導入と仮名の発明 2/4 『古事記』『万葉集』の漢字表記

(4) 『古事記』

日本最古の文字資料として現在まで残っているのは、712年に編纂された『古事記』。
720年に編纂された『日本書記』が正規の漢文で書かれているのとは異なり、『古事記』は日本語を漢字で表記したものであり、当時の日本語がどのような状態で書き記されていたのかを教えてくれる。

日本において漢字の存在が確認できる最初の証拠は、1世紀頃の「漢委奴国王」の金印。漢字が日本語の表記文字として使われ始めたことが確認できる隅田八幡神社の銅鏡が制作されたのは、5世紀から6世紀。その時期からでさえも200年以上経過した8世紀において、漢字を使い日本語を書き記す作業がいかに難しく、一貫した規則が定まっていなかったかを、『古事記』の文字表現は今に伝えている。

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『万葉集』を通してみる日本的感受性

『万葉集』に収められた和歌は、飛鳥時代から奈良時代にかけての日本的感性がどのようなものだったかを教えてくれる。

当時の日本人の心は、次の時代と共通する一つの一つの表現法を持っていた。
それは、『古今和歌集』の「仮名序」で、「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」と言われるように、心の中の思いを「見るもの聞くもの」という知覚対象に「つけて」、つまり「託して」、表現するという方法。

他方、そこで表現された心のありさまは、平安時代の『古今和歌集』の和歌によるものとはある違いがある。
時の経過、季節の移り変わりから現実の生の空しさを感じ取ることは共通しているのだが、その事実に対する感じ方が同じというわけではなかった。

法隆寺が創建され、大化の改新が行われ、『古事記』や『日本書紀』で大和朝廷が神話によって自らの正当性を確立しようとしていた時代、人々はどのような心を持ち、何をどのように感じていたのだろうか?

(1)「心もしのに」から「うら悲し」へ

まず最初に、初期の歌人である柿本人麻呂と後期を代表する大伴家持の句を読んでみよう。

近江(あふみ)の海(み) 夕波千鳥(ゆふなみちどり) 汝(な)が鳴けば 心もしのに 古(いにしへ)思ほゆ  (柿本人麻呂)

春の野に 霞(かすみ)たなびき うら悲し この夕かげに 鶯(うぐいす)鳴くも (大伴家持)

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浦島物語 奈良時代 神仙思想

浦島太郎の話は、私たちが親しんでいる昔話としては、最も古いものの一つ。
奈良時代に編纂された『日本書紀』や『万葉集』の中で、すでに原形となる物語が語られている。
ところが、奈良時代の物語では、亀を助ける話はなく、浦島が向かう先は仙人の住む理想郷だとされている。

平安時代になると、浦島が向かった先での出来事が詳しく語られる。
室町時代から江戸時代前期には、亀を助けた話が語られ始める。他方、地上に戻った浦島を待つのは老いや死ではなく、鶴への変身。
明治時代になり、教科書に採用され、亀の恩返し、竜宮城、乙姫等、私たちがよく知る物語として定着した。

こうした約800年に渡る浦島物語の変遷を辿るために、まず奈良時代における浦島の物語が何を伝えようとしているのか見ていこう。

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雲雀 万葉集の和歌とトゥルバドゥールの詩を通してみる日仏の美的感性

雲雀が出てくる日本とフランスの詩を比べ、二つの国の感受や思想の違いを垣間見ていこう。

一つは、『万葉集』に収録されている、大伴家持(おおとも の やかもち、718年頃~785年)の句、「うらうらに」。

もう一つは、12世紀南フランスのトゥルバドゥール、ベルナール・ド・ヴァンタドゥールBernard de Ventadour、1145-1195)の「陽の光を浴びて雲雀が」。
トゥルバドゥールとは、ラング・ドックと呼ばれる南フランスの言語を使い、新しい恋愛の概念を生み出した、作曲家・詩人・音楽家。ヴァンタドゥールは、その代表的な詩人の一人である。

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