ポール・ヴァレリー ”自己を見る自己”を見る詩人 1/2 精神の転調と美

ポール・ヴァレリーは、マルセル・プルーストと同じ1871年に生まれた。そのことは、彼らの青春時代が19世紀後半にあり、世界観や芸術観の大転換の時期にあったことを意味している。

その時代、一方では近代科学の進歩がますます進む中で、産業技術といった物質的な次元だけではなく、精神的な分野にもその影響が及び、例えば、実験心理学といった新しい学問分野も誕生した。
その一方で、実証的な思考では捉えることができない次元を探究する動きも活発化し、通常の現実感覚とは異なる世界像を探究する思考や芸術が活動を活性化させていた。

こうした二つの潮流を背景にして、ポール・ヴァレリーは、「精神」のメカニスムを解明することを目指し、「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説」や「テスト氏」といった散文作品、「若きパルク」や「海辺の墓地」といった韻文詩、「精神の危機」に代表される文明批評などを書き綴った。

その際、彼はしばしば「自己を見る自己」という構図を設定し、身体(見られる自分)の感覚と精神(見る自分)の動きという二つの次元を統合する中で、総合的な視点から人間の精神を捉え、描き出そうとした。
その意味で、ヴァレリーは、19世紀後半の対立する二つの世界観に基づいた上で、その先に歩みを進めた思想家であり、詩人であると見なすことができる。

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メルロ=ポンティ 『目と精神』 Merleau-Ponty L’œil et l’esprit 内面と外界の関係

モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の現象学は、身体と精神、外界と内面、客観と主観といった二元論的な思考に基づく対立を回避し、二項間の相互関係を解明しようとした点で、19世紀後半から始まった世界観の大転換の流れの中に位置づけられる。

そうした彼の思想は大変に興味深いのだが、難解な言葉で語られているため、理解するのが難しいことが多い。
ここでは、セザンヌの絵画について究明することを目的に書かれた『目と精神(L’œuil et l’exprit)』から二つの断片を選び、メルロ=ポンティの思想を探ってみよう。

(1) L’animation du corps n’est pas l’assemblage l’une contre l’autre des parties — ni d’ailleurs la descente dans l’automate d’un esprit venu d’ailleurs, ce qui supposerait encore que le corps lui-même est sans dedans et sans « soi ».
(2) Un corps humain est là quand, entre voyant et visible, entre touchant et touché, entre un œil et l’autre, entre la main et la main se fait une source de recroisement, quand s’allume l’étincelle du sentant-sensible, quand prend ce feu qui ne cessera pas de brûler, jusqu’à ce que tel accident du corps défasse ce que nul accident n’aurait suffi à faire… (chapitre II)

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