ノートルダム大聖堂と文化の洗練
ノートルダム大聖堂の建築は、1163年に始められたと考えられている。
聖母マリアに捧げられたこの教会が、ノートル(私たちの)・ダム(婦人)と呼ばれるのは、12世紀にマリアがキリスト教徒の崇拝の対象になっていたことの証である。
同じ頃、南フランス(ラング・ドック地方)では、トゥルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人たちによって、新しい恋愛詩が作られるようになっていた。
それまでの恋愛では、男性が女性の上に立つ関係が主であった。それに対し、トゥルバドゥールの恋愛詩では、愛する女性に捧げる感情が恋愛として描かれた。感情が上から下に向かうのではなく、下から上に向かうものに変化したのである。下降の動きでは肉体が重きをなし、上昇の動きでは精神が重視される。
こうした恋愛詩の代表的な作品が、ベルナール・ド・ヴァンタドゥール(Bernard de Ventadour、1145-1195)の「陽の光を浴びて雲雀が」。
その冒頭は、次のような詩句で始まる。
陽の光を浴びて 雲雀が
喜びのあまり羽ばたき舞い上がり
やがて心に広がる甘美の感覚に
われを忘れて落ちる姿を見るとき
https://bohemegalante.com/2019/04/09/alouette/
恋愛感情は、雲雀が大空に舞い上がるように、自分よりも上にいる愛する人へと向かうものと定義される。
その時、愛する人は、マ(私の)・ダム(婦人)となる。
恋愛詩という世俗の分野では、愛の対象となる女性はマダムと呼ばれる。それは個人的な恋愛感情の対象である。
宗教の分野でそれと同じ感情があるとすると、崇拝の対象は、私たちの婦人、ノートルダムになる。
このように、12世紀フランスで、地上的、肉体的な次元を超え、天上的な次元へと向かう精神的な感情が発展したと考えてもいいだろう。
その感情が文化を洗練させる源となる。
その洗練された文化の象徴の一つが、パリのノートルダム大聖堂だといえる。
ゴシック建築の傑作というだけではなく、洗練された文化の美を具現化した建造物。


今回の火災で大聖堂が焼け落ちる映像を目にしてショックを受けたのは、キリスト教徒だけではない。800年におよぶヨーロッパ的な美の伝統が、一瞬のうちに消滅する危機に晒される姿を目にして、無感動でいられる人がいるだろうか。



何という悲劇でしょう。
胸が痛みます。
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本当に悲劇です。
今回焼けた部分でも、尖塔は19世紀に再建したものですが、屋根を支える部分は最初に建築された時のままだそうです。ですから、同じ物を作り直すのは難しいかもしれないと言われています。
ただ、教会建築というのは、時代が経るに従って、次々に手が加えられてきました。ロマネスク様式の教会は、ゴシックの時代にはゴシック的に作り直され、その時代の美意識に合ったものに変化が加えられたのです。ですから、ノートルダムも過去の忠実な再現ではなく、21世紀の教会建築を取り入れてもいいと考えると、少し気持ちが楽になります。
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