ヴェルレーヌ 「グリーン」 Verlaine « Green » 自然の感性

Auguste Renoir, Cueillette des fleurs

英語のgreen(緑)が題名になっているこの詩は、「ヴァルクール」と並んで、物憂さも、漠然とした悲しみもない。

https://bohemegalante.com/2019/07/27/verlaine-walcourt/

朝まだき、詩人は木や花の中で幸せに満たされ、愛する人の傍らで安らぐ。
その時、自然はヴェルレーヌの心と響き合い、恋人たちをつなぐ慎ましい贈り物になる。

Green

Voici des fruits, des fleurs, des feuilles et des branches
Et puis voici mon cœur qui ne bat que pour vous.
Ne le déchirez pas avec vos deux mains blanches
Et qu’à vos yeux si beaux l’humble présent soit doux.

Paul Cézanne, Fleurs dans un vase

グリーン

見てください。果物や花を、葉や枝を。
それから、わたしの心臓も。あなただけを想い、鼓動しています。
この心を引き裂かないでください、あなたの白い両手で。
あなたの麗しい目に、この慎ましい贈り物が、心地よくありますことを。

日本の詩歌では、山川草木に人の心を託すことが多くある。
ヴェルレーヌは、Voici(ここにある)という言葉の後で、花々と心を並列にすることで、自然の事物と心との対応を示している。

その上で、草木とも、心とも云わず、二つを一緒にして、「慎ましいプレゼント(l’humble présent)」と言う。この「慎ましい」という表現は、贈り物をするときに、「つまらない物ですが」とへりくだる日本的な心持ちを思わせる。

朗読も、こんな風に、控えめで、優しくあって欲しい。

掘口大學の訳だと、第一行目は、次の様になっている。
「受けたまえ、ここに果実と花と葉と枝とこそあれ、」
この訳では、自然と一つになった私の心の穏やかさが感じられないのではないだろうか。
フランス語はもっとずっと穏やかだ。
Voici des fruits, des fleurs, des feuilles et des branches

J’arrive tout couvert encore de rosée
Que le vent du matin vient glacer à mon front.
Souffrez que ma fatigue à vos pieds reposée
Rêve des chers instants qui la délasseront.

Auguste Renoir, Les Amoureux

まだ露にびっしょり濡れたまま、やって来ました。
朝の風が冷たくて、額の上で氷の結晶になっています。
あなたの足元で、疲れを休ませ、
愛しい一瞬一瞬を夢見ることをお許しください。疲れが癒されます。

朝露や朝の風は、詩人が自然の中にいて、自然の中から抜け出してきたような印象を与える。
自然を征服するのではなく、自然の子どもであり、彼は花も木も風も露と同じ資格でそこにいる。

その自然の中で「疲れ la fatigue」に言及されたとしても、物憂い倦怠でもなく、メランコリックな渇望でもない。
一瞬一瞬が愛しい時であり、疲れはその瞬間を夢見るだけで消え去る。

あなたの足元の「今・ここ」が、すでに楽園なのだ。
過去を思い煩うこともなく、未来に希望を託すこともなく、「今」が次々に続いていく。

こうした時空間の捉え方は、日本的な感性を思わせる。
四季を中心にして循環する時間の概念は、去り行く「今」を惜しむが、しかし桜が来年も咲くように、回帰する。
諸行無常を感じながら、あの世に行くことを願うのではなく、現世での利益を願う。
季節に対する敏感さは、山川草木を通して四季の歌で表され、人間の内面的な感情を象徴する恋を通して表出される。
(加藤周一『日本文化における時間と空間』による。)

愛しい一瞬一瞬を夢見るヴェルレーヌは、決して自然を超越したイデア的世界を渇望しているのではない。
「今ここ」を生きるだけで、ほぼ十分なのだ。
C’est quelque chose !

ちなみに、「ほぼ」の不足分は、疲れを癒す(délasseront)が未来形に置かれていることで示されている。

Sur votre jeune sein laissez rouler ma tête
Toute sonore encor de vos derniers baisers ;
Laissez-la s’apaiser de la bonne tempête,
Et que je dorme un peu puisque vous reposez.

Mary Cassatt, Lydia assise dans le jardin

若々しいあなたの胸に置かれたわたしの顔、
今しがたの口づけが、まだはっきりと響いている。
この素晴らしい嵐が静まるまで、このままにさせておいて下さい。
わたしも少し眠らないと。あなたもお休みなのですから。

口づけの名残が音として残り、愛の高揚感は嵐のように続いている。
詩人は、その嵐が静まるのを待つために、顔を胸に埋め、しばらくこのままでいることを願う。

口づけという近い過去も、嵐が収まるという近い未来も、今という時間の中に収まり、この瞬間が全てである。

そして、私は眠り、あなたは安らぐ。
この願いは、能動的に幸福を作り出すのではなく、今の状態でいたいという思いに基づいている。
それは、日本語の自然、自(おの)ずから然(しか)る、という言葉と対応しているのではないだろうか。

ヴェルレーヌが生きた19世紀後半、印象派の画家達や、工芸家のエミール・ガレは日本の文化に興味を持ち、日本に憧れた。

ゴッホは日本を求めて南フランスに向かい、モネはジヴェルニーの庭園に日本的な橋を作った。

エミール・ガレは、植物や昆虫をモチーフにした陶器の傑作を数多く制作した。
https://www.polamuseum.or.jp/sp/emile_galle/

ヴェルレーヌが日本の事物の影響を直接受けたのかどうか確証はない。
しかし、彼の詩の中に、日本的な感性と対応する感性が強く感じられることは、疑う余地がないだろう。


「グリーン」は、ドビュシー、アーン、フォーレ達によって曲を付けられた。

フィリップ・ジャルスキーが歌う、アンドレ・カプレ作曲の« Green »。

レオ・フェレの歌う« Green »は、じっと心まで届く。

19世紀後半は、文学と絵画と音楽が最も接近した時代の一つ。
詩を読み、絵画を見、音楽を聴く。
至福の瞬間!

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