ヴィクトル・ユゴー 「夢想」 Victor Hugo « Rêverie » 現実と夢想

1820年代、ヨーロッパでは、オスマン帝国からの独立を宣言したギリシアへの関心が高まり、多くの芸術家の関心をかき立てた。
その代表の一つが、ドラクロワの1824年の作品「キオス島の虐殺」や、1826年の「ミソソンギの廃墟に立つギリシア」である。

Eugène Delacroix, Scènes des massacres de Scio
Eugène Delacroix, La Grèce sur les ruines de Missolonghi

1828年には、ヴィクトル・ユゴーも『東方詩集(Les Orientals)』を出版する。「夢想(Rêverie)」は、その詩集に収められている。

ユゴーは一度もオリエントを訪れたことはなく、詩集の中では知識と想像力によって作り挙げられたイメージが繰り広げられる。
「夢想」はその原理を読者に明かし、現実とイマジネーションの関係を垣間見させてくれる。

「夢想」の最初には、ダンテの『神曲』から取られたエピクラフが付けられている。

日が沈み、暗い空気が、地上に残る魂を苦しみから和らげた。(「地獄編」第2歌)

『神曲』の冒頭、暗い森の中に迷い込んだダンテは、古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、地獄へと導かれていく。そして、地獄の門に、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」を書かれているのを目にする。

ユゴーが、ダンテを引用したのは、地上に代表される現実と、日没後の闇の世界によって暗示される非現実の世界を対比するため。
その上で、地上が苦しみの場であり、闇は現実世界で蒙る苦痛を和らげるという詩句から、夢想に対する彼の思想を予告している。

第1詩節

Oh ! laissez-moi ! c’est l’heure où l’horizon qui fume
Cache un front inégal sous un cercle de brume,
L’heure où l’astre géant rougit et disparaît.
Le grand bois jaunissant dore seul la colline.
On dirait qu’en ces jours où l’automne décline,
Le soleil et la pluie ont rouillé la forêt.

ああ! 私をほっておいてくれ。今この時、煙る地平線が、
不揃いの額を、丸い靄の下に隠す。
今この時、巨大な惑星が赤く燃え、消える。
黄色に変わる大きな森だけが、丘を金色に染める。
秋が深まる日々、
太陽と雨が、森を錆びつかせてしまった。

現実世界では、地平線は煙を挙げ、靄に覆われている。太陽は消え去り、秋が深まる時に、すでに太陽や雨で森は錆びついたように荒れ果てている。

ただし、森が黄色に色づき、丘を金色に染めている。
全てが衰えていく(décliner)中で、黄金(dorer)の部分もある、ということになる。

Victor Hugo

そうした現実の中、夢想は、もう一つの世界を浮かび上がらせる。

Oh ! qui fera surgir soudain, qui fera naître,
Là-bas, — tandis que seul je rêve à la fenêtre
Et que l’ombre s’amasse au fond du corridor, —
Quelque ville mauresque, éclatante, inouïe,
Qui, comme la fusée en gerbe épanouie,
Déchire ce brouillard avec ses flèches d’or !

ああ! 誰が突然浮かび上がらせるのか、誰が誕生させるのか、
彼方で、—— 私一人、窓辺で夢想し、
影が長い廊下の奥で濃くなりつつあるとき、——
オリエントらしき町を。その町は、光輝き、前代未聞で、
美しく花開く花火のように、
この闇を、幾つもの黄金の矢で切り開く。

夜が更け、部屋に続く廊下は暗さを増す中で、「私」は窓辺に佇んでいる。つまり、「私」は現実の世界に留まっている。
そして、そこで、夢を見る。

その夢想の中で浮かび上がってくるのは、イスラム教のモスクのある町(ville mauresque)。無数の尖塔が空に浮かび上がっている。

「私」は、現実の窓辺から、夢想によって、空想のオリエントへと入り込み、黄金の矢が靄を切り裂く映像を思い描く。

Louis Boulanger, Portrait de Victor Hugo

こうした夢想の効果を、ユゴーは、「我が友 L. B.とS-B.へ(À mes amis L.B. et S.-B.)」と題された詩の中で次のように表現する。

Ce que je voudrais voir je le rêve si beau ! (…) (v. 39)

Et je rêve ! (…)
Chaque homme, dans son cœur, crée à sa fantaisie
Tout un monde enchanté d’art et de poésie. (v. 49.-53)
     ( Feuilles d’automne, XXVII «À mes amis L. B. et S.-B. »)

ぼくは見たいと思うものを、とても美しく夢見る!(中略)

ぼくは夢見る! (中略)
人間は誰でも、心の中に、空想のままに作りだす、
絵画と詩でできた魔法の世界を。

夢の中で、誰もが心の中に、思いのままに、魔法にかかった世界を作り出すことができる。
その世界は、この詩を捧げられている画家ルイ・ブランジェの場合であれば、絵画で表現されるだろう。

Louis Boulanger, Mazeppa

もう一人の友人S.-B.つまり、サント・ブーブであれば、詩として実現するだろう。サント・ブーブは、『ジョゼル・ドロルムの人生、詩、思索』(1829)を書き、とりわけ「黄色の光線(Les Rayons jaunes)」という詩は、ロマン主義時代の傑作として知られていた。

そうした夢想の世界は現実の延長線上にあるかもしれないが、しかし、あえて現実と付き合わせてみる必要はない。

「我が友 L. B.とS-B.へ」では、次のような詩句が続けられる。

Restons loin des objets dont la vue est charmée. 
L’arc-en-ciel est vapeur, le nuage est fumée. 
L’idéal tombe en poudre au toucher du réel.  (v. 61-63)

魅力的に見えるものから遠くに留まろう。
虹は蒸気だ。雲は煙。
理想は、現実に触れると、粉々に砕け落ちる。

人間が心の中で思いのままに作り出す、魔法に掛かった世界。あえて、その世界を現実の世界と付き合わせる必要はない。
現実性を求めれば、魔法の世界は消滅してしまう。

「夢想」で夢見られたオリエントの町には、金色の尖塔(flèches d’or)がある。
その尖塔の兆しは、夕日に染まった丘の金色かもしれない。現実と夢想の世界は決して断絶しているわけではない。

しかし、夢想は、現実から夢への旅であって、逆ではない。
夢を幻滅させるのではなく、現実を魔法にかける(charmer, enchanter)のが、夢想の力なのだ。

第3詩節では、夢想によって生み出されたオリエントの町が、現実に働きかける力が示されることになる。

Qu’elle vienne inspirer, ranimer, ô génies,
Mes chansons, comme un ciel d’automne rembrunies,
Et jeter dans mes yeux son magique reflet,
Et longtemps, s’éteignant en rumeurs étouffées,
Avec les mille tours de ses palais de fées,
Brumeuse, denteler l’horizon violet !

魔神達よ、その町に、私の歌に霊感と命を吹き込むように命じろ、
私の歌は、秋の空のように褐色なのだ。
その町に、魔法のような町の反映を、私の目に投げかけるように命じろ。
長い間、押し殺された呟きになって消え去り、
妖精たちの宮殿の何千本もの尖塔を使って、
靄に包まれた町よ、紫の地平線をギザギザにするように命じろ!

詩人はここで、千夜一夜物語に出てくるような魔神たちに3つの願いを叶えてくえるように要求する。

一つ目は、夢の町が、詩人の歌に霊感を与え(inspirer)、命を授ける(animer)こと。

二つ目は、詩人の目に、魔法にかけられた世界が映ること。

三つ目は、現実世界の地平線に、夢の世界の尖塔の刻印を入れること。

夢想されたオリエントの町は、現実に触れて消滅してしまうのではない。
現実の世界に夢の世界の生命を伝えることが詩人の望みであると、この詩節で高らかに宣言される。
現実から出発した夢想は、再び現実に戻り、現実を変形することが求められているのである。

『秋の葉(Les Feuilles d’automne)』に収められた「夢想の坂道(La Pente de la Rêverie)」では、二つの世界の往復が、次のように語られる。

(…) Une pente insensible
Va du monde réel à la sphère invisible ;
La spirale est profonde, et quand on y descend
Sans cesse se prolonge et va s’élargissant,
Et pour avoir touché quelque énigme fatale,
De ce voyage obscur souvent on revient pâle ! (v. 5-10)

(略) 感知できない坂道が、
現実の世界から、見えない空間へと進んでいる。
その螺旋形の坂道は深い。そこを下ると、
絶えず、伸び、広がっていく。
そして、なにかしら致命的な謎に触れた後、
そ闇の旅から、しばしば、人は青白い姿で戻ってくる。

夢想の坂道は、人が気づかないうちに、目に見える世界から目に見えない世界へと、螺旋状になって下っていく。

そして、何かわからないが、重大な謎(énigme fatal)に触れた後、現実世界に戻ってくる。

ユゴーは、この螺旋状の下降がどこで行われるのか、明かしている。

Tout, comme un paysage en une chambre noire
Se réfléchit avec ses rivières de moire,
Ses passants, ses brouillards flottant comme un duvet,
Tout dans mon esprit sombre allait, marchait, vivait ! (v. 65-68)

全ては、暗室に映る風景のように、
自らを映し出す。さざ波の立つ小川、
通り過ぎる人々、綿毛のように浮かぶ霧、
全てが、私の暗い精神の中で、進み、歩き、生きていた!

「暗室」とは、一筋の光を通すだけの閉ざされた箱で、その内部に鏡を置くことで、外にあるものを映し出す装置。

その暗室に見える鏡像のように、夢想の坂道を下ると見えてくるものは、外部にあるものが、心の中に映り込んでいる映像。

ここで、夢想の世界は、心の中の暗室に映る世界だと、ユゴーは明かしている。
もっと言えば、夢想の螺旋階段で下るのは、人間の内面世界。

そして、そこで、夢想者は、謎に触れる。
それは何か?
「夢想の坂道」の最後で、謎の秘密が明かされる。

Mon esprit plongea donc sous ce flot inconnu,
Au profond de l’abîme il nagea seul et nu,
Toujours de l’ineffable allant à l’invisible…
Soudain il s’en revint avec un cri terrible,
Ébloui, haletant, stupide, épouvanté,
Car il avait au fond trouvé l’éternité. (v. 140-145)

私の精神は、未知なる波の下に潜った。
深淵の底で、泳いだ。たった一人、裸で。
つねに、言葉で言い表せないものから、目に見えないものに向けて。。。
突然、精神はそこから戻ったきた。恐ろしい叫び声をあげ、
目が眩み、息を切らせ、呆けたように、恐れて。
というのも、深淵の底で、永遠を見つけたからだ。

夢想者が出会ったのは、「永遠」。

不可視で、未知なるものの根源である永遠は、人間の内面にあるという世界観が、ここで示されている。
その永遠は、プラトン的に言えば、地上を越えたイデアであり、肉体を離れた魂が向かう場所。つまり死後に向かうところ。とすれば、そこからの帰還は、地獄下りからの帰還と重なる。
それであれば、戻って来た時には、青白く、目が眩み、恐ろしい叫びをあげているという理由も理解できる。

地獄下りを経たオルフェウスは、この世に生還した後、神秘体験を伝える詩人になった。

「夢想」の展開するのは、オリエント世界。そこで、ユゴーは、魔神たちに、世界に永遠を反映させるようにと祈願する。
煙や靄で覆われた地平線に、オリエントの町のようなギザギザを刻み、現実世界に魂と生命の息吹を吹き込むようにと。

その反映が、絵画であったり、詩であったりする。

1822年の『オード集』の序文で、ユゴーは既に次の様に予告していた。

Au reste, le domaine de la poésie est illimité. Sous le monde réel, il existe un monde idéal, qui se monstre resplendissant à l’œil de ceux que des méditations graves ont accoutumés à voir dans les choses plus que les choses. (…) La poésie, c’est tout ce qu’il y a d’intime dans tout.

詩の分野に限界はない。現実世界の下には理想の世界がある。理想世界は、真剣な瞑想の中で事物の中に事物以上のものを見ることに慣れた人々に目には、光輝いて見える。(中略) 詩は、全ての中で最も内的なもの全てである。

理想は天上ではなく、現実の下、つまり人間の内面にある。だからこそ、詩は内的なものだと言われる。

Prosper Marilhat, Vue de la partie sud de la nécropole du Caire

『東方詩集』では、理想世界の一つの形象であるオリエントの町の姿が、現実に映り込むことを願う。
人間の内面の「永遠」は、現実世界に美として反映するだろう。

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