ロマン主義絵画 メランコリーの美

19世紀前半の絵画の中には、ロマン主義的な雰囲気を持つ魅力的な作品が数多くある。
日本ではあまり知られていない画家たちの作品を、少し駆け足で見ていこう。

最初は、アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの「エンデュミオン 月の効果」(1791)。
最初にルーブル美術館を訪れた時、まったく知らなかったこの絵画を見て、しばらく前に立ちつくしたことをよく覚えている。

Anne-Louis Girodet-Trioson, Endymion ou effet de lune


眠る少年は羊飼いエンデュミオン。彼の美しさに恋をした月の女神セレナが、眠り続ける少年を抱擁する場面を描いている。
絵画について何も知らなくても、画面の奥から射してくる月光の美しさに無感動ではいられない。緩やかに伸びた美少年の肉体を照らすその光は、地上のものとは思われないほど美しい。そして、暗い部分と明るい部分のコントラストを印象的に描き出し、劇的な効果を上げている。

ジロデ=トリオゾンは、一般的には新古典主義の画家に分類されるが、「エンデュミオンー月の効果」に見られる劇的な印象は、ロマン主義絵画の先駆けといえる。

彼は、ロマン主義の先駆者の一人シャトーブリアンの代表作『アタラとルネ』を題材に、光の効果が最大限に発揮される、もう1枚の美しい絵画「アタラの埋葬」(1808)も描いている。

Anne-Louis Girodet, Atala au tombeau

この複製でははっきりとわからくて残念だが、画面の中央奥に立つ十字架の向こうから指してくる光の効果は、「エンデュミオン」に劣らず素晴らしい。

ルーブル美術館に行き、モナリザだけを探し、こうした絵画の前を通りすぎてしまう人たちがたくさんいる。本当にもったいない!

マニエリスム風に長く引き伸ばされた体が美しい絵画は、他にもある。

アリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」(1855)。

Ary Scheffer, Les Ombres de Paolo et Francesca apparaissent à Dante et à Virgile

ダンテの『神曲』に基づいた1枚。
パオロとフランチェスカは義理の関係でありながら、恋に落ち、パオロの兄でフランチェスカの夫によって、刺し殺される。
地獄を巡るダンテとヴェルギリウスは、理性を忘れ、情熱に身を委ねたために苦しみ続ける二人の亡霊を目にし、フランチェスカの話に心を揺さぶられる。
暗い背景の中に浮かび上がるフランチェスカの白い肌を辿っていくと、苦しみにあえぐパオロのやや暗めの顔に行き着く。その劇的は効果は、見る者の心を強く打つ。

テオドール・シャセリオーの「エステルの化粧」(1841)も、やや引き伸ばされた女性の肉体が印象的な作品。

Théodore Chassériau, La Toilette d’Esther

ユダヤ人の娘エステルが、ペルシアの王と面会する前に、身繕いをしている姿が描かれている。

シャセリオーの師匠は、古典主義を代表するアングル。「エステルの化粧」は、アングル的な女性像でもある。しかし、ドラクロワ的な色彩感覚も強く、ロマン主義的な雰囲気を醸し出している。
アングルの女性像と、ドラクロワの色彩感覚を見ておこう。

Dominique Ingres, La Grande Odalisque, 1814
Eugène delacroix, La Mort de Sardanapale, 1827-8.

明確な構図を持ち、調和の取れた色彩で描かれたアングルの絵画。どこに中心があるのかわからない構図で、色彩があちらこちらに飛び散っているドラクロワの絵画。違いは一目瞭然だ。
引き伸ばされ、ひねられた女性の体からも、二人の画家の違いを感じることができる。
ドラクロワの女性をもう少し近くで見てみよう。


この二枚の絵画を見ると、シャセリオーのエステルの肉体のねじれはアングル的。しかし、背景の女性の服や家具の色彩はドラクロワ的。シャセリオーが両者の特色を持って描かれていることがよくわかる。

ドラクロワの「サルダナープルの死」と比べるとずいぶん古典主義的に感じるが、ウジェーヌ・ドゥヴェリアの「アンリ4世の誕生」(1827)も、色彩の多用性と華やかさという点では、ロマン主義的だといえる。

Eugène Devéria, La naissance de Henri IV

ルイ・ブーランジェの「マゼーパの刑罰」(1827)だと、ドラクロワに近く、力強い肉体の動きと光と影の明暗法によって、劇的な感情を発散している。

Louis Boulanger, Supplice de Mazeppa

イヴァン・マゼーパは17世紀のウクライナの英雄で、領土拡大のために大きな役割を果たしたが、最後はロシアのピョートル1世との戦いに敗れ、病死した。
従って、マゼーパが処罰を受けている場面は現実を反映しているのだが、彼の体の動きは、古代の神のようでもあり、どこか理想化され、夢想の中の出来事のようでもある。

ちなみに、マゼーパの伝説は作家に多く取り上げられ、ロマン主義最大の詩人ヴィクトル・ユゴーは彼をテーマとした詩を書き、リストはピアノ曲や交響曲を作曲している。

ルイ・ブーランジェは、ヴィクトル・ユゴーの友人であり、ユゴーは夢想をテーマにした詩を彼に捧げている。
https://bohemegalante.com/2019/08/25/victor-hugo-reverie/2/

そして、実はヴィクトル・ユゴーも素晴らしい絵画を数多く描いている。例えば、「私の運命」(1867)。

Victor Hugo, Ma destinée

激しい波の動きは、ユゴーの主観的な感情をそのまま表現している。「自己」の高揚がロマン主義の一つの大きなテーマであり、この絵画はユゴー的自我そのものであるといえるような印象を与える。

マゼーパの身体表現もこうしたロマン主義的主観性の表れであり、同様のことは、ルイ・ブーランジェの「嵐の中のリア王と彼の道化」(1836)でも見て取ることができる。

Louis Boulanger, Le roi Lear et son fou pendant la tempête

十字架にかけられる直前、オリーブ山に上り、父である神から見捨てられたのではないかと疑いを持ち、悲歎に暮れるキリストを描いた絵画、オリーブ山のキリスト。
ドラクロワの絵筆(1827)でも、シャセリオの絵筆(1840)でも、キリストの身体のうねりが、感情をストレートに伝えている。

Eugène Delacroix, Le Christ au jardin des Oliviers, 1827.
Théodore Chassériau, Le Christ au jardin des oliviers, 1840

肉体表現が効果的に使われている代表は、何といっても、テオドール・ジェリコの「メデューズ号の筏」(1919)。

Théodore Géricault, Le Radeau de La Méduse

ドラクロワがこの絵画の中にいる! 彼は一人の死体のモデルになった。(中央やや左前で、顔を伏せ、両手を伸ばしている男。)

そこで死体のモデルをしたドラクロワが、約10年の後、「メデューズ号の筏」の構図を下敷きに、「民衆を導く自由の女神」(1830)を描いたと考えられている。実際、旗を頂点とした三角形の構図を見て取ることができる。

Eugène Delacroix, La Liberté guidant le peuple

このように、身体表現で深い感情を表すこともあるが、他方で、アリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」のように、光と闇のコントラスト、つまり明暗法で表したロマン主義絵画も多くある。

ポール・ドラロッシュの「殉教者の娘」(1855)は、その中でも最も美しい一枚。

Paul Delaroche, La jeune martyre

3世紀ディオクレティアヌス帝時代、異教の神々に生贄を捧げることを拒否したために、両手を縛られてテヴェレ河へ投げ込まれた聖女をテーマにした作品。
真っ暗な闇の中に光が射し、白い衣を身につけた少女の顔を浮かび上がらせるこの絵画は、深い宗教性を感じさせる。

その宗教性は、「殉教者の娘」の中ではキリスト教であるが、しかし、それと同時に、地上を越えた聖なる次元への憧れを見る者に強く感じさせる。

死神に連れ去られるレノーレを歌う、ドイツの民謡風物語(バラード)に基づいた絵画でも、明暗法の使用によって、神秘的な雰囲気が強く醸し出された絵画がある。
それが、アリ・シェフェールの「レノール」(1830)。

Ary Scheffer, Lenore.1830

闇の中を疾走する馬のスピード感。レノールをさらう死神の黒。その中を、レノールの白い肌だけが、光に照らし出されている。
この絵画は、恐怖とともに、この世ではない、超自然な(surnaturel)世界の存在を強く感じさせる。

同じ題材に則ったオラース・ヴェルネの「レノールのバラード」(1839)。

Horace Vernet, La ballade de Lénore

動きという面では対照的であるが、ポール・ユエの「近衛兵の帰還」(1840−45)でも、光と闇のコントラストによって、神秘的な雰囲気が醸し出されている。

Paul Huet, Le Retour du grognard

セレスタン・ナントゥーユの版画「白い女王」も、微かな光が暗い森に超自然な雰囲気を作り出す。

Célestin Nanteuil, La Reine Blanche (Forêt de Fontainebleau)

これらの絵画は暗く憂鬱な印象がする。しかし、非常の魅力的で、見る者を惹きつけ、深い瞑想に誘う。
その理由が、ロマン主義的なメランコリーにある。

ロマン主義的感情は、決して到達できない理想に向かう切望のエネルギーをベースにしている。到達できないからこそ、強く憧れる。そこに生まれるのが、メランコリーの感情。
メランコリーは、夢であれ、過去の幸福な時間であれ、都市から離れた自然であれ、憧れの異性であれ、今ここにないものを強く求める気持ちの証明に他ならない。
そして、対象を求める感情=愛(エロース)が、美を生み出すのである。

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ロマン主義的な美を知ると、人間が描かれていない風景画にも、メランコリックな美を感じるようになる。

18世紀後半から19世紀前半に活動したピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌの「湖の畔の嵐」(1784年頃)。

Pierre-Henri de Valenciennes, LOrage au bord du lac

19世紀後半のギュスターヴ・ドレの「嵐の後のスコットランドの湖」(1875−1880)。

Gustav Doré, Lac en Écosse après l’orage

ロマン主義の時代ではない時代に描かれたこうした絵画にも、メランコリックな美を感じる。
それは、メランコリックな美が決して時代によって限定されるものではなく、私たちの感性を刺激する、何か本質的なものを持っているからかもしれない。

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