フランス文学と比較して、日本の中世文学がいかに優れたものだったか、年代を追って見ていくと驚くしかない。

日本の最初の歴史書である『古事記』が成立したのは、712年と言われている。天武天皇の命令で、稗田阿礼が誦習したものを、太 安万侶が書き記したと、序に記されている。
720年には『日本書紀』が編纂され、759年になると、『万葉集』が成立する。

その時代、フランスはまだ国として存在していなかった。そのことに気づくだけでも驚くのではないだろうか。
800年に戴冠したカール大帝の死後、フランク王国が3分割され、その中の西フランク王国がフランスの国土の基本的な部分を形成することになる。
987年に西フランク王国が断絶し、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王となり、フランス王国が成立する。
フランス語が成立するのもその間であり、842年、西フランク王国のシャルル2世と東フランク王国ルートヴィヒ2世が締結した「ストラスブールの誓い」の中で初めて、現在のフランス語のベースとなる古フランス語が確認されてると言われている。
従って、当時、フランス語で書かれた文学など考えようもなかった。
日本の文学は、平安時代に第一期の黄金時代を迎える。
905年には『古今和歌集』が成立。
900年代の中頃には、『伊勢物語』や『竹取物語』も書かれる。
1000年には清少納言の『枕草子』が、1013年には紫式部の『源氏物語』が文字化された。
その世紀の後半になると、『今昔物語』も成立する。
平安時代の後期、院政が始まり、その後、1100年代に平家の時代になると、文学的な成果は少なくなる。
しかし、そうした中でも、後白河法皇の『梁塵秘抄』(1169)、藤原俊成の『千載和歌集』(1187)、西行の『山家集』(1190)などが公になる。

その1100年代、フランスでは初めて文化的な高まりを知ることになる。
文化の先進地域であった南フランスでは、精神的な恋愛を歌うトルバドゥールの恋愛詩が盛んに歌われる。
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北フランスでは、文化的な高揚は教会建築から感じ取ることができる。1163年、パリのノードルダム大聖堂の建造が始まり、工事は1345年まで続けられた。
こうした文化は、12世紀ルネサンスと呼ばれている。
しかし、文学的に見た時、トゥルバドゥールの詩や同時代の古フランス語で書かれた作品(マリー・ド・フランス、クレチアン・ド・トロワ等)と、平安朝の文学、『枕草子』や『源氏物語』とを比べることはできない。洗練の度合いがまったく違う。
フランス文学が日本の文学と匹敵するところまで行くためには、15世紀のフランソワ・ヴィヨンや、16世紀のラブレー、ロンサール、モンテーニュを待たないといけない。

その間に、日本では、鎌倉時代を迎え、13世紀の初めには『新古今和歌集』(1205)や鴨長明の『方丈記』(1218)が発行された。
その世紀の半ばには、藤原定家の『明月記』(1241)があり、『平家物語』も成立する。
1331年には吉田兼好の『徒然草』が、1402年には世阿弥の『風姿花伝』も世に出る。
世阿弥が能を確立した時代、フランスはまだ100年戦争の中にあり、ジャンヌ・ダルクの出現を迎えていた。
そこから、ヴィヨンまでまだ100年の時を待たなければならなかった。

ドナルド・キーンがある時、日本の国語教育は犯罪的だと言ったことがある。子ども達に『源氏物語』を使って文法を教え、作品の美を教えないというのがその理由だった。そのために、子ども達は古典を嫌いになってしまうと、キーンは考えたのだった。
フランス文学との簡単な年代的な比較を通して、700年から1400年に至るまで、日本の文学がいかに先進的なものだったのか理解できる。
日本の中世文学を見直し、再発見する機会になるのではないだろうか。