ラ・フォンテーヌ 「カラスとキツネ」 La Fontaine « Le Corbeau et le Renard » 詩の楽しさを味わう

ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。

日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。

最初に、イソップの「カラスとキツネ」を思い出しておこう。

カラスが一切れの肉をくわえて、木の枝に止まっていました。
キツネがそれを見て、肉を自分の物にしたいと考えました。
「カラスさん、あなたは実に姿が良くて立派ですね。
本当に美しい。
鳥の王さまになれるのは、あなたの他にはまずいません。
きっと、歌声も綺麗なんでしょうね。
どうか、歌声を聞かせてくれませんか?
もし歌声も綺麗なら、間違いなしに鳥の王さまですよ。」
お世辞を言われたカラスは、良い声を聞かせてやろうと、
「カァー、カァー」
と、鳴いてみせました。
肉をくわえたまま口を開けたので、くわえていた肉が下にいたキツネの前にポトンと落ちてしまいました。
キツネはすぐに肉に飛びつき、こう言いました。
「やれやれ、頭さえ良ければ、本当に鳥の王さまになれたかもしれないのにね。」

このお話しは、おだてに乗りやすく、考えの浅い人に聞かせる話しです。
http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/12/01.htm

ラ・フォンテーヌは、最初の4行で、カラス(Corbeau)とキツネ(Renard)を対照的に登場させる。

Maître Corbeau, sur un arbre perché, (10)
         Tenait en son bec un fromage. (8)
 Maître Renard, par l’odeur alléché, (10)
          Lui tint à peu près ce langage : (8)

カラス殿が、木の上にとまり、
   嘴にチーズを一つくわえていた。
キツネ殿が、臭いにひかれて、
   彼におおよそこんなことを言った。

この4行の詩句で、カラスとキツネは対照的に描き出される。

音節数を見ると、
Maître Corbeauで始まる詩句は10音節。次は8音節。
Maître Renardで始まる詩句も10音節。次も8音節。
しかも、10音節の詩句は、4音節と6音節に区切られる。
Maître Corbeau (4) / sur un arbre perché (6)
Maître Renard (4) / par l’odeur alléché (6)

韻は、perché – alléché、fromage – langage。
Perché – fromage – alléché – langageと、é – a – é -aと交差する交差韻。

構文の上でも、最初の行で、主語が置かれ、その状況を描く描写が過去分詞によって付け加えられる。
次の行は動詞で始まり、最後に目的語が置かれている。

カラスとキツネの前に置かれている Maître は、主人とか先生という意味だが、皮肉な意味を持つこともある。
さらに、動物にMaîtreという敬称を付けることで、人間化する効果も持っている。

カラス殿が持つのはチーズ(fromage)。それに対して、キツネ殿が持つのは言葉(langage)。
二つの単語が韻を踏み、言葉がチーズを得る手段であり、言葉とチーズの交換が行われることが、音の上からも示されている。
音と意味が関係する韻文の面白さが、こうしたところにもある。

キツネ殿は、カラスにこう言う。

   « Et bonjour, Monsieur du Corbeau. (8)
Que vous êtes joli ! que vous me semblez beau ! (12)
       Sans mentir, si votre ramage (8)
       Se rapporte à votre plumage, (8)
Vous êtes le Phénix des hôtes de ces bois. » (12)
À ces mots, le corbeau ne se sent pas de joie : (12)

「こんにちは、カラス殿下。
なんとお美しいことでしょう! 何とご立派に見えることでしょう!
噓は申しません、あなた様のお歌声は、
あなた様のお体をおおう羽のようです。
あなた様こそ、この森にお住まいの方々の中で最もお美しい方です。」
その言葉を聞いて、カラスは嬉しさしか感じない。

5つの詩行から構成されるキツネの言葉は、フランス語詩の楽しさを満喫させてくれる。

まず韻を見てみよう。
おべっかを使い、カラスの口を開かせようという策略は、カラスが美しいと褒めることから始まる。
そこで、Corbeauとbeauと韻を踏ませ、カラスという単語(corbeau)そのものに、美(beau)が入っているのだから、カラスは美しいという。
「名は体を表す」というのは、古代からの真実なのだ。

しかし、口を開かせるためには、鳥を鳴かせないないといけない。
そこで、鳴き声(ramage)と羽毛(plumage)で韻を踏ませる。
外見と同じように声も美しい。

ラ・フォンテーヌは、おべっかが単調にならないよう、詩句のリズムに変化を持たせる。

音節数は、8−12−8−8−12と続く。
さらに、最初の8音節は、3/5のリズムで、奇数を交える。
2行目は、6/6で、joliとbeauを並行関係に置く。
3行目から4行目にかけては、苦またぎ(enjambement)を使い、« votre ramage se rapporte à votre plumage »と文を繋げ、リズムを変える。
そして、5行目では、12音節の詩句を6/6で区切り、最も安定した12音節の詩句を配置する。(Vous êtes le Phénix / des hôtes de ces bois. )

これほどリズムが変化に富み、意味と音が連動して、美しいと褒められたら、カラスでなくても有頂天になってしまうだろう。
もちろん、カラスも喜びを隠しきれない。
その様子は、カラスがあまりに喜び、それ以外の感情を感じられないほど。(le corbeau ne se sent pas de joie.)
ここでラ・フォンテーヌが動詞を現在形にしている。そのおかげで、読者は目の前でカラスを見ているような気持ちになってくる。

しかし、このおべっかには皮肉が込められている。
最初に、« Monsieur du Corbeau »という呼びかけがある。
この表現は非常に形式張っていて、カラスを持ち上げるために使われている。
そのことは、キツネがチーズを手に入れた後、今度は« Mon bon Monsieur »というくだけた呼び方になることからも理解することができる。

もう一つは、2行目。
最初は、美しい(vous êtes)と言いながら、次には、立派に見える(vous semblez)と、ニュアンスを加えている。
である(être)から、思われる(sembler)への移行にも、皮肉が込められている。

最後に、森(bois)と喜び(joie)の韻。
カラス殿下は、結局のところ、宮殿ではなく、森のフェニックスにすぎない。それなのに、褒め言葉を聞いて大喜びする。
boisとjoieを音で繋ぐところにも、巧妙な皮肉を感じとることができる。


bois – joieの韻は、次の詩句へと続く。

Et pour montrer sa belle voix, (8)
Il ouvre un large bec, laisse tomber sa proie. (12)
Le Renard s’en saisit, et dit : Mon bon Monsieur, (12)
              Apprenez que tout flatteur (7)
     Vit aux dépens de celui qui l’écoute. (10)
Cette leçon vaut bien un fromage sans doute. (12)
             Le Corbeau honteux et confus (8)
Jura, mais un peu tard, qu’on ne l’y prendrait plus. (12)

自分の美しい声を見せるため、
カラスは大きな嘴を開く。すると、獲物が落ちてしまう。
キツネは獲物を拾い、こう言う。「だんな、
覚えておきな。おべっか使いというのは、
耳を傾ける人のおかげで、生きていられるんだ。
この教訓、チーズ一つ分の価値はあると思いまっせ。」
カラスは、恥じ入り、困惑し、
少し遅いけれど、こう誓った、もう二度とひっかからない、と。

voix(声)とproie(獲物)の韻は、最初に出てきたfromage(チーズ)とlangage(言葉)と対応する。
キツネの言葉によって、カラスがチーズという獲物を取られてしまう物語。
その物語が、口を開け美しい声を出したために獲物を落としてしまい、チーズを取られることで完結するのである。
しかも、チーズを掴んでいた嘴(tenait en son bec)が、大きく開く(ouvrit un large bec)という表現で、再び取り上げられている。
こうした対応から、寓話の物語がここで終わっていることが、単語のレベルで示されていることが理解できる。

さらに、oi(ウァ)の音は、カラスの鳴き声を思わせるという指摘もある。
4行に渡ってカラスの鳴き声が響き、最後はチーズを落としてしまうと考えると、臨場感が一層増してくる。

それに続くのは、キツネの口から語られる教訓。
キツネは、レッスン(leçon)という言葉で、チーズ1個が、その教訓の実技に対する報酬だとカラスに告げる。

この教訓は、音節数の上でも、特別な扱いを受けている。
ほとんどの詩句が8音節か12音節で成り立っているのに対して、「覚えてな(Apprenez)」で始まる詩句は、7音節。
奇数の音節は、フランス語の詩句では、例外的にしか使われない。
それだけに、この詩句は際立っている。
さらに、« tou flatteur / Vit aux dépends… »と句またぎ(enjambement)が用いられ、« tout flatteurr »が前の詩句に置かれている(contre-rejet)ことで、強調されている。
このように、寓話の焦点が「おべっか使い」に当たるような詩句の構成が、音節数によって形体的に示されているのである。

それまで、カラス閣下などと呼ばれ、羽や声が美しいと褒められて、有頂天になっていたカラスの反応が、寓話の最後に記されている。
そこにも、ラ・フォンテーヌは、皮肉を込めている。

確かに、カラスはもう二度とこんなおべっかにはひっかからないと誓う。しかし、本当にもう騙されないのだろうか。
ラ・フォンテーヌは、その誓いは、少し遅すぎたと、あえて付け加えている。
「もう二度とひっかからない」というのはこれからのことだけれど、おだてに弱い人間は、また同じことにならないだろうか。
「少し遅い(un peu tard)」という表現には、どこかしら皮肉の影が感じられる。
いつの時代にもおべっか使いがいるように、それに騙される人間もいる。
イソップの時代から、「カラスとキツネ」という寓話があるにもかかわらず、人間はそうしたものだという考えが、そこには込められていないだろうか。

ラ・フォンテーヌの「カラスとキツネ」は今でもフランスでとても親しまれいて、色々な形で遊びの中に取り入れられている。

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