ディオニュソスとアプロディーテ 神秘主義について その3

神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/

その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギア

William Bouguereau, La jeunesse de Bacchus

2)陶酔とオルギア
陶酔状態においては、酒、薬物、愛欲などにより忘我(exase)の状態に入り、世界(他者)と私(自己)の自立性が消滅する。

宗教的な体験における、目に見えない超越的な存在と「私」との接触は、別の側面から見れば、「私」の存在を忘却することであり、自己からの解脱とも考えられる。

陶酔とオルギアの神話

陶酔をもたらすものは、酒、薬物、愛欲などであり、トランス状態での性的な放縦を伴う乱痴気騒ぎ(オルギア)を引き起こす。
その状態において、自己意識は失われ、他者や世界の存在も意識されない。その状態は、「雌猫アカの世界」あるいは「生そのもの」と近い状態を再現したものと考えることができる。

古代ギリシアにおいて、魂と肉体の分離がとりわけ明確に意識されるようになった。
ソクラテスは、人間の内面には魂があり、人生において価値があるのは、富や名誉ではなく、魂であると見なした。
プラトン哲学において、肉体は魂を閉じ込める牢獄であり、死とは肉体から魂が解放されることだと考えられる。
その考えの基礎にあるのは、肉体は滅びるが、魂は不滅、という思想。

陶酔の中で自他が一体化した状態は、自(魂)と他(肉体)の区分を乗り越えることを意味している。

ディオニュソス(バッカス)の神話

Rubens, Bacchanal

ディオニュソスはギリシア神話での名前。ローマ神話ではバッカスと呼ばれる。
豊穣と酒の神であるディオニュソスの神話は、死と酩酊と狂気と狂乱に彩られている。

ディオニュソスの出生は、死に彩られている。
父であるゼウスは、人間の女性であるテーベの女王セメレーと交わる。それを知ったゼウスの妻ヘーターは、嫉妬心から、ゼウスの本当の姿を見るようにとセメレーに仕向ける。そして、ゼウスは神本来の姿で姿を現し、人間の女性であるセメレーは火に包まれて焼け死んでしまう。
その時、ゼウスはセメレーのお腹に中にいるディオニュソスを自分の股の中に埋め込み、臨月までかくまった。
このエピソードは、死と再生の神話に属している。

成長したディオニュソスは、ブドウの栽培とワインの製法を広める酒の神となった。彼の後には、酒に酔い、踊り、狂乱する信者たちが従い、ディオニュソス信仰を普及するため、各地を遍歴する。
酒によって引き起こされた忘我の状態の中で乱舞する熱狂的な女信者たちは、マイナデス(Manadès)とかバッカスの信女(Baccahantes)と呼ばれた。

古代ローマの建物がそのまま残っているポンペイの秘儀荘では、ディオニュソス信仰を描いた壁画を見ることができる。

こうした信仰のベースは、酩酊であり、狂乱の中における陶酔。つまり酔いによって我を忘れる状態の中で、自と他の区別がなくなり、「生」そのものを体験すること。
意識化された現実の中では、時間や空間の枠組みがはめられ、人間はその制約の中でしか生きることができない。
ディオニュソスの信仰は、その制約からの解放に基づいている。

アプロディーテ(ウェヌス、ヴィーナス)の神話

アプロデーチは、愛と性と美の女神。
本来は、豊穣を象徴する地母神に由来し、生殖と豊穣の女神、すなわち春の女神でもあった。
その後、生殖を転回点にして豊穣から愛へと力点を移し、美と結びつくのは自然な流れといえるだろう。

Cornelis Holsteyn, Venus and Cupid lamenting the dead Adonis

地母神的な側面は、美少年アドニスとのエピソードの中に色濃く残っている。
アプロディーテは少年神アドニスの美しさに惹かれ自分の保護下に置くが、ある時、アドニスはイノシシの牙にかかって命を落としてしまう。その殺害の起こった大地に血を注ぐと、アネモネの花が芽生える。
アドニスの死後、シリアやギリシアでアドニス祭りが行われたが、それは穀物の死と再生を祈願する物語を儀礼化したものだった。

しかし、アプロディーテに置いて、地母神的な側面以上に、愛と美の女神としての側面がはっきりとしている。

古代ギリシアのヘシオドスによれば、アプロディーテ(Aphrodītē)は、天空の神ウーラノスの男根を農耕の神クロノスが切り落とした時、男性器にまとわりついた泡(aphors)から生まれたとされる。
そして、生まれてすぐ西風(Zephyros)に乗ってシテール島(キュテラ島)に運ばれる。

Botticelli, La naissance de Vénus

ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」では、貝殻のうえに立つヴィーナス(アプロディーテ)が、西風に吹かれて岸へと運ばれ、季節の女神ホーラによって花で覆われた服を着せられようとしている姿が描かれている。
この絵画は、アプロディーテが愛と美の女神であることを、一目でわからせてくれる。

Antoine Watteau, Le Jugement de Pâris

トロイア戦争は、アプロディーテの美しさが原因となって勃発する。
祝宴に招待されなかった争いの女神エリスが、「最も美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴを神々の座に投げ入れる。
ゼウスは、そのリンゴが、ヘーラー、アテナ、アプロディーテという三人の女神のうちで誰に相応しいか、トロイアの王子パリスに審判させる。
そのリンゴを得るため、ヘーラーは権力を、アテネは武力を、アプロディーテは美女を、パリスに約束する。
パリスは、アプロディーテを選択し、彼女の助力で、スパルタ王の妃ヘレネーを奪い取ることになる。

こうしたアプロディーテは、愛と美をつなぐ存在ではあるが、その一方で、人間の情動を突き動かし、生命の源泉ともなる非合理な性の衝動にもなる。
その人間的な次元では、性的な恍惚に限定され、日本ではエクスタシーという言葉が性的な意味でしか理解されないことが多い。
しかし、その場合でも、恍惚感の中で我を忘れ、自己と他者の区別を意識しないほど合一するという意味では、「生」そのものの体験であるといえる。

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