
ジェラール・ド・ネルヴァルは、しばしば、狂気と幻想の作家と言われてきた。
しかし、彼の声に耳を傾けて実際に作品を読んでみると、その場その場で話題になっていることを、面白可笑しく、時に皮肉を込めて、友だちと話すのが大好きな人間の姿が見えてくる。
ちょっと内気で、あまり大きな声ではない。やっと4,5人の友だちに聞こえるくらい。でも、調子づくと、脱線しながら、面白い話が次々に出てくる。
1852年に『イリュストラシオン』という絵入り雑誌に5回に渡って掲載された「10月の夜」は、そうしたネルヴァルの語り口をはっきりと感じさせてくれる。
ユーモアに溢れ、貧しい階層の人々に対するシンパシーと、格差社会に対する皮肉がちりばめられている。
当時、モンマルトルはまだパリ市の外にあり、場末で危険な場所だった。そこにわざわざ夜になってから入り込み、ふらふらと歩き回って、雑誌の読者たちの知らないような場末の様子をルポルタージュする。
絵画では、ギュスターブ・クールベの「オルナンの埋葬」(1849−50)が大きなスキャンダルを引き起こし、レアリズムが話題になっていた。
美しいものを美しく描く絵画ではなく、目に見えるものを見えるがままに描く絵画。「オルナンの埋葬」は、そうした現実主義的な様式の先頭に立つものだった。

ネルヴァルには、レアリズムに共感するところと、そうでないところがあった。
神話や歴史といった伝統的な主題ではなく、自分たちの時代の社会を作品の対象にする。しかも、高級な市民生活ではなく、底辺近くにいる人々を描く。そうした点で、ネルヴァルはレアリズムの側にいる。
他方で、彼が目指すのは、韻文だけではなく、散文でも、ポエジーを産み出すこと。単に現実をありのままに再現することが目的ではなく、例え悲惨な現実に直面しながらも、ユーモアと皮肉を交えて語る。音楽性を考え、軽快なテンポで現実を昇華させ、楽しく美を感じられる読み物を作り出す。
その意味で、唐突な比較だが、チャプリンの初期の映画を思わせるところがある。
21世紀の日本に生きる私たちでもそうしたネルヴァルの言葉が産み出す効果を感じることはできる。しかし、他方で、大きな困難もある。
彼は気心の知れた仲間内で、その場を盛り上げるタイプの人間。だから、話題について、みんな情報を共有していることが前提になっている。
例えば、パリ近郊の町の名前、モンマルトルのレストラン、当時話題になってた有名人。映画「天井桟敷の人々」に描かれるような街並み。モンマルトルの石切場の荒れ果てた様子、等々。


私たちはそうしたことをほとんど知らない。そこで、わからないと思う部分がどうしても出てくる。知らない固有名詞のオンパレード、という印象を受けるかもしれない。
その場合でも、知らないことは知らないで済ませておき、町なら町、人の名前なら人の名前だと思うくらいで、ネルヴァルの語りについていく。そうしていると、自然に、19世紀半ばのパリやパリ近郊の町に入っていく感覚を味わうことが出来る。
ちょうど、タイムマシンに乗って過去を旅行する感じ。今から170年前のモンマルトル、しかも、夜のモンマルトルを散策し、人々と言葉を交わす。そんな体験は、言葉の世界でなければ、決して味わうことができない。
『イリュストラシオン』に掲載された最初の記事は、1852年10月9日のもの。その記事から読んでいこう。
ジェラール・ド・ネルヴァル
「十月の夜」 パリ、パンタン、モー
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パリ
1.リアリズム
時とともに、長い旅行をしたいという気持ちが消え失せてきている。ただし、祖国を外国のように感じるほど長く旅するのなら別だけれど。行動範囲がどんどん小さくなり、少しずつ家の回りだけになってきている。—— 今年の秋は、それほど遠くに行けないので、モーへの小さな旅を計画した。
最初に言っておきたいのだが、ポントワーズはもう見たことがある。
そうした小さな町が、ぼくは大好きだ。パリという輝かしい中心から40キロくらい離れていて、慎ましやかな惑星のような町々。40キロというのは、夕方戻って来ようと思うには遠すぎる。—— 翌朝、同じ目覚ましの音で目を覚ますことがないのは確かだ。忙しい2日の間で、穏やかな朝を迎えることもできる。
可哀相に思うのは、静かさや一人になることを求めながら、パリ郊外の町アニエールで無邪気に目を覚ます人たち。
モー行きを思いついた時、すでに正午を過ぎていた。その時は、今月の一日に、ストラスブール行きの汽車の出発時間が変更になったことを知らなかった。—— 3時半まで待たないといけない。
ぼくはオートヴィル通りを下る。—— ぶらぶら散歩している一人の男と出会う。もし暇を持て余していなければ、彼に気づかなかっただろう。その男は、最初に天気のことをちょっと口にし、その後すぐに哲学のある問題に関する議論を始めた。ぼくの方でもそれに答えて論を展開。その間に、3時の汽車に遅れてしまう。—— それが起こったのは、モンマルトル大通りだった。一番簡単なのは、アプサントを飲みにカフェ・ヴァシェットに行き、その後、デジレとボランのレストランでのんびり夕食を取ることだった。
幾つかの新聞の政治欄はすぐに読んでしまった。次に、「英国レヴュー」をパラパラとめくり始める。チャールズ・ディケンズの書いたものが翻訳されていて、数ページ読んでみたら面白かったので、記事を全部読んでしまった。「通りの鍵」という題名。
イギリス人達はラッキーだ。観察だけでいい。小説の作り物っぽい要素がない章を、書くこともできるし、読むこともできる! パリでは、色々な逸話や感傷的な物語があちこちにちりばめられているものが要求される。—— 結末は死か結婚のどちらか。我々の隣人のリアリスト的知性は、絶対的な真実だけで満足できるんだ。
実際のところ、小説は、人生における奇妙な結びつきの効果を表現するようになるのだろうか。フランス人は人間を作り出す。—— でも、人間を観察することはできない。裁判所の記録に記された面白おかしい事件、悲劇的な事件、そうしたものよりも好ましい小説があるとしたら、どんなものだろう。
キケロがお喋りな弁護士を批判したことがあった。その弁護士は、依頼人が船に乗ったと言えばすむのに、次のように表現した。「彼は起きる—— 服を着て、扉を開く—— 足を家の出口の外に出す—— フェルミニア通りを真っ直ぐ進む—— テルム広場に着く、云々、云々。」 その旅行者はこんな調子で港にたどり着けるだろうかと、誰もが思うだろう。でも、すでに読者は彼に興味を持つようになっている。ぼくなら、その弁護士が饒舌すぎると思はない。それどころか、依頼人の姿形はどんなだとか、彼の家の描写とか、通りの様子をもっと教えてくれなどと頼んだだろう。何時だったのか、天気はどうだったのか等も知りたいと思っただろう。—— しかしキケロは型にはまった雄弁家であり、弁護士の方は本物の雄弁家としては不十分だった。
2.友だち
「で、それが何を証明するのだろう。」――ドゥニ・ディドロが言いそうな言葉だ。
上のことが証明しているのは次のこと。ぼくが出会った友だちは、根っからの’野次馬’の一人。ディケンズに言わせるとしたら、’ロンドンっ子’。 —— フランスの文明や首都ではよく見掛ける人間。誰でも20回は見たことがあるだろうし、友だちの一人かもしれない。—— でも、彼の方が人に気づくことはない。彼は夢の中を歩いている。『イリアッド』(17)の神々が時に雲の中を歩くみたいだ。しかし、立場は逆。みんなにはその友だちが見えるが、友だちにはみんなが見えない。
友だちは一時間もの間、鳥を売っている店の前に留まり、デュポン・ド・ヌムールの残した音声学辞典に基づいて、鳥の言葉を理解しようとする。ド・ヌムールは、ナイチンゲールの言語だけで、1500もの言葉を確定した。
歌手とか靴墨売りを取り囲む人だかり、言い争いや闘犬など、どんなものでも、友だちがぼんやりと瞑想するのを止めないものはない。手品師は必ず友だちからハンカチを借りる。ハンカチなら持っていることがあるんだ。時には五フラン硬貨を借りる。でも、硬貨をいつも持っているわけではない。
友だちについていくと、大喜びする。とりとめのない話、原則論、結末の見えない論証、別世界の物語、そうした話を聞いてくれる人がいるからだ。「知っていることについて、そして、それ以外のことについて」も話すだろう。4時間も。肺に力が入り、暖まる。話を止めるとしたら、通行人が回りを取り囲んでいるのに気づくか、カフェのボーイがベッドを整えるのに気づく時。でも、ガス燈の灯りを消すまでは待つ。消したら、立ち去らないといけない。—— 友だちを、今しがた得た勝利に酔い痴れさせておこう。弁証法のあらゆる手法を我が物にしているんだ。やりあったら、どんな話題にしたところで、絶対に言い負かすことはできない。真夜中になると、誰もが恐る恐る門番のことを考える。—— でも、友だちはというと、門番を心の中で葬ってしまっている。少し遠くに散策に向かうか、もっと簡単にすますなら、モンマルトルに行く。
実際のところ、モンマルトルの丘を真夜中にぶらつくのは、なんて気持ちのいい散歩だろう。星がキラキラと輝いていて、バター風車の方では、ルイ一三世の子午線に沿って、星を定期的に見ることができる。そんな時間にぶらつく人間は、泥棒を怖がったりはしない。泥棒の方でも彼を知っている。—— いつもお金がないわけではない。時にはお金がある。でも、泥棒もわかっている。もしもの時になると、そいつはナイフを使う。目に入った棒を拾い、’四方向に振り回す’ことがあるかもしれない。殴り合いに関しては、ロゼーズの弟子。ただし、剣術はやらない。尖った切っ先が好きじゃないんだ。—— 拳銃も真面目に練習しなかった。銃弾には番号が付いていると思っているからだ。
3.モンマルトルの夜
ぼくの友だちは、モンマルトルの石切場で寝ようと考えたわけではない。石灰工と時間をかけて話をするつもりだ。石切工に、大洪水以前の動物に関することを教えてもらうこともある。キュビエが地質学の調査をしていた時に仲間だった年老いた石切工のことを聞いてみたりもする。まだ生きている人もいるのだ。彼等は無愛想だけれど、知性があり、何時間もの間、燃えさかるかがり火の下で、怪獣たちの話を聞いてくれるだろう。骨の破片を今でもまだ目にすることがあるんだ。地球が最初に色々と変動した様子にも耳を傾けてくれるだろう。—— 時々、一人の浮浪者が目を覚まし、静かにしてくれと言うことがある。でも、すぐにみんなで黙らせてしまう。
あいにく今では大きな石切場はみんな閉鎖されている。以前であれば、シャトー・ルージュの方に一つ大きな石切場があった。高い柱が四角い天井を支えている様子は、ドルイド教の神殿のよう。地底の奥深くを覗いてみる。—— すると、我々の祖先が信仰していた恐ろしい神々、エシュスやトーやセニュノスが抜け出してくるのが見え、みんな震えたものだった。
今残っているのは、クリニャンクールの方にある二つの石切場だけ。そこなら住むことができる。でも、どこもかしこも労働者で溢れている。半分は眠っていて、後からもう半分の人たちと交代する。—— そんな風にして時代の色が変わっていく!—— 泥棒は寝場所がどこにあるか、いつでも知っている。一般論で言えば、石切場で逮捕されるのは、交番に寝かせてくれと頼む勇気のない正直な浮浪者か、丘から下りてきたはいいが、もっと先まで歩くことができない酔っ払いだけだ。
クリシーの方には、時々、巨大なガス管がある。後で使うために用意され、持っていかれる心配がないので、外に置かれている。以前、大きな石切場が閉鎖された後は、そんなガス管が、浮浪者たち最後の避難所だった。でも、彼等は追い出されてしまった。ガス管から、五人六人と連なって出てきた。管の片端を銃の床尾で叩くだけでよかった。
出てきた一人に、警視が親切そうな様子で、いつからこの住み処にいるのかと声を掛けた。「家賃の支払期限が切れた後から。」「ここにいるのはひどく大変だと思わなかったのか。」「それほどでも。。。それに、考えてみてください。朝はベッドの上でぶらぶらしていられたんです。」
ぼくは友だちからモンマルトルの夜に関するこうした細々とした話を聞き、今こうして書いている。とにかく、次のように考えることはいいことだ。旅立つことができない時、旅行の服を着て家に戻るのは無駄。もし家に戻ったら、どうして二度も電車に乗り遅れたか説明しないといけなくなる。—— ストラスブール線の最初の汽車は、朝7時発。—— それまで何をしよう。
4.おしゃべり
「もう夜になっちゃったから」、と友だちが言う。眠くなければ、どこかに夕飯でも食べに行こう。—— メゾン・ドール、あそこはいろんなお客がいるから、よくない。娼婦もいれば、証券所で働く奴らの四分の一はいる。若い時に最先端をいっていた奴らの残党もいる。今みんな40歳――でも奴らは60歳みたいさ。突っ張る前の若い奴らを探そう。ぼくが一番傷つくのは、歳を取った奴が今でも若者みたいに振る舞うこと。ブランカとかーーサン・クリックなら別だけど。サン・クリックのこと、知らなかった?
――ううーん、その反対。
――カフェ・アングレで、あのすごいサラダを作らせたのは彼なんだ。ホット・チョコレートのカップが幾つも乗ったやつ。時々、遊びで、チョコとサラダを混ぜたりしていた。そのことで誰の気分も害さなかった。ところがだ! 生真面目な遊び人とか、駆け出しの外交官とか、副長官クラスの役職になりたがっている奴とか、劇場とか何かの支配人—— 未来の支配人だけれどね。—— 彼等が、サン・クリックを可哀想にも出入り禁止にした。追放されて、—— 当時ぼくらはそんな言い方をしていた—— 、サン・クリックはすごく気の利いたやり方で復讐した。彼はカフェ・アングレに入るのを拒否された。どこから入ろうとしてもだめだった。そこで、店の扉をナイチンゲールと一緒に襲ったらどうかとか、—— 舗石でがんがん叩いたらどうかとか、考えてみた。でも、一つの考えが彼を押しとどめた。「無理に侵入しない。破壊もしない。それより、友だちの警視総監に会いに行った方がいい。」
辻馬車を1台つかまえる。2台。もし広場に40台いれば、40台つかまえたことだろう。
朝の1時、エルサレム通りに大音響が響いた。
—— 私はサン・クリック。正義を求めてやってきました。—— たくさんの・・・ガキども。いや、チャーミングだけれど、わからず屋。そう、結局、わかっていないんです。ジスケさんはどこですか?
—— 長官は就寝中です。
—— 起こしてください。とても重要な新事実をお伝えしたいのです。
そこで、長官を起こすことになる。政治的な陰謀だと思ったからだ。サン・クリックの方では気を静める時間があった。落ち着いて、綿密で、完璧なジェントルマンに戻り、礼儀正しく高官に接し、長官の家族、回りの人々のことを話題にし、社交界での出来事なども物語る。そして、彼サン・クリックが、あるカフェで静かに夕食をとることができないと、少しばかり驚いた様子をしてみせる。そこは彼の行きつけのカフェなのだ。
長官は疲れてしまい、人を彼について行かせる。カフェ・アングレに戻ると、付いてきた役人が店の扉を開ける。サン・クリックは勝ち誇った様子をして、いつものサラダとホット・チョコレートを注文する。そして敵たちを糾弾する言葉を投げかける。
「私がここにいるのは、我が父と警視総監様のご意向による。云々。そして、ここから出ることはない。云々。」
君の話はとっても面白い、とぼくは友だちに言う。でも、もう知っていたよ。—— ぼくがずっと聞いていたのは、君がどんな風に話すか聞くためだったんだ。ぼくたちはあの男の面白おかしい行動は全て知っている。すごかったことも、衰えてしまったことも。—— 40台の辻馬車とか—— アレルとの友情、コメディ・フランセーズとの訴訟も。訴訟は、彼がモリエールをあまりにも高く評価していたためだった。—— 当時の大臣たちを‘操り人形’みたいに扱ったこともあった。もっと上の方にまで嘆願したことさえあった。。。でも世間がそんな奇抜なことを許すことはなかった。—— 陽気でいい、しかし、その場にふさわしくあろう。それが賢者の言葉だ。
5.ロンドンの夜
「えーと。もし「上品なとこ」で食べないんだったら、」と友だち。—— 「こんな時間にどこに行ったらいいのかわからない。中央市場じゃまだ早すぎる。あそこは、混んでいる時の方が好きだ。—— タンプル大通りにある‘エピ・シエ付近’って名前のカフェ。あそこにあるのは1フランの夕食メニュー。男のモデルも女のモデルもいた。—— 彼等は、時には、絵画に描かれる場面を舞台で演じて見せる出し物や、いろいろなポーズを再現する芝居、ボードヴィルにも出てたりする。—— トリマルシオンの宴とか、カプリ島の老ティベールの宴みたいなものさ。あそこも閉店したよ。
—— なぜ。
—— こっちが聞きたいよ。ロンドンに行ったことはある。
—— 3回ほど。
—— じゃあ、ロンドンの夜の華やかさは知っているよね。ただ、イタリアの太陽が足りないけどね。マジェスティー・シアターとか、ドルリー・レインとか、コベント・ガーデンとか、マダム・セレストが経営してるストランドの可愛いボンボン屋でもいいんだけれど、そういうところから外に出る時は、魂が高揚してる。騒々しい音楽、気持ちをかき立てる音楽、(それがまさにイタリア人だ!)、何か分からないピエロの滑稽な仕草、ボックス(拳闘場)で見る拳闘なんかのせいだ。高揚している魂が感じていることがある。門番がいず、門番を発明しなかったこの幸福な町ロンドンで、ひどい緊張状態から回復する必要があるってこと。だから、みんな、‘牛ハウス’や、‘牡蠣の家’とか、集会、クラブ、サロンなんかに駆け込むのさ。
—— で、何を言いたいんだ。ロンドンの夜は確かに気持ちがいい。パラダイスの続きみたいでもあれば、‘地獄’の続きみたいでもある。どっちになるかは持ち金次第。‘ジン・パレス’(オランダジンの館)はガス燈や鏡や金箔で輝いている。イギリスの上院議員もくず屋もいて、みんな酔っ払う・・・。 やせっぽちの小娘が花をサービスする。ダンス場や階段席のある劇場の女性たちは、歩いて帰る時、イギリス風に身体がぶつかる位に近づき、上院議員夫人みたいな気まぐれさで目をくらませる! ビロード、イタチの毛皮、ダイヤモンド等々、女王陛下の劇場みたいさ!・・・。 だから、あの貴婦人たちは、実は・・・。
―― もうそれ以上は言わないこと!
「ジェラール・ド・ネルヴァル 「10月の夜」ユーモアと皮肉 Gérard de Nerval « Les Nuits d’Octobre » humour et ironie 1/5」への1件のフィードバック