ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 2/6 アレンジの美学

ジェラール・ド・ネルヴァルは一度だけ「美学(esthétique)」という言葉を使ったことがある。
その美学とは、「アレンジ(arrangement)」に価値を置いたもの。彼の美学では、アレンジが「構成(composition)」と同列に置かれる。

アレンジとは、本来、配置や配列をすること。そこから発展して、すでに存在する原型の配置や配列に手を加え、最初とは違う雰囲気に作り替えることを意味する。
日本語でも、音楽に関しては、原曲をアレンジするといった表現がしばしば使われる。

ネルヴァルの考えで興味深いのは、アレンジ(編曲)と創作や作曲を同じものと見なすことにある。
言うなれば、編曲した曲を、原曲とは別の、新しい曲と見なす。
独創性という視点から見れば、盗作を堂々と認めることになってしまう。

ネルヴァルは、アレンジの美学を通して何を考え、どのような作品を生み出そうとしていたのだろう。

「何を」ではなく、「どのように」

1852年に発表した「10月の夜」の中で、「私(je)」は友人と二人で夜のパリをふらふらと歩き回り、どうでもいいような話をして時間を潰す。そうした中で、友人はサン・クリックという変な男の話をする。

サン・クリックは、レストランでサラダにチョコレートを混ぜて食べようとしたけれど、レストランにいた客たちが彼の行為に反対し、警視総監まで巻き込んだいざこざを引き起こしたのだった。
(「10月の夜」の翻訳は、以下の項目。https://bohemegalante.com/2020/05/06/nerval-les-nuits-doctobre-1/2/ 第4章「おしゃべり」)

その話を全て聞き終わった「私」は、友だちに向かってこう言う。

— Ton histoire est jolie, dis-je à mon ami, mais je la connaissais, — je ne l’ai écoutée que pour l’entendre raconter par toi.  (Les Nuits d’octobre)

「君の話はとっても面白い。」とぼくは友だちに言う。「でも、もう知っていたよ。—— ぼくがずっと聞いていたのは、君がどんな風に話すか聞くためだったんだ。」

原曲とアレンジの関係で言えば、サン・クリックの話の骨格が原曲であり、それを友だちがどのように話すかがアレンジになる。

ネルヴァルが「10月の夜」を雑誌に掲載した時代、サン・クリックの奇妙な振る舞いが話題になり、多くの人がサラダの話も知っていたに違いない。「私」も友人も仲間なのだから、同じ環境に生き、多くの話題を共有していたはず。話すことはだいたい分かっている。
そうした中で、「私」が話を最後まで聞いていたのは、友人の話し方に興味があったから。
だとすれば、「何を」語るかという主題ではなく、「どのように語るか」という語り方に焦点を置いたことになる。

「何を」よりも「どのように」を中心にした美学に関して、ネルヴァルはすでに1830年に出版した16世紀の詩選集の序文でも、美学のポイントとして強調していた。
https://bohemegalante.com/2021/01/03/esthetique-nerval-1/

Eh bien ! nous autres Français, qui attachons toujours moins de prix aux choses qu’à la manière dont elles sont dites, nous nous en laissions charmer, ainsi que d’un accord mille fois entendu, si l’instrument qui le répète est mélodieux. (Introduction aux choix des poésies de Ronsard)

そうだ! 私たちフランス人は、事物そのものよりも、どのように言われるかに価値を置くのが常なのだ。私たちがそうした詩(同じテーマの短詩)に魅了され続けるのは、すでに何千回となく耳にした和音でも、それを反復する楽器が美しい調べを奏でれば魅了されるのと同じこと。

1830年には、「美しい調べ(mélodieux)」という部分、つまり音楽性に力点が置かれているが、「主題(sujet)」よりも「様式(manière)」を文学の本質と考えている点で、同じ発想の上に立っている。

こうした考え方は、実は17世紀フランスの古典主義芸術理論に基づいている。
作品の主題は、古代ギリシア・ローマの神話、聖書、歴史から選ぶものであって、すでに誰もが知っている。
芸術家の技量は、それをどのようにアレンジするかにかかっていた。
ラシーヌの『フェードル』のような悲劇だけではなく、ラ・フォンテーヌの『寓話』もイソップ寓話の焼き直しだし、ペローの昔話にしても民話を語り直したもの。

新しい主題や物語を発明し、そこに独創性を見出すという考え方は、19世紀に出来上がったもの。
新しいものを発明したり発見するのが「天才(génie)」であり、そこで生み出されたものに著作権を認める。
現代でも続くこうした「天才の神話」は、ネルヴァルの時代に確立しつつあった。

では、なぜネルヴァルは、「アレンジの美学」を選択するのだろう?

「10月の夜」が発表された1852年頃、美術界ではクールベの「オルナンの埋葬(Enterrement à Ornans)」等の絵画がセンセーションを巻き起こし、文学界も含めレアリスムの動きが活発になっていた。

レアリスム絵画に対する批判は、なぜ醜い現実を、醜いままで描くのか、というもの。
絵画は美の追求のはずであり、現実を美化せず描くことは、美の基準に反していると言われた。
現実の社会をレアリスム的に写実するのであれば、当時発明されたばかりの写真機の原型(ダゲレオタイプ)で撮影するのと同じになってしまう。

ネルヴァルは、後で説明するように、決して古典主義の芸術理論に賛同しているわけではなく、ロマン主義的作家だが、しかし、レアリスムにも賛同しない。
いかにもネルヴァルらしく、レアリスムに対してくすっと笑えるような皮肉を飛ばす。
(「10月の夜」16章「ポール・ニケ」 https://bohemegalante.com/2020/05/18/nerval-les-nuits-doctobre-3/ )

Si tous ces détails n’étaient exacts, et si je ne cherchais ici à daguerréotyper la vérité, que de ressources romanesques me fourniraient ces deux types du malheur et de l’abrutissement !  (ch. 15)

こうしたことの細かい点が正確ではなく、もしぼくが真実をそのまま写真に撮ろうとしていないのなら、ここで目にしている不幸と愚かさに関する二つの典型的な型が、どれほど多くの小説的なネタをぼくに提供してくれることだろう! 

「真実をそのまま写真に撮ろう(daguerréotyper la vérité)」としていると真面目くさって言うネルヴァル。
しかし、彼がパリを徘徊しているのは真夜中であり、太陽はない。従って、写真を撮れるはずがない。
こんな風にして、ネルヴァルは、現実をそのまま写し取るという芸術観に対して皮肉を飛ばす。

では、現実をダゲレオタイプすることのどこに、問題を感じているのだろうか。
現代では写真が芸術の一つとして認められているので、一人一人のカメラマンによって同じ対象を撮影しても違う写真になると考えられている。その考えを当てはめたら、ネルヴァルの時代の写真術に関する考えは理解できない。当時であれば、写真機で写真を撮れば、誰が撮ってもも同じ写真ができると思われていた。
写真機(ダゲレオタイプ)を使うと、撮影者の役割はボタンを押すだけであり、誰がボタンを押しても結果は同じということになる。

ネルヴァルがレアリスムの芸術論に対して批判的なのは、その点に他ならない。
同じ対象を描くにしても、画家であれば、画家の描き方によって違う作品が出来上がる。
写真機だと、誰が撮っても同じになってしまう。
としたら、「私」の主観は、「何を」以上に、「どのように」に反映する。

文学でも同じことが言え、同じパリの場末を描くにしろ、作家によって必ず違いはある。
1850年前後のレアリスムは、客観的な写実を主張し、そこから主観性が排除される傾向にあった。
ネルヴァルはそうした傾向を揶揄して、夜にダゲレオタイプで撮影するといったことを真面目くさった顔で言う。
そして、友だちとの会話を通して、彼の興味は「どのように」にあった。そこにこそ、友だちの「私」が反映した話の面白さを見出だしていたからである。

「どのように」語るかに重きを置くネルヴァルの「アレンジの美学」は、以上のようなものだと考えることができる。

芸術家の神話

「アレンジの美学」をネルヴァルが明確に意識したのは、エジプト・シリア・トルコに滞在した1843年のことか、あるいはその体験を綴った紀行文を1844年から執筆し始め、1851年に『東方紀行(Voyage en Orient)』として出版する間だろう。

カイロで大ピラミッドの上に登った時、— 当時はピラミッドの上に観光で登ることができた! — ピラミッドを形成する石の間にある大理石の洞穴のようなところで、ドイツ人の軍人が、かつてピラミッドの中で行われたという秘密結社の入門式の試練について話をする。

Ces bizarres cérémonies des initiations tant de fois décrites par les auteurs grecs, qui ont pu encore les voir s’accomplir, prenaient pour nous un grand intérêt, les récits se trouvant parfaitement en rapport avec la disposition des lieux.
 « Qu’il serait beau, dis-je à l’Allemand, d’exécuter et de représenter ici la Flûte enchantée de Mozart ! […] Imaginez-vous la voix tonnante de Zarastro résonnant du fond de la salle des pharaons, ou la Reine de la nuit apparaissant sur le seuil de la chambre dite de la Reine et lançant à la voûte sombre ses trilles éblouissants. Figurez-vous les sons de la flûte magique à travers ces longs corridors, et les grimaces et l’effroi de Papayeno, forcé, sur les pas de l’initié son maître, d’affronter le triple Anubis, […].

入門儀礼のこうした奇妙な儀式は、これまでギリシア人の作者たちによって何度も描かれてきた。彼らはこの儀礼が行われるのを見ることができたのだった。私たちにとってもこの儀式は非常に興味深い。というのも、そこで語られることは、この場所の配置と完全に一致しているからだ。
 「どんなに素晴らしいことでしょう。」と私はドイツ人に言った。「ここでモーツアルトの「魔笛」を演奏し、上演できたら!(中略)想像してみてください。ザラストロの雷鳴のような声がファラオンたちの部屋の奥から響いてくるのを。夜の女王が「王妃」の間と呼ばれる部屋の入り口に姿を現し、暗い丸天井にまばゆいトリルを歌いかけるのを。思い描いてください。魔笛の音が長い回廊を通って聞こえるのを。しかめ面をし怖がっている様子のパパゲーノは、主人である秘伝伝授者の後に従いながら、3つの顔を持つアヌビスと向かい合わなければならないのです。(後略)」

Moreau le Jeune, Scene d’initiation

「魔笛」はフリーメイソンの秘伝伝授のための修行と試練に基づいていると言われる。
ネルヴァルはその原型が、古代ギリシア人たちによってすでに何度も語られてきた儀礼だと考える。つまり、一つの儀礼があり、それが様々に語り直されきた。モーツアルトのオペラもその語り直しということになる。

ピラミッドの内部の空間でモーツアルトの「魔笛」を上演するという発想自体、夢をそそられるものがある。そのことは、原型的な物語をもう一つ別の語り方で語ることでもある。
「何を」はすでにわかっている。「どのように」に価値があるという発想を、ここでも垣間見ることができる。


トルコの首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)に滞在中には、カフェで、ソロモン王とシバの女王、建築家アドニラムの物語を何日にも渡って聞くことができる。

「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語(Histoire de la Reine du Mation et de Soliman, prince des génies)」と題されたその話は、アドニラムを主人公とし、ネルヴァルが自分の芸術観を語った芸術家小説という読み方もできる。

カフェで語り部が話を始める前、ネルヴァルは「アレンジの美学」に言及する。

 Ces conteurs de profession ne sont pas des poëtes : ce sont, pour ainsi dire, des rapsodes ; ils arrangent et développent un sujet traité déjà de diverses manières, ou fondé sur d’anciennes légendes. C’est ainsi qu’on voit se renouveler, avec mille additions ou changements, les aventures d’Antar, d’Abou-Zeyd ou de Medjnoun. 

ここにいるプロの語り手たちは詩人ではない。吟遊詩人(ラプソード)と言ったほうがいい。彼らは一つの主題をアレンジし、発展させる。その主題は、すでに色々なやり方で扱われていたり、古い伝説に基づいていたりするものだ。そんな風にして、アンタールやアブ—ゼード、メジュヌンの冒険物語が、数多くの付け足しや変化を加えられながら、新しくなっていくのが目にされる。

カフェの語り部たちは、新しい物語を語るのではなく、古い伝説を語り継ぐ。
その際に、伝承に基づきながら、変形を加え、ある部分を削ったり付け足したりする。そうしてアレンジを施された語りが、新しい物語として継承されていく。
その継承に命を与えるのは、新しいアレンジだ。
ここでネルヴァルは、「アレンジする(arranger)」と「新しくなる(se renouveler)」という言葉を使い、語り方が新たなものを作り出すことをはっきりと示している。

「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語」では、アレンジ、つまり様式(manière)の種類についても語られる。

1つ目は、ソリマンに代表される様式。
ソリマンは一般にはソロモン王と呼ばれ、古代イスラエルの最盛期を築いた王であると同時に、歌の中の最高の歌とされる「雅歌(Cantique des Cantiques)」の作者であるとも考えられている。

物語の中のソリマンは、古典主義的な美を代表する。
彼は、シバの女王を守護する小鳥から美的趣味を揶揄されたように感じた時、次のように答える。

Je répondrai à l’oiseau qui sert si bien votre penchant à la raillerie, que le goût oriental permet ces licences, que la vraie poésie recherche les images, que mon peuple trouve mes vers excellents, et goûte de préférence les plus riches métaphores… (II. Balkis)

「この鳥は、人を揶揄するあなた様の傾向を手助けしていますが、私はその鳥にこう答えます。オリエント的な趣味は、放縦を許容します。真実の詩はイメージを求めます。我が民衆は私の詩を優れたものと見なし、最も芳醇な隠喩を喜んで味わいます。」(2章、バルキス)

「雅歌」は男女の愛の歌であり、時に放縦と見なされることもある。ソリマンの返答の最初の部分はそのことを意識している。
その後、ソリマンは「真実の詩(vraie poésie)」に関して、「イメージ(images)」と「隠喩(métaphores)」を本質的な要素として挙げる。この二つは、別の箇所で言及する「左右対称(symétrie)」と共に、伝統的な詩の定義と一致する。

このソリマンの美学に対して、シバの女王は批判的な態度を示す。そして、建築家アドニラムの建造物を擁護する。

— Soyez clément, ô roi ! repartit avec douceur la reine de Saba, envers l’artisan du monument de votre gloire. Les siècles marchent, la destinée humaine accomplit ses progrès selon le vœu du Créateur. Est-ce le méconnaître que d’interpréter plus noblement ses ouvrages, et doit-on éternellement reproduire la froide immobilité des figures hiératiques transmises par les Égyptiens, […] ? Redoutons, grand prince, comme une négation dangereuse l’idolâtrie de la routine. (III. Le Temple)

 「王様、寛大であって下さい!」と優しくシバの女王は答えた。「あなた様の栄光を讃える建物を建造する職人に対して。時代は前に歩んでおります。人間の運命は、「創造主」の望みに従い、進歩を達成しました。かの職人の作品をそれ以上に高貴な仕方で解釈することは、その価値を見誤ることではないでしょうか? エジプト人たちが伝承した儀礼的な数々の像の冷たい不動性を、永遠に再現しなければならないのでしょうか?(中略)大王様、恐れましょう。危険な否定を恐れるように、因習を偏愛することを。」(3章、寺院)

女王は、ソロモンの芸術を「冷たい不動性(froide immobilité)」という言葉で表現し、それを再生産し続けることは「因習を偏愛すること(idolâtrie de la routine)」とさえ言い切る。

比喩的に言えば、ソロモンの芸術は「黄金(or)」だけでできている。そうした美学に基づいた作品は輝いているように見えても冷たく、生命感に欠けている。ミダス王の手が全てを黄金に変え、生命を奪ってしまうように。

そのソリマンに対して、アドニラムこそが真の芸術家として描かれる。
アドニラムの傍らには弟子のベノーニが配され、二人の比較を通して、2つの様式、あるいは2つの芸術観がより明瞭に提示される。

ベノーニが「あなたのお考えは常に不可能なものを夢見ています(Ta pensée rêve toujours l’impossible. )」と言うと、アドニラムは次のように応える。

— Nous sommes nés trop tard ; le monde est vieux, la vieillesse est débile ; tu as raison. Décadence et chute ! tu copies la nature avec froideur, tu t’occupes comme la ménagère qui tisse un voile de lin ; ton esprit hébété se fait tour à tour l’esclave d’une vache, d’un lion, d’un cheval, d’un tigre, et ton travail a pour but de rivaliser par l’imitation avec une génisse, une lionne, une tigresse, une cavale ;… ces bêtes font ce que tu exécutes, et plus encore, car elles transmettent la vie avec la forme. Enfant, l’art n’est point là : il consiste à créer. (I. Adoniram)

— 私たちは遅れて生まれてきた。世界は年老い、老年は虚弱だ。お前の言うことは正しい。デカダンスと失墜だ。お前は冷静に自然をコピーする。お前は主婦が亜麻のヴェールを織るように仕事をする。お前の茫然とした精神は、順ぐりに雄牛と雄ライオンと雄馬と雄トラの奴隷となり、お前の仕事が目的とするは、模倣によって、若い雌牛、雌ライオン、雌トラ、雌馬と対抗することだ。・・・ それらの動物はお前が作るものであり、さらにそれ以上のものでもある。というのも、それらは形態と共に生命を伝えているのだから。我が弟子よ、芸術はそこにはない。芸術は創造することなのだ。(1章、アドニラム)

遅れて生まれてきたというのは、ポスト・ナポレオン世代が持つ共通の感覚であり、1820年代の後半から盛んにそうした表現が使われた。
そして、その後には、新しい世界はまだ来ていないという言葉が続いた。
ロマン主義世代は、一つの時代が終わり、次の時代はまだ来ていないという、狭間の時代を生きる感覚を持つ世代だった。

アドニラムの最初の言葉は、そうしたロマン主義世代の世界観を反映している。
ベノーニは、そうしたアドニラムに対して、「不可能を夢見ている(rêver l’impossible)」と言う。
逆に言えば、弟子は不可能を夢見ず、現実を「冷静に模倣する(copier avec froideur)」ことを仕事としている。

このベノーニはレアリスム的芸術観を反映していると考えてもいい。彼は、コピーし、「模倣(imitation)」する。
しかも、美化を加えることはなく、冷静に現実を写し取ろうとする。
こうしたレアリスム批判は、上で論じた「10月の夜」へと繋がっていく。

アドニラムは、それに対して批判を加える。
コピーすることは、本物を一段弱めることになる。
21世紀の意識では認められないが、彼の表現を用いれば、雄ライオンを冷静に模倣しても雌ライオンにしかならない。形によって生命は伝わるかもしれないが、しかしそれでも、コピーは「芸術(art)」でない。芸術とは、「想像すること(créer)」なのだ。
ここで、コピーあるいは模倣と創造が対比されている。

では、アドニラムの言うクリエーションとはどのようなものなのか?

Quand tu dessines un de ces ornements qui serpentent le long des frises, te bornes-tu à copier les fleurs et les feuillages qui rampent sur le sol ? Non : tu inventes, tu laisses courir le stylet au caprice de l’imagination, entremêlant les fantaisies les plus bizarres. Eh bien, à coté de l’homme et des animaux existants, que ne cherches-tu de même des formes inconnues, des êtres innomés, des incarnations devant lesquelles l’homme a reculé, des accouplements terribles, des figures propres à répandre le respect, la gaieté, la stupeur et l’effroi ?  

柱の上の小さな壁に沿ってうねうねと曲がる装飾の一つをお前が描く時、お前は地面を這う花や木の葉をコピーしているだけなのだろうか。そうではない。お前は発明しているのだ。お前がノミを走らせるのは、想像力の気まぐれに任せ、この上もなく奇妙なファンタジーを混ぜ合わせながらだ。すでに存在している人間や動物を傍らにして、お前が探すものは、未だ知られていない形、名付けられない生物、それを前にして人間が尻込みをするような化身たち、恐ろしい接合、尊敬、陽気さ、驚き、恐れを振りまくに相応しい姿、そうしたものではないだろうか? 

古代神殿の柱の上の壁には、しばしば花や木の葉を模した装飾が掘られている。アドニラムの芸術観では、それらは決して地上の草花をそのまま象ったもの、つまりコピーしたものではない。
かといって、無から新たなものを作り出しているわけでもない。
それらは、現実にある草、花、枝を組み合わせて作ったもの、つまり原型をアレンジしたものなのだ。

アレンジの原動力は「想像力(imagination)」。
想像力は、意識のコントロールを離れて「気まぐれ( caprice)」に活動し、「ファンテジー(fantaisie)」に溢れる組み合わせを作り出していく。

アドニラムは、「混ぜ合わせる(entremêler)」や「接合(accouplement)」という言葉を使い、新しいものを作り出す、つまり「発明(invention)」とは、すでに存在しているものを組み合わせ、「未知なるもの(inconnu)」や「名付けられないもの(innomé)」を創造することだとする。
そのようにして創作されたものは、ライオンの頭、山羊の胴、蛇の尾を持つ怪物「キマイラ(chimère)」のように、人間に尊敬や恐れといった様々な感情を引き起こす。

従って、ベノーニのコピーが冷たいままで留まるのは、想像力の働き、奇妙なファンタジーを混ぜ合わせる活力、生命力が作動していないからだと推測できる。
逆に、不可能を夢見るアドニラムは、生のエネルギーに満ちあふれた芸術家だ。
そして、そのエネルギーこそが、芸術作品の根源にあり、作品に命を与える。

青銅の海と呼ばれる巨大な銅の器の制作が敵の手によって失敗に終わる時、アドニラムの目の前に祖先トバル=カインが姿を現し、彼を地下世界へと導いていく。
そこは地上から見れば、沈黙と夜の支配する深淵であるが、芸術家一族の者からすると、「火のエキスから抽出した魂たちの自然な熱(température naturelle des âmes qui furent extraites de l’élément du feu)」を発する、限りない生命(vie sans fin)」の場である。

Tout à coup la vie éclate ; des populations apparaissent à travers ces hypogées : le travail les anime, les agite ; le joyeux fracas des métaux résonne ; des bruits d’eaux jaillissantes et de vents impétueux s’y mêlent ; la voûte éclaircie s’étend comme un ciel immense d’où se précipitent sur les plus vastes et les plus étranges ateliers des torrents d’une lumière blanche, azurée, et qui s’irise en tombant sur le sol. (VI. Apparition)

突然、生命が光輝く。人々が地下埋葬室を通り姿を現す。労働が彼らを活気づけ、活動させる。金属が楽しげにに砕ける音がこだまする。溢れ出す水と嵐のような風の音が混ざり合う。照らされた丸天井が広大な空のように広がり、巨大で奇妙な工房の上に、大量の光が差しかかる。白い光、紺碧の光、地面に落ちながら虹のように輝く光が。(6章、亡霊)

アドニラムの下っていく地底世界こそが、生命の根源であり、世界全体に命を与えている。
そこは光に溢れ、音と色彩に満たされ、「火(feu)」から発する熱を帯びている。

アドニラムはそこで、「未知なるものの魅力(charme de l’inconnu)」を見出す。
そして、彼がアレンジの美学に従って生み出す創造物は、生命そのものである地下世界を様々に表現したものといえるのではないだろうか。
ベノーニのコピーの冷たさとは対極にある、火の熱を帯びた発明品。

アドニラムの芸術観において、クリエーションとは、この火の世界を、地上にある様々な要素を組み合わせアレンジして、一つの形にすることだと言える。
そして、アレンジの要となる想像力を活動させるエネルギーも、地下世界の火の熱。
さらに、創造された作品も、熱を帯び、生命感を感じさせる。

そのように考えると、トルコのカフェで語り部によって語られる「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語」が、数え切れないほど語られてきたフリーメーソンの古い伝承に基づきながら、生き生きとした新鮮さを持っている理由を理解することができる。

結局、ソリマンは、全てが「黄金(or)」であり、普遍的で永遠の美を目指す古典主義的芸術観の象徴。
ベノーニは、現実をそのまま再現することを目指すレアリスム的芸術観を思わせる。
アドニラムは、ネルヴァルの考えるクリエーションの表現。存在するもののアレンジを通して未知なるものを創造し、生命の源である火の世界の表現とする、「キマイラ的な」芸術観を代表する。

音楽におけるアレンジの美学

「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語」では古代の伝説の中で芸術観が語られたが、『優美なボヘミアン生活(La Bohême galante)』では、中心に位置する「音楽(Musique)」と題された章の中で、ネルヴァルの芸術観が直に開示される。(ちなみに、本ブログの名称はこの作品に由来している。)

ネルヴァルはそこで、リヒャルト・ワーグナーの例を出し、従来の芸術観と新しい芸術観を対比させる。

 Je discutais dernièrement là-dessus avec S***, à propos des tentatives de Richard Wagner. Sans approuver le système musical actuel, qui fait du poète un parolier, S*** paraissait craindre que l’innovation de l’auteur de Lohengrin, qui soumet entièrement la musique au rhythme poétique, ne la fît remonter à l’enfance de l’art. Mais n’arrive-t-il pas tous les jours qu’un art quelconque se rajeunit en se retrempant à ses sources ? S’il y a décadence, pourquoi le craindre ? s’il y a progrès, où est le danger ?

 私は最近その点に関して、S・・・と、リヒャルト・ワグナーの試みについて議論した。詩人をオペラの台本作家にしてしまう現行の音楽システムに賛同しないために、S・・・が心配しているように見えることがある。それは、「ローエングリン」の作者のイノヴェーションでは、音楽を詩的なリズムに完全に従属させてしまうため、音楽を芸術の幼年時代へと回帰させてしまう、ということだった。しかし、何らかの芸術がその源泉に再び身を浸し、若返るということが、毎日起こっているのではないだろうか? デカダンスがあるとしても、なぜそれを恐れるのか? 進歩があるとして、どこに危険があるのか?

S・・・と略号で呼ばれているのは、当時を代表する音楽評論家ポール・スキュド。
彼は、ワグナーの音楽に反対する立場を取り、ワグナーを強く批判する伝統的な音楽の側に立っていた。

ワグナーが目指していたのは、いわゆる「総合芸術」。
彼は、音楽、絵画、舞踊、演劇、建築といったジャンルを超え、それらを統合した芸術作品を目指そうとした。
その模範は、古代ギリシアの宗教劇に求められた。
ワグナーのオペラは、劇と音楽、舞台装置、そしてバイロイトの歌劇場まで含め、様々なジャンルを総合していて、その内容には現実を超越した宗教性も含まれている。

それに対して、スキュドーたち伝統的な音楽に立つ人々にとって、芸術の進歩は、それぞれのジャンルが分割され、独自の発展を遂げることにあった。音楽は音楽で、絵画や演劇とは別のジャンルとして発展することが、進歩と見なされた。

この対立の中で、ネルヴァルはワグナーの側に立ち、「芸術の幼年時代(enfance de l’art)」に遡ることが、1850年代の文学や音楽にとって必要な刷新だと考えた。
たとえそれがデカダンスと見なされようと、進歩と言われようと、どちらでもいい。
ネルヴァルにとっては、「音楽と言語を調和」させること、言葉に音楽性を取り戻すことにより、形式でがんじがらめになった詩に生き生きとした命を回復し、ポエジーを生み出すことが、文学の刷新だった。

ワグナーの長大なオペラとネルヴァルの比較的息の短い作品は、一見すると正反対のように見える。しかし、ネルヴァルは自分の芸術観がワグナーの芸術と似ていると考えていたのだ。

この考察に続いて、古代ギリシアやアラブ地方の詩的リズムについて言及された後、アレンジの美学がどのようなものか、具体的な例が示される。

Qu’un faiseur italien vole un air populaire qui court les rues de Naples ou de Venise, et qu’il en fasse le motif principal d’un duo, d’un trio ou d’un chœur, qu’il le dessine dans l’orchestre, le complète et le fasse suivre d’un autre motif également pillé, sera-t-il pour cela inventeur ? Pas plus que poète. Il aura seulement le mérite de la composition, c’est-à-dire de l’arrangement selon les règles et selon son style ou son goût particulier.
 Mais cette esthétique nous entraînerait trop loin, et je suis incapable de la soutenir avec les termes acceptés, n’ayant jamais pu mordre au solfège. 

一人のイタリアの作曲家が、ナポリやヴェニスの街角に流れる民衆の唄を盗み取り、それをデュエット、トリオ、コーラスのメインモチーフにしたりする。オーケストラの中ではっきり描いたり、完全なものにしたり、その唄と同じようにくすねてきた別のモチーフを後に付け足したりする。もしそうしたら、彼は発明者になるだろうか? 詩人以上のものではない。彼は単に構成した手柄があるだけということになる。つまり、色々な規則とか、彼の様式や彼独自の趣味に従ってアレンジをしたという手柄だ。
 しかし、この美学を続けると、私たちはあまりにも遠くまで行ってしまうことになるだろう。それに、私には公認された用語を使ってこの美学を主張することができない。というのも、私はこれまで楽譜を読む勉強を熱心にしたことがなかったからだ。

ナポリやヴェニスの街角で自然に歌われる唄は、誰が作曲したというのでもなく、いつの間にか民衆の間に広まったものだろう。
そうした唄の一つを作曲家が取り上げ、様々な様式でアレンジしていく。
ネルヴァルはあえて「盗む(voler)」、「くすねる(piller)」という言葉を使い、オリジナリティーという概念を否定する。彼が考えるクリエーションとは、ゼロから何かを作り出すことではなく、すでにあるものを変形し、これまでにない仕方で組み合わせることなのだ。

すでに指摘したように、天才の神話、オリジナリティーという概念は19世紀に出来上がったものであり、19世紀半ばにはすでに一般的にも認められるようになっていた。19世紀後半には、フランスでも著作権が認められるようになる。剽窃は犯罪になる。

ネルヴァルはあえてそうした時代精神に反して、新しさをアレンジに求めた。
彼にとっては「構成(composition)」と「アレンジ(arrangement)」は同義語であり、上の文でも並列に並べられている。
そして、そうした芸術観の大胆さを自覚しているために、アレンジの「美学(esthétique)」をそれ以上は展開できないし、みんなに認められる言葉で説得力を持って説明はできないと言う。

こうした言い回しは、ネルヴァルらしい皮肉とユーモアが込められていて、論争というよりも、自分の芸術観を独り言のように言ってみるだけ。しかし、それだからこそ、彼の本音が吐露されているともいえる。

『優美なボヘミアン生活(La Bohême galante)』で「アレンジの美学」を主張している時期と、「10月の夜」を雑誌に掲載している時期は、ほぼ重なっている。
そうした中で、ボヘミアン生活の中では音楽性に力点が置かれ、音楽の例を使うことで、アレンジの美学についててわかりやすく説明していると考えることができる。


ネルヴァルは「どのようにアレンジするか」に彼の美学の重点を置いているのだが、「どのように」に、反映するのは、創作者の主観性「私」である。
そこで、ネルヴァルの美学をさらに深く知るためには、どのように彼が私を語るのかを見ていく必要がある。


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