ギュスターヴ・フロベール 「ボヴァリー夫人」 シャルルの死 2/3 Flaubert, Madame Bovary, la mort de Charles 2 / 3

シャルルの心はどうしてもエンマから離れることができずにいる。医者としての仕事も手に付かず、生活費もままならなくなる。最後には、診療に向かう時の馬車を曳く馬まで売るところまできてしまう。

Un jour qu’il était allé au marché d’Argueil pour y vendre son cheval, — dernière ressource, — il rencontra Rodolphe.

ある日、彼はアルギュイユの市場に行き、馬を売ることにした。ーー それが最後の収入源だった。ーー 彼はロドルフに出会った。

ロドルフは、エンマの不倫相手。シャルルは、彼の手紙をエンマの手紙入れの中で見つけ、妻の裏切りを確信したのだった。
そのロドルフに会ったのだ。
フロベールはここで、« Il rencontra Rodolphe.»とだけ書く。これほど単純な文もなく、その単純さが出会いのインパクトの大きさを印象付ける効果を発揮する

シャルルはどんな態度を取るのだろう。

Ils pâlirent en s’apercevant. Rodolphe, qui avait seulement envoyé sa carte, balbutia d’abord quelques excuses, puis s’enhardit et même poussa l’aplomb (il faisait très chaud, on était au mois d’août), jusqu’à l’inviter à prendre une bouteille de bière au cabaret.

二人は、お互いに気が付き、青ざめた。ロドルフは、カードを送っただけだったので、最初、数こと口の中でもぐもぐ言った。その後は大胆になり、あえて平静を装い、(とても暑かった。8月だった)、居酒屋でビールをどうかと誘いさえした。

ロドルフはシャルルと知り合いなので、田舎町での普通の関係であれば、エンマの葬儀に参加するのが当たり前の行動だった。しかし、お悔やみのカードを送っただけ。
シャルルとこうして偶然顔を合わせた時、彼が青ざめたとしたら、それは、エンマを死に追いやった原因の一端が自分にあると思ったからなのか、葬儀に行かなかったからなのか。どちらとも解釈することができる。

その一方で、シャルルは、エンマとロドルフの関係を知ってしまった。としたら、どう反応するのか。
怒りにまかせて、食ってかかることもできただろう。しかし、ただ青ざめるだけ。
こんなところからも、シャルルがどんな人間なのかわかってくる。

ロドフルは、エンマを口説いた時と同じように、すぐに冷静さを取り戻し、一緒にビールを飲もうと提案する。
シャルルはその提案を断り、すぐに彼から離れることもできる。しかし、彼の性格ではどうか。

Accoudé en face de lui, il mâchait son cigare tout en causant, et Charles se perdait en rêveries devant cette figure qu’elle avait aimée. Il lui semblait revoir quelque chose d’elle. C’était un émerveillement. Il aurait voulu être cet homme.

彼の正面で肘をつき、ロドフルはタバコを噛みながら喋っている。シャルルの方は、彼女が愛したその顔の前で、夢想に浸っていた。彼女の何かを再び目にしているように思われたのだ。それはうっとりとするものだった。この男になりたいとさえ望んだのかもしれない。

ここでも再び、彼女(elle)という代名詞が何も指さずに使われている。しかし、読者は、彼女がエンマのことだとすぐにわかる。シャルルがいつでも彼女のことを考えているのと同じように、読者も「彼女」と言われればエンマだとわかるようになっているのだ。

そうした下地を作った上で、フロベールは、読者を驚かせるシャルルの姿を描き出す。
本来であれば憎いはずのロドルフの顔を見ながら、これがエンマの愛した男なんだ、自分もこの男のように彼女から愛されたかったと思う。そして、彼女を思い出させてくれるの大切な品物であるかのように、うっとりと夢想に浸る。

あり得ないと思うかもしれないが、シャルルがどんな人間か示すのに、これほど効果的なエピソードはない。
情けない男と思うか、それほどエンマを愛していたと思うか、彼を理解できないと思うか、それぞれの読者の判断による。
フロベールは、作者として、語り手の口を借りて物語の中に介入し、読者に解説するようなことはしない。

L’autre continuait à parler culture, bestiaux, engrais, bouchant avec des phrases banales tous les interstices où pouvait se glisser une allusion. Charles ne l’écoutait pas ; Rodolphe s’en apercevait, et il suivait sur la mobilité de sa figure le passage des souvenirs. Elle s’empourprait peu à peu, les narines battaient vite, les lèvres frémissaient ; il y eut même un instant où Charles, plein d’une fureur sombre, fixa ses yeux contre Rodolphe qui, dans une sorte d’effroi, s’interrompit. Mais bientôt la même lassitude funèbre réapparut sur son visage.

ロドフルは、耕作のこと、家畜のこと、肥料のことなどを話し続けた。どうでもいい話で、ほのめかしが滑り込んでくる隙間を全て埋めようとしたのだ。シャルルは話を聞いていなかった。ロドルフはそれに気づいた。そして、シャルルの顔の動きから、幾つかの思い出が通りすぎるのを見て取った。顔が徐々に赤くなり、鼻は素早くバタバタし、唇が震えていた。一瞬、シャルルは、暗鬱な怒りに捉えられ、じっとロドルフを見つめた。ロドルフは何かしらの恐れを感じ、話を中断した。しかし、前と同じ陰気な疲れが、再びシャルルの顔に現れた。

ロドルフは喋り続けている。沈黙があると、ほのめかし(une allusion)、つまりエンマとの関係をシャルルが何か言うかもしれない。それが怖かったのだ。

シャルルが彼の前に座っているのは、エンマのことを思い出させてくれるという、悲しい理由による。しかし、いくらずっとエンマのことを想っていたいといっても、ロドルフを前にしているのであれば、裏切りも思い出すだろう。
そんな時には、怒りに捉えられ、顔は曇る。しかし、長続きせず、再び暗く陰鬱な表情に戻る。

フロベールは、二人の態度を淡々と描きながら、こうした状況にある二人であれば、こんな態度になるだろという状況を、主観性を交えずに、描き出している。
彼がどれほど人間観察に長け、人間を見事に描くことを知っていたのか、この場面からだけでも垣間見ることができる。

シャルルは最後に少しだけ口を開く。

— Je ne vous en veux pas, dit-il.
Rodolphe était resté muet. Et Charles, la tête dans ses deux mains, reprit d’une voix éteinte et avec l’accent résigné des douleurs infinies :
— Non, je ne vous en veux plus !
Il ajouta même un grand mot, le seul qu’il ait jamais dit :
— C’est la faute de la fatalité !
Rodolphe, qui avait conduit cette fatalité, le trouva bien débonnaire pour un homme dans sa situation, comique même, et un peu vil.

「あたなのことを恨んではいません。」とシャルルが言った。
ロドルフはずっと黙っていた。シャルルは両手で頭を抱え込み、消えるような声で、無限の苦しみを耐え忍ぶような口調で、こう言った。
「もう、恨んでいません!」
そして、たいそうな言葉、ただ一度だけ口にした言葉を付け足した。
「運命の罪なのです!」
ロドフルは、その運命を導いた人間。そこで、シャルルのことをかなり善良な人間だと見なした。コミックとさえ言える状況に置かれた人間にしては善良。でも、少しみっともない奴。

シャルルの苦しみは無限で、それを必至に耐え忍んでいる。
この言葉は、フロベールが作者として、物語の中に介入している数少ない言葉だ。
前に出てきた「苦しみの官能性(la volupté de sa douleur)」とか「無限の苦しみ(douleurs infinies)」という表現は、ボードレールの詩の中でもしばしば出てくるものであり、19世紀前半のロマン主義的な傾向を、二人の文学者が持っていたことの名残と考えてもいいだろう。

シャルルは、エンマを失った苦しみ、彼女に裏切られた苦しみ、彼女から愛されなかった苦しみ等、一言では言い表せない苦しみに耐えるためにも、相手の男に向かって、恨んではいない、運命が悪いのだと言う。
その言葉は、自分自身に向けた言葉でもある。

他方、ロドルフの方では、そんなシャルルを善いヤツだと思う半面、意気地無しで、みっともないとも思う。
そこで使われている vil という形容詞は、価値がない(sans valeur)とか、軽蔑すべき(méprisable)とか、おぞましい(abject)とか、決していい意味ではない。
こんなシャルルを見たら、エンマは彼のことを vil と思って嘆いたことだろう。

読者であるあたなは、このシャルルの姿をどのように思うだろうか。
その見方で、『ボヴァリー夫人』全体をどのように読むかがわかってくる。
作品が一つの意味を読者に押しつけるのではなく、読者の価値観が作品の読み方を決めることも多くある。

シャルルとロドルフのエピソードはここで終わり、次にシャルルの死が語られ、小説は結末を迎える。(続く)

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