
マリー・アントワネットの肖像画を数多く描いたことで知られる、エリザベート・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)。
彼女は、女性であるために、男性社会であったアカデミーになかなか入会できない等、不当な扱いを受けたこともあったが、画家としての活動を諦めることはなかった。
ヴィジェ=ルブランの作品の四分の三は肖像画であり、18世紀フランスのロココ絵画、しかも後期のロココ絵画を代表する画家の一人。
彼女の肖像画は、19世紀印象派のルノワールと同じように、描かれた人がナチュラルでありながら、より美しく見える印象を与える。そこで、彼女に描かれたいと願う貴族や大商人の女性達は数多かっただろう。
これから、600以上あると言われるヴィジェ=ルブランの肖像画の中から、自画像、娘のジュリーとの母子像、そしてマリー・アントワネットの肖像画を見ていこう。
18世紀フランスを代表するロココ様式の絵画は、人間の肌や衣服の質感が素晴らしく、ヴェルサイユ宮殿の優美な生活を彷彿とさせる。
ロココという用語の元になっているのは、ロカイユ(rocaille:岩)という言葉。
バロック時代、洞窟(grotte)の内部の装飾として用いられた貝殻のごつごつとした岩組が、ロカイユ(rocaille)と呼ばれていた。そこから発展して、18世紀の前半、貝殻の曲線を多用した装飾をロカイユと呼ぶようになった。
ロココ絵画は、そうした複雑で繊細な曲線によって装飾性の高い形を作り出し、そこに明るく軽快な色彩を施す画法を特色としている。
ロココ絵画を代表する画家フランソワ・ブーシェの「ポンパドゥール夫人」を見れば、ロココ的な美とはどのようなものは一目で感じられるだろう。

同じポンパドゥール夫人を描いた、カンタン・ド・ラ・トゥールの肖像画。

この二つの肖像画はロココ絵画前期に属する作品であり、優美さの中にも、僅かながらも甘美な官能性を含んでいる。
ブーシェの「マリー・ルイーズ・オマーフィー(と推定される女性)の肖像」は、官能性を強く表した1枚。

こうした傾向は、ヴィジェ=ルブランに助言を惜しまなかったといわれるグルーズなどにも見られる。有名な「壊れた甕」。

ロココ絵画の後期になると、ディドロの絵画論でも強調されるように、官能性は不道徳の象徴とされ、倫理観がつよく、道徳的な絵画が要求されるようになった。
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの肖像画は、そうした時代の代表的な肖像画といえる。
実際、優雅で繊細な美という点では前の時代の流れを汲みながら、官能性は取り除かれている。
そうした点で、当時としてはまれな女性の画家として、男性画家たちの偏見と闘った彼女の姿勢に相応しい描き方だったのかもしれない。
ヴィジェ・ルブランが、自ら傑作と考えるのは、廃墟の画家と呼ばれたユベール・ロベールの肖像画。1788年の作。
ナチュラルな感じの中に、画家の自負心がよく現れている。

彼女は数多くの自画像を描いているが、そのどれもが凜とした美しさを持っている。例えば、1781年の自画像。

その美しさは、エリザベート自身が美しい女性だったことにもよるだろう。
しかし、それと同時に、絵画を注文する貴族や大商人たちにアピールするサンプルとしての役割も果たしたと考えられないだろうか。
1782年の「麦わら帽子を被った自画像」は、リューベンスの「麦わら帽子」を参考にしたと考えられている。


どんな女性でも、こんな肖像画を描いて欲しいと思わないだろうか。
「ポリニャック男爵夫人の肖像」を見ると、ほぼ同じ構図で描かれている。

エリザベートと同じように凜とした美しい女性。
その類似は、自画像が、肖像画の注文を受けるための広告として描かれた可能性を示している。
1783年頃に描かれたとされる、ルイ16世の妹エリザベート夫人の肖像画も、やはり同じ麦わら帽子の女性像である。

ヴィジェ=ルブランは、1789年の革命の後、フランスから亡命し、イタリア、オーストリア、ロシアなどを転々とした。
そうした中でも自画像を描き続けたことが知られている。
1790年の1枚は、絵画を描く画家の自画像というだけではなく、画布の上に描かれつつあるのは、マリー・アントワネットの肖像画。
ここには、各国の貴族たちに、画家としての自己アピールをし、自らの道を切り開こうとしている姿が描き出されている。

彼女は、自画像だけではなく、娘ジュリーを腕にかかえる母子像も描いている。
1786年の母子像は、母と子の美が際立っている。

娘ジュリーの姿は、ヴィジェ=ルブランに助言を与えてくれたと言われるグルーズの描く幼女の姿を思わせないことはない。
しかし、グルーズの幼児が微かに発する官能性は全く感じさせない。

エリザベートの腕に抱かれるジュリーは、母に対する信頼感や安心した気持ちに満ちている。その違いは、二つの絵画を比較するとよくわかる。
1789年の母子像は、ラファエロの母子像に基づくと言われ、母性が画布全体からあふれ出している印象を与える。


こうした画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランに、マリー・アントワネットが肖像画を依頼したとしても不思議ではない。
1778年に描かれた肖像画は、女王としての威厳に満ちた姿で描かれている。

この絵画に描かれるマリー・アントワネットの顔は、ややたれ下がった顎、小球状の目、少ししゃくれ上がった鼻、暑い下唇等、ハプスブルク家出身の人間の顔の特色をはっきりと示している。
その後、女王と宮廷女性画家は、より親しい関係を結ぶようになったらしい。
1783年の「シュミーズドレスのマリー・アントワネット」は、非常に寛いだ王妃の姿を描いていて、二人の関係の近さをよく示している。

フランス語のgauleとは、木綿のモスリンでできた服を意味し、18世紀後半には、田園風のスタイルとして白いモスリン製のシュミーズドレスが流行したという。
その服は部屋着と見なされ、「シュミーズドレスのマリー・アントワネット」はスキャンダルとなり、展示会場で「バラを手にするマリー・アントワネット」に取り替えられた。

面白いことに、この二枚に描かれたマリー・アントワネットの顔は、実物よりも繊細に描かれ、顔の欠点を隠すものになっているという。
その意味で、自然なままの姿でありながら、モデルの持つ美をより美しく描くヴィジェ・ルブランの肖像画の特色をよく示している。
1787年に描かれた「マリー・アントワネットと子供たち」からは、王妃の威厳と同時に、母として子供たちに注ぐ愛情が感じられる作品に仕上がっている。

ヴィジェ=ルブランの肖像画は、18世紀の宮廷やサロンにおける女性や母子の姿を、幸福の相の下で描き出した。
当時の社会は混乱し、フランス革命の嵐が吹き荒れる時代。
しかし、そうした現実には目をつぶり、人が最も幸せな瞬間を切り取る。
そして、ロココ的な美意識に基づき、ナチュラルでありながら、より繊細に、より美しく、とりわけ女性や母子の姿を描くことが、彼女の目指すところだったのだと考えられる。
描かれる人々が、こんな風に描いて欲しいと願う肖像画。それがエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの絵画だった。
その意味で、彼女の実人生とは逆に、彼女を「幸福の画家」と読んでもいいだろう。
2015年にグラン・パレで行われた個展を紹介する番組。
現代と繋げる内容で、わずか5分だけれど、けっこう楽しめる紹介ビデオ。
「ヴィジェ=ルブラン Élisabeth Vigée Le Brun ロココ絵画後期の肖像画家」への1件のフィードバック