
英語を勉強し始めた頃、現在完了が出てきて、過去とどう違うのわからなかったという経験はないだろうか。
私たちの自然な感覚からすると、完了したことは過去のことなのだから、現在完了も過去のことに違いないと思う。その結果、二つの違いがよくわからない。
その上、現在完了に関しては、経験・継続・完了の3用法があると説明されるが、過去の概念に関しては何の説明も、用法の解説もない。なぜだろう?
さらに、過去完了(had+pp.)はある程度理解できるが、未来完了(will have+pp.)はわからないという人もいる。
過去未来完了(would have+pp.)になると、最初から理解を諦めてしまう人も多い。
なぜ日本語母語者は、英語やヨーロッパの言語の時制体系をすっと理解できないのだろうか?
(ここでは、説明を簡潔にするため、英語を例に取ることにする。)
日本語の時間表現
うまく理解できない理由ははっきりしている。
日本語の時制には「過去・現在・未来」という概念がなく、ヨーロッパの言語と対応しないから、というのが答え。
このように書くと、日本語でも、過去は「た」、現在は「る」、未来は「(だ)ろう」など、時間の概念はあると反論されるかもしれない。
しかし、未来のことを考えてみるとわかりやすいが、「(だ)ろう」は、未来という時間帯を指しているよりも、「推量」や「想像」を意味する。
つまり、時間を指示するよりも、心の中の思いを表現している。
「た」は、過去を示す言葉だと説明され、「食べる」は現在、「食べた」は過去と言われることがある。
しかし、本来的には、「る」は未完了、「た」は完了を示し、現在 vs 過去の対比を示すのではない。
そのことは、「食べた後で、出かけるつもり。」という時間的には未来のことを伝える文の中で、「た」が使われていることからも理解できる。
この「た」は、未来の時間帯を指すのではなく、出かける前にすでに行為が「完了」していることを示している。
このように考えてみると、日本語の中には、客観的な基準として使われる「過去・現在・未来」という概念に基づく時制体系がないことがわかってくる。
基本的にあるのは、未完了と完了の区別。
時間帯は、昨日とか、3日後に、とかいった別の言葉で指定する。
私たちは、概念としては過去・現在・未来という区分を持っている。しかし、動詞表現によって時間帯を区別し、表現することはないということになる。
私たちは、日本語の文を発する時、時間意識としては、まだ終わっていないか(未完了)、すでに終わっているか(完了)だけを区別する。
他方、自分の時間体験とは無関係で、時計によって測られ、誰にとっても共通する抽象的な時間を、動詞表現によって指し示すことはない。
3つの時間帯の区分
その反対に、英語やフランス語などでは、時制は、まず最初に、3つの時間帯の中に動作や出来事を位置づけるために用いられる。
過去形とは、話者から見て過去の時間帯で起こった事象であることを示す。
現在形は、現在の時間帯。未来形は未来の時間帯。
この三つの時間帯は、断絶していて、全く違う時間帯だとみなされる。
その上で、それぞれの時間帯の中で、完了と未完了が区別される。
その区別は、動詞の語尾が変化する単純形か、助動詞(have)+過去分詞で形成される複合形かの違いでなされる。
複合形は完了を、単純形は未完了を示す。
このように考えると、過去形は過去という時間帯の出来事であり、現在完了形は現在の時間帯の出来事という、明確な違いがあることがはっきりする。
I lost my key.
鍵をなくしたことは、過去の時間帯に属すること。
現在の時間帯とは切り離され、話し手とは直接関係がない、「過去の時間帯」に属する出来事として意識されている。
I have lost my key.
現在完了形は、この出来事が話し手の今と同じ「現在の時間帯」に属することを示している。
現実的には、私が鍵をなくしたことに変わりはない。
そして、日本語では、なくし「た」と表現するだけで、その「た」を完了とも過去とも理解できるが、その区別を意識することはない。
それに対して、英語では、過去であれば過去の時間帯に位置づけ、現在完了であれば現在の時間帯に位置づける。そのことで、鍵をなくしたという一つの事実について、別の捉え方をする。
そうした捉え方が日本語にはないために、二つの時制が日本語母語者にはわかりにくいのである。
別の例を考えてみよう。
I lost my way.
Il have lost my way.
過去形の文は、この文を発している Iとは断絶した時間帯の出来事であることを示している。
従って、話をしている時点のIがまだ迷っているのか、過去のことであり、もう家に戻りついたのかわからない。
それに対して、現在完了形になると、迷ったという出来事は発話者のIのいる「現在の時間帯」に属していることになる。
従って、発話者のIは、まだ迷っていることになる。
その最中に誰かと会って、Il have lost my way.と言っているのだろう。
こうした違いがあるために、高校の文法などでは、現在完了形と一緒に使えない表現として、明確な過去を示す言葉を挙げたりする。
例えば、yesterday, Last year, one day ago, just now,等。
これらの副詞表現は、出来事が過去の時間帯に属することを明示するため、現在とは両立しない。
それぞれの時間帯の中での完了
現在完了が理解できると、次にそれぞれの時間帯の中での完了の意味が理解でき、過去完了や未来完了が容易に理解できるようになる。
現在完了は、現在の時間帯の中で、語り手の位置する時点から見て、すでに完了している出来事を示す。
その際、ポイントになるのは、語り手の位置する時点が「基準点」としてあり、その時点との関係で、すでに完了しているということ。
日本語では、「た」だけで完了を示してしまうため、基準点の存在が意識されない。
他方で、英語では動詞の活用が複合形で示され、一つの基準点となる出来事との関係で、すでに完了していることを明示する。
さらに、基準点のある時間帯は、haveの時制で明記される。
When I arrived at the station, the train had already left.
the train had left. のhadは、出来事が「過去の時間帯」に属することを示す。
その上で、had leftと複合形になり、ある基準点ではすでに完了したことを示す。
上の文では、when I arrived at the stationによって、基準点が明らかにされている。
未来完了の場合も、考え方は同じ。
She will have done it by 8 pm.
willは、出来事が「未来の時間帯」に属すことを示す。
will have doneと複合形になることで、彼女はある基準点ではそれをし終わっていることが示される。
基準点は、この文では、by 8 pm。
時間帯を過去にずらすと、過去未来完了が容易に理解できる。
She would have done it by 8 pm.
この文の話し手あるいは書き手の現在時に対して、彼女がそれをしたのは過去の時間帯のことであることが、wouldによって示される。
その過去の時間帯の中で、8時までには彼女はすでにそれをし終わっていたことになる。
こうした時間帯の指定は日本語の時間表現の中には存在しないために、英文を日本語に訳し、違いを表現することはできない。
違いを意識し、概念を理解することが、外国語学習の要となる。
フランス語の独自性:複合過去の2重の意味
フランス語の複合過去は、英語の現在分詞と対応する。
しかし、現在における完了の意味だけではなく、過去も意味する。
その理由は、純粋に過去の時間帯を指し示す単純過去の代用として、複合過去が使用されるという特殊性によっている。
Hier je suis sorti avec Jean.
suisは現在、従って、現在の時間帯に属する出来事。
複合形 suis sortiは、語り手の現在ではすでに完了したことを示す。
従って、基本的には、現在完了と同じ。
しかし、単純過去の代用として、英語の過去( I went out)と同じ意味になる。
そのために、hier (= yesterday)という過去の時間帯を示す言葉と一緒に使うことが可能。