私たちが何か異質なものを受容するとき、私たち自身が無意識に持っている感受性が自然に働き、異質な要素を何らかの形で変質させる。
うまくいけば、そうした受容から、新たなものが生み出される。
絵画を通して、異文化受容の一つのあり方を見てみよう。


No. 1はヨーロッパの風物を描いた絵画。
No. 2は花魁の絵。
では、どちらがヨーロッパ的で、どちらが日本的と感じるだろうか?
No. 2は有名な画家の描いたもの。彼の作品をもう少し見てみよう。


画家の名前は、フィンセント・ファン・ゴッホ。
彼は浮世絵を数多く所有し、模写も行った。
元の浮世絵と比べると、似ているようでいて、どこか違っている。
ゴッホというヨーロッパの感性を持った人間が日本の事物を目にすると、このように見えるのだろうと推測できる雰囲気の違いを感じる。



その受容が、まだ異物としてある時には、模倣は模倣として留まる。

しかし、受容がより内在化されると、意識的に外在化するのではなく、より自然に表現される。


「花咲くアーモンドの木の枝」は、とりわけ日本の絵画を意識しないとしても、日本の伝統的絵画の木の枝や花を思わせる。
その上で、ゴッホの力強さは残っている。
言い換えると、日本の花の種子を撒いたとしても、ヨーロッパ的な土壌から吸い上げた養分が感じられる。

ヨーロッパの絵画を日本人画家が受容するときにも同じことが起こる。
No. 2の絵画は、司馬江漢の「異国風景人物図」。
司馬江漢は、18世紀の終わり頃、平賀源内を通じて西洋画法(遠近法、明暗法、油彩など)を学んだとされる、日本で最初期の洋画家。
(蘭学者の杉田玄白たちによる『解体新書』の翻訳が刊行された時代。)
彼の洋画は題材が異国の風物であり、遠近法なども取り入れられていても、どこか平面的で、穏やかな印象を醸し出している。




面白いことに、司馬江漢は、鈴木春重という名前で浮世絵師としても活動していた。
春重の浮世絵は、司馬江漢の洋画と同じように遠近法が用いられ、日本の画家がヨーロッパ絵画の感性を受け入れた様子を見ることができる。

人物が左右対称に描かれる構図も、ヨーロッパの絵画を思わせるが、異質な要素も浮世絵の中に溶け込んでいる。

ゴッホと司馬江漢という二人の画家の例からわかることがある。


何かを模倣し、同じ物を作り出そうとしても、創作者の本質的な表現が反映する。
その後、受容が進むと、芸術家の本来の作品に、模倣したものの何らかの要素が取り入れられるようになる。
二つの文化が出会い、受容し合い、新たな美が生まれる。
二人の画家の例から、異文化受容の現場に立ち会うことができる。
有名な作品ばかりですね。司馬江漢の絵などは日本画とは思えない雰囲気を感じさせます。
(=^・^=)
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司馬江漢の有名な作品の収蔵場所は、wikipediaに書かれていますから、日本にいると、実物を見ることが容易ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B1%9F%E6%BC%A2
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