
『星の王子さま』で最もよく知られているのは、子供の頃に書いたヘビの絵、王子さまとバラの諍い、王子さまとキツネの会話だろう。確かにそれらのエピソードは印象深い。
それらに比べると、一般的には少し忘れられているように思われる、美しいエピソードがある。
それは、不時着から一週間後、パイロットが王子さまと一緒に、砂漠の中で一つの井戸を探すエピソード。
映像と音楽が響き合い、抒情的な詩情(poésie)が生み出されている。
砂漠の真ん中に不時着してから一週間が経っても、飛行機の修理は終わらない。それなのに、小さな王子さまはのんびりとキツネの話を続けようとする。
そんな時、パイロットはとても喉が渇き、王子さまと一緒に井戸を探しに砂漠の中を歩き始める。
Quand nous eûmes marché, des heures, en silence, la nuit tomba, et les étoiles commencèrent de s’éclairer. Je les apercevais comme en rêve, ayant un peu de fièvre, à cause de ma soif. Les mots du petit prince dansaient dans ma mémoire:
– Tu as donc soif, toi aussi ? lui demandai-je.
Mais il ne répondit pas à ma question. Il me dit simplement :
– L’eau peut aussi être bonne pour le cœur…
Je ne compris pas sa réponse mais je me tus… Je savais bien qu’il ne fallait pas l’interroger.
何時間も何も言わずに歩いていると、夜になり、星たちが輝き始めた。それらの星をぼくは夢の中にいるみたいに見ていた。ちょっと熱があったし、喉が乾いていたんだ。小さな王子さまの言葉が、ぼくの記憶の中で踊っていた。
「坊やも喉が渇いているのかい?」と彼に尋ねた。
でも、彼はぼくの質問には答えず、ただこんな風に言った。
「水は心にもいいんだ・・・。」
ぼくはその返事が理解できず、黙ってしまった・・・。王子さまに質問してはいけないことは分かっていた。
夜、真っ暗な砂漠の上に星々が光り始める。孤独と喉の渇きに苛まれていたとしても、その光景の美しさは心を打つものがあるだろう。
パイロットも、夢の中で星を見ているように思う。

その光景の中で王子さまが言った言葉は謎めいている。
「水は心にもいい。(L’eau peut aussi être bonne pour le cœur…)」
そして、「その言葉がぼくの記憶の中でダンスを踊る(Les mots […] dansaient dans ma mémoire)」。
この場面は、砂漠の夜の景色だけでなく、言葉自体が謎めいた美しさを持ち、詩的な効果を上げている。
Il était fatigué. Il s’assit. Je m’assis auprès de lui. Et, après un silence, il dit encore:
- Les étoiles sont belles, à cause d’une fleur que l’on ne voit pas…
Je répondis “bien sûr” et je regardai, sans parler, les plis du sable sous la lune.
- Le désert est beau, ajouta-t-il…
Et c’était vrai. J’ai toujours aimé le désert. On s’assoit sur une dune de sable. On ne voit rien. On n’entend rien. Et cependant quelque chose rayonne en silence…
- Ce qui embellit le désert, dit le petit prince, c’est qu’il cache un puits quelque part…
Je fus surpris de comprendre soudain ce mystérieux rayonnement du sable. Lorsque j’étais petit garçon j’habitais une maison ancienne, et la légende racontait qu’un trésor y était enfoui. Bien sûr, jamais personne n’a su le découvrir, ni peut-être même ne l’a cherché. Mais il enchantait toute cette maison. Ma maison cachait un secret au fond de son cœur…
王子さまは疲れて、腰掛けた。ぼくも王子さまの横に座った。しばらく黙った後で、彼はまたこう言った。
「星たちがきれいだね。目に見えない一本の花のおかげ・・・。」
ぼくは「もちろん」と応えただけで、それ以上は何も言わず、月に照らされた砂のうねりを見た。
「砂漠ってきれいだね。」と、彼は付け足した。
本当にそうだった。ぼくはずっと砂漠が好きだった。砂丘の上に座る。何も見えないし、何も聞こえない。でも、何かが静かに輝いている・・・。
「砂漠がきれいなのはね」と小さな王子さまが言った。「どこかに井戸を隠しているからだよ。」
ぼくはびっくりした。突然、砂漠の神秘的な輝きが理解できたんだ。小さかった頃、ぼくは古い家に住んでいた。言い伝えでは、宝物がそこに埋められているということだった。もちろん、誰も宝物を発見しなかったし、たぶん探す人もいなかった。でも、その宝物が家全体に魔法をかけていた。ぼくの家は、心の奥に一つの秘密を隠していた・・・。
ここでの王子さまは、美にとりわけ敏感な様子を見せる。星々の美しさ、砂漠の美しさ。
そして、その美しさの秘密は、目に見えない花とか、どこかに隠れている井戸のおかげだと、「ぼく」に伝える。
一方、先ほどは王子に言葉の意味がわからないといった「ぼく」も、今度は理解し、自分の体験を語り始める。
この場面で、サン=テグジュペリはフランス語の動詞の体系を巧みに使い分けている。王子との物語の進行は単純過去。「ぼく」の子供時代の体験は複合過去。
https://bohemegalante.com/2019/05/18/systeme-temps-verbe-francais-2/
例えば、Il s’assit. Je m’assis(彼は座った。ぼくは座った。)は、単純過去。その時制によって、語り手とは無関係の、物語の中で進行する出来事であることが示される。
それに対して、j’ai (…) aimé le désert(ぼくは砂漠が好きだった)は、複合過去。語り手の体験が読者に伝えられる。
さらに、王子さまの言うことが理解出来たことにびっくりするのは、物語の中の「ぼく」。「驚く(je fus surpris)」の単純過去で示される。
他方、子供の頃住んでいた家の思い出の中では、複合過去が使われる。(personne n’a su […], ne l’a cherché.)
日本語では、単純過去(王子さまとの出来事を語る物語)と複合過去(語り手の思い出)を区別しないために、フランス語による表現の違いを理解するのは難しい。
逆に言えば、フランス語で読むからこそ、サン=テグジュペリの意図をよりよく理解できることができる。

砂漠の井戸を探す場面でなぜその違いが効果的に使われているのか?
その理由は、物語の中の王子さまの言葉と「ぼく」の子供時代の体験が重なることが、示されるからである。
王子さまは、見えているものの後ろには見えないものが隠されていて、そのおかげで、目に見えるものは美しいと言う。
語り手の「ぼく」が子供時代に住んでいた家は、宝物を隠していた。パイロットは、王子さまの言葉のおかげで、その家がなぜ魅力的だったのか理解することができる。
王子さまの言葉がパイロットに、過去の体験の意味を教えてくれる役割を果たしているのである。
次に、二人が井戸を発見した場面を見ていこう。
Le puits que nous avions atteint ne ressemblait pas aux puits sahariens. Les puits sahariens sont de simples trous creusés dans le sable. Celui-là ressemblait à un puits de village. Mais il n’y avait là aucun village, et je croyais rêver.
- C’est étrange, dis-je au petit prince, tout est prêt: la poulie, le seau et la corde…
Il rit, toucha la corde, fit jouer la poulie. Et la poulie gémit comme gémit une vieille girouette quand le vent a longtemps dormi.
- Tu entends, dit le petit prince, nous réveillons ce puits et il chante…
Je ne voulais pas qu’il fît un effort:
- Laisse-moi faire, lui dis-je, c’est trop lourd pour toi.
Lentement je hissai le seau jusqu’à la margelle. Je l’y installai bien d’aplomb. Dans mes oreilles durait le chant de la poulie et, dans l’eau qui tremblait encore, je voyais trembler le soleil.
僕たちがたどり着いた井戸は、サハラ砂漠によくある井戸のようではなかった。サハラの井戸は、砂の中に穿たれた単なる穴にすぎなかった。この井戸は村にある井戸に似ていた。でも、ここに村は無かった。ぼくは夢を見ているのかと思っていた。
「変だね。」とぼくは小さな王子さまに言った。「全部あるよ。滑車も、桶も、ロープも・・・。」
彼は笑って、綱に手を触れ、滑車を動かした。滑車がきしんだ。風が長い間やんだ後の風見鶏がきしむみたい。
「聞こえるよね。」と小さな王子さまが言った。「ぼくたちが井戸の目を覚まさせたから、井戸が歌っている・・・。」
ぼくは彼に力を使わせたくなかった。
「ぼくがやるよ」と彼に言った。「ぼうやには重すぎるから。」
ゆっくりと桶を井戸の縁まで引き上げ、しっかりと据え付けた。ぼくの耳の中では、滑車の歌がまだ続いていた。まだ揺れている水の中で、太陽が揺れているのが見えた。

二人はやっと「井戸(puits)」を見つける。
その井戸は、サハラ砂漠の普通の井戸のように「ただ穴を掘ってある(de simples trous)」だけではない。たぶんパイロットが子供時代に見たに違いない、フランスの田舎にあるような井戸だった。
「滑車(poulie)」があり、「桶(seau)」と「ロープ(corde)」が付いている。
小さな王子さまは、桶で水を汲むために、綱を引いて、滑車を動かす。すると、「ギシギシと音を立て(gémir)」て動き出す。その音は、しばらく動いていなかった「古い風見鶏(une vieille girouette)」が久しぶりに動いたために立てるギシギシという音と似ている。
その時、王子さまは、井戸も他の生き物と同じように、生命を持った存在であると、「ぼく」に気づかせてくれる。
二人が井戸の「目を覚ました(réveiller)」おかげで、井戸は「歌を歌う(chanter)」。
滑車が動き、ロープが井戸の中に下り、桶が水とぶつかる。水しぶきの音が聞こえ、ロープがするすると引き上げられ、井戸の縁の石に置かれる。
そうした一連の動きの中で聞こえてくる音は、王子さまにとっては音楽であり、井戸が歌っているように聞こえてくる。
それは、喉がカラカラに乾いた「ぼく」の命を支えてくれる音楽でもある。
その命の音楽を聴きながら、「ぼく」は水の中に太陽が揺れているのを見る。
この場面は、美しい音楽と美しい映像が重なり合い、「水は心にもいい(L’eau peut aussi être bonne pour le cœur.)」という王子さまの言葉を、詩情に溢れた表現で表している。
- J’ai soif de cette eau-là, dit le petit prince, donne-moi à boire…
Et je compris ce qu’il avait cherché !
Je soulevai le seau jusqu’à ses lèvres. Il but, les yeux fermés. C’était doux comme une fête. Cette eau était bien autre chose qu’un aliment. Elle était née de la marche sous les étoiles, du chant de la poulie, de l’effort de mes bras. Elle était bonne pour le cœur, comme un cadeau. Lorsque j’étais petit garçon, la lumière de l’arbre de Noël, la musique de la messe de minuit, la douceur des sourires faisaient ainsi tout le rayonnement du cadeau de Noël que je recevais.
- Les hommes de chez toi, dit le petit prince, cultivent cinq mille roses dans un même jardin… et ils n’y trouvent pas ce qu’ils cherchent.
- Ils ne le trouvent pas, répondis-je…
- Et cependant ce qu’ils cherchent pourrait être trouvé dans une seule rose ou un peu d’eau…
- Bien sûr, répondis-je.
Et le petit prince ajouta:
- Mais les yeux sont aveugles. Il faut chercher avec le cœur.
J’avais bu. Je respirais bien. Le sable, au lever du jour, est couleur de miel. J’étais heureux aussi de cette couleur de miel.
「その水が飲みたいんだ。」と王子さまが言った。「一口飲ませて・・・。」
彼が何を探しているのか、ぼくは理解した!
ぼくは、彼の唇まで桶を引き上げた。彼は目を閉じて、一口飲み込んだ。お祭りみたいにいい気分だった。その水は食物とは全く別の物だった。星の下を歩いたこと、滑車の歌、ぼくの腕が費やした努力から生まれてきたものだった。プレゼントみたいに、心にとって美味しいものだった。小さい頃、クリスマスツリーの光や真夜中のミサの音楽、微笑みの穏やかさのおかげで、ぼくのもらったクリスマスのプレゼントは、とても光輝いていた。
「おじさんのところの人たちは、」と小さな王子さまが言った。「一つの庭の中で5000本のバラを育ててる・・・。でも、自分たちが探しているものを見つけない。」
「見つけない。」とぼくは応えた。
「でも、その人たちが探しているものが、たった一本のバラとか、ほんの少しの水の中にあるかもしれない・・・。」
「もちろん。」とぼくは応えた。
小さな王子さまが言葉を続けた。
「でも、目では見えない。心で探さないと。」
ぼくは水を飲んだ。深く息を吸い込んだ。明け方、砂は蜜の色をしている。その蜜の色で幸せな気持ちだった。
井戸からくみ上げた水を、王子さまが一口飲む。すると、クリスマスの「お祭り(une fête)」時のような「いい気分(doux)」が湧き上がってくる。
砂漠の中を歩き、やっと見つけた井戸で二人で苦労して水をくみ上げ、滑車の歌を聞く。水にはそうした全ての経験が含み込まれている。そうした体験全てが、水の美味しさの秘密なのだ。
水が、「食物(aliment)」とは別のものというのは、そのことを指している。
その水を口にした時には、全ての体験が甦り、お祭りの時のようにいい気持ちになる。
そのことを理解した「ぼく」は、子供時代のクリスマスの喜びも理解することができる。
プレゼントをもらった時にそうした幸福感を感じるとしても、実は、プレゼントに伴う全てのもの—「クリスマスツリーの光(la lumière de l’arbre de Noël)」、「真夜中のミサの音楽(la musique de la messe de minuit)」、「微笑みの穏やかさ(la douceur des sourires)」—が幸福感を作り出しているのだ。
王子さまは、バラについても同じことだと教えてくれる。
たくさんのバラを育てても、一本のバラを愛さなければ、探しているものは見つからない。探しているものは、一本のバラの中にある。
沢山のバラは目で見ることができる。しかし、探している一本のバラは、心で探さないといけない。
王子さまに秘密を教えてくれたキツネは、「「心じゃないと、よく見えない。本質的なものは、目に見えないんだ。(L’on ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux)」と言った。
こうして、キツネから王子さまへ、王子さまからパイロットの「ぼく」へと、一つの秘密が伝えられていく。
そして、パイロットの「ぼく」から読者に、同じメッセージが伝えられる。

美味しい命の水(キツネの秘密)を飲み込んだ「ぼく」の目には、砂漠が「蜜の色(couleur de miel)」で輝いているように見える。
世界が美味しく、そして美しく輝く。
砂漠の井戸と美味しい水のエピソートは、滑車の歌が奏でる音楽に乗せて、絵画のように美しい光景が映し出される。
それらを表現する言葉は、単純でありながら、同じ単語や表現の反復によって音色とリズムが生み出され、文全体が音楽を奏でているようでもある。
しかも、それらが明かす内容は、心に美味しい。

絵画性と音楽性を強く感じさせる砂漠の井戸の場面は、散文で書かれた詩のようでもあり、心地よいポエジーを発散している。
美味しい水を隠しているこの井戸は、『星の王子さま』のポエジーの源なのだ。
そうしたポエジーを強く感じさせてくる朗読がある。それは、ジェラール・フィリップが1954年に録音したもの。
全体が30分程度に要約されているので、「音楽だと思って」しばらくの間耳を傾けてみよう。