フランス語の時制体系 その2 フランス語独自の時制:単純過去

「フランス語の時制体系 その1」で示したように、フランス語の時制体系はほぼ規則的である。
https://bohemegalante.com/2019/05/17/systeme-temps-verbe-francais-1/

その中で、唯一独特なのが単純過去であり、その単純過去との関係で、複合過去が体系を例外的に乱す時制であることが理解できる。

単純過去と半過去の役割分担

現代の時間帯の中の現在と対応するのが、過去の時間帯の中では半過去である。そのことは、時制の一致をした場合、現在が半過去への移行することで理解できる。

ところが、過去の時間帯では、同じ枠組みの中に単純過去も存在する。言い換えれば、単純形(語尾変化する動詞活用)で、同じ過去の「今」の枠組みに二つの時制が使われる、ということである。

完了
j’avais chantéJe chantais
半過去
Il eut chantéil chanta
単純過去

過去の「今」の時点に二つの時制があるのは、フランス語特有の現象であり、英語やドイツ語等には存在しない。

では、半過去と単純過去は、どのように役割文体をしているのだろうか。フローベルの『ボヴァリー夫人』の冒頭で見ていこう。

Nous étions à l’étude, quand le Proviseur entra (…).

私たちは自習室にいた。その時、校長先生が入って来た。

日本語では、私たちが「いた」、校長先生が入って「来た」と、二つの文で共に「た」が使われ、二つの区別があまりはっきりしない。

しかし、フランス語では、Nous étionsという半過去でその時の状況が示され、その後、le Proviseur entraという単純過去で、主となる出来事が表されている。二つの過去時制を使い分けることで、背景となる状況と、そこで起こる出来事、行為が、区別して表現されるのである。

半過去=状況説明
単純過去=行為や出来事

そこで、小説の中で、単純過去を追っていくと、物語のあらすじがわかることになる。

Nous étions à l’étude, quand le Proviseur entra, (…). Ceux qui dormaient se réveillèrent, et chacun se leva comme surpris dans son travail.

私たちは自習室にいた。その時、校長先生が入って来た(・・・)。眠っている(dormaient)生徒たちは目を覚まし(se réveillèrent)、そして、一人一人が立ち上がった(se leva)。

校長先生が入って来て、生徒たちは目を覚まし、立ち上がる。単純過去の動詞は、このように出来事の順番に行為を語っている。

それに対して、半過去は、校長先生が入ってきた時、私たちが自習室にいたことや、眠っている生徒がいたという、背景になる状況を語っている。
もし、ceux qui dormaient(半過去)を、ceux qui dormirentと単純過去にすると、校長先生が入って来て、生徒たちが眠り、次に起きたことになってしまう。それでは不自然であり、ここでは半過去で状況を示すしかない。

単純過去は「歴史」の語り時制

単純過去のもう一つの特色は、「歴史」の語りでしか使用されないということである。

フランス語だけではなく、英語やドイツ語にも、「歴史」Histoireと「談話」Discoursという二つの語り方がある。(用語は、エミール・バンヴェニストから。)

この区別も日本語にはないため、日本人にとっては非常にわかりずらい概念である。
日本語では、語り手の今と語られる内容が常に繋がっていて、実況中継のような感じがする。言い換えると、どんな言葉にも語り手の心理が反映していて、主観的な感じがある。
従って、日本語では、「談話」の語りしかないと考えられる。

それに対して、寛惇過去を使うと、物語の内容が語り手の心理状態と切り離され、語り手の心理な思いが入り込むことがない。従って、歴知的な事実を主観を交えず、事実として語る時制だといえる。

文が書かれるときには、必ず書く人がいる。言葉から、書き手を切り離すことはできない。
そうした中で、ある内容は、発話者の視点を離れ、一般的な視点から語られる。例えば、歴史上の出来事がそれに当たる。

Napoléon naquit en Corse.

ナポレオンはコルシカ島で生まれた。

「歴史」の語りの時制である単純過去は、書かれている内容が、書いている人間とは関係のない過去の事実であることを示している。

そのために、単純過去は、Je やtuとは相性が悪い。一人称や二人称は、書き手と直接繋がっているために、語り手とその内容を切り離すことがまれだからである。

Je naquis en Corse.

私はコルシカ島で産まれた。

このように書く場合、コルシカ島で生まれた私と、それを書いている人(私)が切り離され、関係がないことになってしまう。
あたかも、je がil と同じ扱いを受けているような印象を生み出すのである。

従って、文法書では、単純過去は三人称、かつ、書き言葉だけで使用されると説明されることが多い。

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