口に心地よいフランス詩 ヴェルレーヌ  « À Clymène »

日本語でも、フランス語でも、詩では音楽性が重視され、耳に気持ちのいい詩は、日本語でもフランス語でも数多くある。
では、口に気持ちのいい詩はどうだろう? 声に出して読むと、口が気持ちいいと感じる詩。

言葉を発声する時、日本語では口をあまり緊張させないが、フランス語では口を緊張させ、しっかりと運動させる。
そのために、詩の言葉を口から出した時、とても気持ちよく感じられる詩がある。
その代表が、ポール・ヴェルレーヌの« À Clymène ». 声を出して詩句を読むと、本当に口が気持ちよくなる。
https://bohemegalante.com/2019/03/05/verlaine-a-clymene/

実際に詩を声に出して読む前に、口の緊張について確認しておこう。

日本語を母語とする者にとって、日本語とフランス語の口の緊張の違いが一番よくわかるのは、「イ」の音。
「ア・イ」といいながら口を意識すると、口の形がそれほど変わらず、ほとんど力が入っていないことがわかる。
それに対して、フランス語の[ i ]では、口に力を入れ、思い切り横に引っ張る。とても力が入り、緊張している。
テレビでアナウンサーが話すのを見る時、口が真一文字になっていることに気づくことがあるほど。

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ケニー・バロン ドライブ感がありながら端正でもあるジャズ・ピアノ

ケニー・バロンのジャズ・ピアノは、ドライブ感があり、エネルギッシュ。その一方で、繊細で端正な側面もある。

バロンが人気ジャズ・ピアニストになったのは、1990年代のテナー・サックス奏者スタン・ゲッツとの共演。アルバム”Voyage”に収められた Voyage はバロン自身の作曲。

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ヴォルテール 『カンディード』 地上における幸福に向けて

18世紀フランスの啓蒙主義を代表する作家ヴォルテールの創作活動の前半を要約する表現は、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」「人間とは、そのようであるべきもの。」といった、現状を肯定する傾向の現実認識に基づいていた。
しかし、後半になると、そうした楽観主義的な思想を否定し、悪の存在を強く意識し、より現実的な思考へと変化していった。

その変化の直接のきっかけとなったのが、1755年11月1日に発生したリスボンの大地震だった。
リスボンの85%の建物は破壊され、27万人の人口の3分の1にあたる約9万人が死亡したといわれている大震災だった。

その規模は、ヨーロッパの人々に大きなインパクトを与え、経済や政治だけではなく、哲学的にも大きな問題となった。

当時、地震は自然現象というよりも、神罰と見なされた。そこで、敬虔なキリスト教国家であるポルトガルで、11月1日の万聖節という祝日に、なぜ首都リスボンが地震にみまわれなければならなかったのか、多くの教会や聖堂が破壊され、罪のない人々が被害に遭わなければならなかったのか、大きな問題となった。

現代の日本でも、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東北大震災など、数多くの自然災害に襲われる。そして、被害を受けた人々は、なぜここが、なぜ私であって他ではないか、と自問することがある。
もし神様がいるとしたら、なぜそんな大災害を引き起こすのかと問いかけもする。

ヨーロッパの18世紀前半には、ドイツの哲学者ライプニッツ(1646-1716)が主張した、「慈悲深い神が創造する世界の中でも最善の世界の中で、全ての出来事は最善である」という楽観主義や、「慈悲深い神の存在と悪や苦痛の存在は矛盾しない」という説が流通していた。

しかし、ヴォルテールは、リスボンの大震災を前にして、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」とは言っていられなくなる。
その震災を直接の契機として、『リスボン大震災についての詩』を執筆し、悪の起源、神の行い、人間の自由などの問題を韻文詩の中で論じた。
さらに、1759年には、哲学的な物語(コント)という枠組みで、より具体的にライプニッツ的楽観主義を批判した。『カンディッドあるいは楽観主義』は、そうした思索の結実である。(注:Candideのカタカナ表記について、カンディードと長音を入れるのは違和感があるので、カンディッドと記す。)

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