
「クリメーヌに」« À Clymène »は、数あるヴェルレーヌの美しい詩の中でも、最も美しい。しかも、その土台には、ボードレールから受け継いだコレスポンダンスの思考があり、それを音楽的に表現している。
「クリメーヌに」の音楽性を感じるために、まずフォーレが作曲した曲で聞きたい。
つぎの朗読を。

ヴェルレーヌの詩においては、何よりも音楽が大切!
De la musique avant toute chose. (« Art poétique »)
第1詩節
Mystiques barcarolles,
Romances sans paroles,
Chère, puisque tes yeux,
Couleur des cieux,
ゴンドラ乗りの不思議な歌、
歌詞のない恋の歌、
愛しい女(ひと)よ、
あなたの目が空の色だから、
Mystiques barcarollesは神秘的な舟歌。
mys-ti-que 3音節で、最初の二つの母音は、i。口を横に強く引っ張り、緊張した音。
bar-ca-rolles。こちらも3音節だが、今度は、広いaの音が二つ続き、最後は広いoの音。口を大きめに丸くするので、音自体も円やか。
iの緊張から、a, oの円やかさへ。この時、口がとても気持ちよくなる。
ランボーの母音の理論では、iは赤。aは黒。oは青。
https://bohemegalante.com/2019/05/28/rimbaud-voyelles/
« Mystiques barcarolles »という第一詩行の中で、色彩が赤、黒、青と変化してゆく。
Ro/man/ces/ san/s pa/rolesでは、前のoを受けて、rOで始まり、anと鼻母音が二つ続いた後、aが戻り、最後はrOllesとoで終わる。
barcarollesとparolesは、oが韻を踏むだけではなく、rとlという二つの音も共通し、豊かな韻(rimes riches)になっている。
最初の2つの詩句の円やかさは、こうした音によって生み出される。
翻訳では音は再現できないので、音楽性はフランス語で読まないとわからない。
Chèreと呼びかけられる相手は、題名となっているクリメーヌ(Clymène)。
クリメーヌは森や山に住むニンフであり、自然と近い存在。彼女の目は、空の色。森の中にある池の水が、空の青を映し出している様子を指している。
puisque(だから)の後に、名詞(mes yeux)が置かれ、その後、色(couleur)という名詞が同格の位置に置かれている。動詞はない。そのことで、あなたの目と言った後、次の対象へと意識が移っていくことが、スピード感を持って示されている。
Puisqueという言葉は、第2詩節から何度も繰り返され、詩全体のリズムを形作る。そのことで、意味だけではなく、音やリズムが詩においていかに重要な要素か、わからせてくれる。
第2詩節
Puisque ta voix, étrange
Vision qui dérange
Et trouble l’horizon
De ma raison,
あなたの声が、奇妙な姿に見え、
私の理性の水平線を、
混乱させ、
掻き乱すから、
第2詩節に入ると、目(視覚)から声(聴覚)へと意識が移る。
声が奇妙というのは、普通と違っているということ。その声は目に見えないが、形を持つ。つまり視覚の対象になるということが、vision(幻の姿)という単語で示される。
これはまさに共感覚(synesthesia)であり、視覚が聴覚を呼び覚ます作用だといえる。
そのことを表現するのに、voix, visionと名詞を同格に置くだけで表現するヴェルレーヌの詩句は、本当に見事としか言いようがない。
しかも、vの音が重なり、音的にも共通感覚が働いている。
次に、その声の姿がどんな作用を及ぼすか、関係代名詞を使って説明される。
恋愛によって理性の抑制が効かなくなるように、理性を混乱させるのだ。
ヴェルレーヌはこの時、déranger(整っているものを乱す)と、troubler(混乱させる、トラブルを引き起こす)という二つの動詞を用い、理性の地平が掻き乱される様子を強調している。
第2詩節でも、puisqueで始まり、ta voix, visionと声が同格の名詞によって説明されるだけで、動詞がなく、文が完結しない。それはちょうど、愛している人に心を打ち明けるとき、言い始めては言いよどむ時の様子を思わせる。
第3詩節
Puisque l’arôme insigne
De ta pâleur de cygne
Et puisque la candeur
De ton odeur,
あなたの白鳥の青白さは
特別な芳香を放つから、
あなたの香りは
純真だから、
この詩節では、香りと色彩のキアスム(Chiasme, 交差配列)が使われ、臭覚と視覚の交感を形の上で示す。
実際、arôme(アロマ、芳香)からpâleur(青白さ、色)へ、次に、candeur (無垢さ、語源がラテン語candor、白)からodeur (臭い)という順番で語が並べられている。(香り、色ー色、香り)(残念ながら、上の翻訳ではこうしたキアスムがうまくいませんでした。)
音的には、一行目のpuisqueの後は、a-oからiへ、二行目は、a, a からiへ。
しかも、韻はiをsとgnという同じ子音が取り囲み、豊かに響くrimes richesになっている。
口に出して読むとはっきりと感じるのだが、この韻はとても印象的で、しかも口に心地よい。
二番目のpuisqueの後は、再びa (la)から始まり、d-eu-rで終わる。ここでも、豊かな韻(rimes riches)が再び使われている。
最初の二行ではiがはっきりと感じられ、緊張感のある音が続くが、次にa, oが多く出て、まろやかな音楽を作り出している。鋭いi があるので、丸みがますます強調されるのである。
意味的な次元では、白鳥が白blancではなく、pâleur(青白い)と言われているところが気にかかる。blancではなく、pâleとすることで、純粋さが失われからだ。それに対して、芳香(arôme)は、はっきりとわかるを意味するinsigneという形容がなされ、高貴な印象。同様に、candeurも、ラテン語の白(cando)を連想させる高貴な語。odeurという単語は、arômeやparfumよりも俗。従って、香りと色彩の交感(コレスポンダンス)と同時に、高貴と俗が交感している様も歌われている。
第4ー5詩節
Ah ! puisque tout ton être,
Musique qui pénètre,
Nimbes d’anges défunts,
Tons et parfums,
A, sur d’almes cadences
En ses correspondances
Induit mon cœur subtil,
Ainsi soit-il !
ああ! あなたの存在全体が、
突き抜ける音楽であり、
亡くなった天使たちの後光であり、
音であり、香りだから、
心地よいテンポに乗せて、
すべてが対応する世界へと
私のか細い心を導いてくれた。
そうあれかし!
この二つの詩節は、構文的につながっている。
tout ton êtreが主語、a induitが動詞、mon cœurが目的語。
散文の語順にすると、ton être a induit mon cœur en ses correspondances(あなたの存在が、私の心をコレスポンダンスに導いた)となる。
(induire … en …は、古い時代のフランス語の用法。)
第4詩節は、共感覚(synesthesia)が全面的に展開する。
あなたの存在と、音楽(聴覚)、死んだ天使の後光(視覚)、音(tons ; 聴覚)、香り(parfums : 臭覚)が同格に置かれ、それぞれの対応が暗示される。
この部分は、明らかに、ボードレールの「コレスポンダンス」Correspondances 第2詩節を踏まえている。
https://bohemegalante.com/2019/02/25/baudelaire-correspondances/
ボードレールはそこで、香りと色と音が応え合っている(« Les parfums, les couleurs et les sons se répondent..»)と歌った。香りと色彩と音が対応が起こるのは、暗く深い一つのもの(une ténébreuse et profonde unité)の中。
ヴェルレーヌは、そのunitéをあなたの存在全体(tout ton être)とする。全体(tout)という言葉が、unitéとの深い繋がりを示している。
ボードレールが共感覚の場を神秘的な宇宙として思い描いていたのに対し、ヴェルレーヌは一人の愛する人そのものと考える。
ヴェルレーヌの素晴らしさは、壮大な世界観を、身近なものを通して描くところにある。
詩人はクリメーヌを前にして、音楽を耳にする。その音楽は私(詩人、ヴェルレーヌ、読者一人一人)を貫き通す(pénétre)力を持つ。
死んだ天使の後光に関しては、nIMbes d’ANges défUNsの中に含まれる3つの鼻母音の響きが耳を打つ。声に出して読むと、リズム感のよさがはっきりと感じられる。
第5詩節の最初は、A で始まる。
これは第4詩節の最初のAh と同じ音で、二つの詩節を音的に繋ぐ役割を果たしている。
d’almes cadencesのalmesは、bienfaisant(恩恵をもたらす)と解説されることが多いが、もともと養うという意味なので、心を豊かにしてくれるリズムと考えることができる。
そのリズムに乗って、あなた(クリメーヌ)が私の心をコレスポンダンスの状態に導いたのだった。
a induitと複合過去形になっているので、すでに完了したこと。
音的には、aで始まり、Almes, cAdences, correspondANcesと続き、aとその鼻母音が反復して響く。
しかし、最後は、iの韻が二つの子音(t とl)を伴い(subTIL, soiT-Il)、豊かな韻(rimes riches)で終わる。
aの展開から、Mystiquesのi に戻ったのだ。
最後の、Ainsi soit-il は、そうあって欲しいという意味で、キリスト教のミサの時に唱和する言葉。ここでは宗教を離れ、あなたを通して私の心がコレスポンダンスの状態になりますようにと、「祈り」を捧げて、「クリメーヌに」という詩の扉を閉じる。
複合過去形でそうなったと言ったものの、最後にもう一度、そうであって欲しいと祈る気持ちを強く打ち出している。
ヴェルレーヌは「クリメーヌに」の中で、ボードレールが歌ったコレスポンダンスを完全に消化し、彼自身の詩句で表現した。ボードレール的な重厚さではなく、軽やかで音楽的な詩句に載せ、愛の唄として、コレスポンダンスを歌う。
これほど美しい詩は他にないのではないかと思うほど素晴らしい出来栄えの詩。ヴェルレーヌの最高傑作の一つである。
掘口大學の翻訳を見たら、びっくりしたことがある。
第一詩節
思わせぶりな舟うたよ
文言(もんごん)のない恋歌よ、
よき人よ、空のいろ
君がひとみ、
第4−5詩節
ああ! かくておん身のなべて、
忍び寄る楽(がく)の音(ね)さては
死に絶えし天使の後光、
色どりにしてまたかおり
ことごとくわれを捕虜(とりこ)に
巧みにも、
照応の妙なる律にのせたれば、
かなわじな、アーメンとより!
この訳(?)、ヴェルレーヌの詩の意味が全然わからない。
Ainsi soit-il ! が、かなわじな、アーメンとより! 誰が理解できるのだろう。
たぶん、象徴詩ということで、意味不明でも、それが何かを暗示すると考えたのかもしれない。とりわけヴェルレーヌのような音楽性を重視した詩は、やはりフランス語で読み、味わうしかない。
「ヴェルレーヌのコレスポンダンス 「クリメーヌに」 Verlaine, « À Clymène »」への2件のフィードバック