柿本人麻呂 飛鳥時代の抒情 失われたものへの愛惜を詠う

『万葉集』を代表する歌人である柿本人麻呂は、あえて時代錯誤的な表現を用いるなら、日本で最初の抒情詩人といっていいかもしれない。実際、人麻呂の和歌には、時間の流れに運ばれて失われていくものへの愛惜を美しく表現したものが数多くあり、現代の私たちが読んでも心にすとんと落ちる情感が詠われている。

そのことを最もよく示しているのが、「かえり見る」という姿勢である。そして、振り返るとともに甦ってくる「いにしえ」に思いを馳せるとき、そこに「悲し」の情感が生まれ、飛鳥時代から現代にまで繫がる日本的な抒情が、美として生成される。

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アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩  6/7 旅の思い出から「もう一つの現実」へ

「ゾーン」の89行目の詩句からは、世界各地への旅が始める。それはアポリネールの現実の体験に基づいていると考えられるが、そこから出発して、「もう一つの現実」が創造されていく過程だと考えてもいいだろう。

Maintenant tu es au bord de la Méditerranée
Sous les citronniers qui sont en fleur toute l’année
Avec tes amis tu te promènes en barque
L’un est Nissard il y a un Mentonasque et deux Turbiasques
Nous regardons avec effroi les poulpes des profondeurs
Et parmi les algues nagent les poissons images du Sauveur (v. 89-94)

(朗読は6分42秒から)
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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 3/6 「私」のポエジー

ネルヴァルにはオリエントやドイツ、オランダなどに関する紀行文が数多くあり、多くの場合、「私」を主語にした一人称の文を書いてきた。

1850年になると、訪問先は外国ではなく、フランス、しかも彼が幼年時代を過ごしたヴァロワ地方になる。
そして、同時代の社会の出来事や風物だけではなく、子ども時代の思い出を語り始める。

思い出を語ることは、旅行先での自分の体験を語る以上に、自分の内面を語ることになる。
そして、そのことが、ネルヴァル的「私」のポエジーを生み出すことに繋がっていく。

ネルヴァルにおいて、「私」について語ることで、どんな風に詩情が生まれるのか?
そのメカニスムを、1850年に発表された「塩密売人たち(les Faux-Saulniers)」を通して跡づけてみよう。
(その作品は『火の娘たち』に収められた「アンジェリック」にかなりの部分が再録されているので、ある程度までは翻訳で読むことが可能。)

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ピエール・ド・ロンサールのシャンソン ルネサンス期の音楽

16世紀のプレイアッド詩派の詩はしばしばメロディーをつけて歌われた。

ピエール・ド・ロンサールの「女性を飾る自然」« Nature ornant la dame »。
ポリフォーニーで歌われている。

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ラマルティーヌ「湖」Lamartine « Le Lac » ロマン主義的抒情 

1820年に発表されたラマルティーヌの「湖」« Le Lac »は、ロマン主義的抒情詩の典型的な作品。この詩を読むと、フランス・ロマン主義の本質を知ることができる。

詩の内容は、失われた幸福を懐かしみ、それが失われたことを嘆くというもの。
昨年、愛する人と二人で幸福な時を過ごした。その湖に今年は一人でやってきた。時は否応なく過ぎ、幸福な時は失われてしまった。その悲しみを抒情的に歌う詩である。

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