
芥川龍之介が芭蕉の俳句について書いたエセーの中に、俳句の言葉が奏でる音楽の美しさに触れた章がある。
その章は「耳」と題され、次のように始まる。
芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけぬのは残念である。もし「調べ」の美しさに全然無頓着(むとんじゃく)だったとすれば、芭蕉の俳諧の美しさもほとんど半ばしかのみこめぬであらう。
耳の穴が塞がっていては、音が聞こえない。芭蕉の俳句を読む時、「調べ」の美しさに耳を塞いでいるのでは、あまりにもったいない。
芥川は、俳句の美しさの半分が「意味」にあるとしたら、後の半分は「調べ」にあると考えている。
その後、芥川は、3つの俳句を取り上げる。
夏の月 御油(ごゆ)より出でて 赤坂(あかさか)や
年(とし)の市(いち) 線香買ひに 出(い)でばやな
秋ふかき 隣は何を する人ぞ
私たちの耳に、これらの言葉の美しい調べが聞こえてきたら、どんなに幸せな気分になることだろう。
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