ジェラール・ド・ネルヴァル 「10月の夜」ユーモアと皮肉 Gérard de Nerval « Les Nuits d’Octobre » humour et ironie 3/5

1852年10月30日発行の『イリュストラシオン』誌に掲載された『10月の夜』の第3回。

19世紀半ばのパリ中央市場付近の様子が具体的に描かれ、当時の民衆言葉も再現されているために、歴史的資料としても興味深い。

他方で、あまりにもローカルな事柄がローカルな言葉で書かれている部分もあり、現代の読者にはわかり難い部分もある。

10.焼き鳥屋

おお、真珠のように麗しい声の少女よ、――お前は、音楽院で教えられるみたいな‘楽句の区切り方’を知らない。――‘歌い方を知らない’と、音楽評論家なら言うだろう・・・。でも、ぼくはうっとりする。若々しい声の響きと、祖母たちの素朴な歌と同じように震える語尾に! お前が作った歌詞は韻を踏まないし、メロディーは‘教会音楽の4本の譜線’には書けない。―― あの小さな集いの中でだけ理解され、大喝采を浴びる。お前のお母さんに向かって、歌の先生のところに通わせろという人が出てくるだろう。―― そこに行くようになったらすぐに、お前は失われる・・・。私たちにとっては失われてしまう!―― お前は今、深淵の淵で歌っている、北欧神話の『エッダ』に出てくる白鳥みたいに。学識に染まっていない純粋なお前の声を、思い出として持ち続けることができますように! 歌劇場でも、コンサートでも、―― 歌声喫茶でさえも、お前が歌うのを聞きませんように!

さらば、さらば、永遠にさらば!・・・ お前は、ダンテが描いた黄金の天使、闇に包まれた輪の上にポエジーの最後の輝きを投げかける天使に似ている。輪の作り出す巨大な螺旋はずんずん小さくなり、暗い井戸にまで達する。悪魔リュシフェールが最後の審判の日まで繋がれている、あの井戸まで。

さあ、ぼくたちの回りを回れ、微笑む二人も、悲しげな二人も・・・「愛の広場がまだ血を流す亡霊たちよ!」 お前達が作り出す竜巻は、靄の中に徐々に消え去っていく・・・。ピアが、フランチェスカが、ぼくたちの横を通りすぎていくようだ・・・。不倫、犯罪、人間の弱さが腕を組み、お互いを見ることなく、偽りの幻の中を横切っていく。

昔のサン・トノレ修道院の最後の残骸がまだ残っていて、新しい家の玄関側の建物で見えなくなっている。その裏に焼き鳥屋があって、夜中の二時まで開いている。店に入る前に、友だちがその場の雰囲気を強く感じさせる歌を口ずさんだ。

「グラン・パントでは、風が/ブリキの看板きしませる。/凍り付くほど冷え冷えする時、――  キッチンでは輝いている/いつでも薪が、竈の中で/永遠の炎さ、――  
どこにいる、数珠つながりになって焼かれる/ガチョウの雛たち、アヒルたち、七面鳥たち、雌鶏たち/くるくる回る焼き串で!それから、それから、黄金に輝く太陽が/まだ鍋の上で/光を投げかけ、しがみつく!」

でも、太陽について話すのは止めよう。もう夜の12時過ぎだ。

焼き鳥屋の席はそれほど多くない。満席だった。

「他所に行こう。」とぼくは言った。「でも、その前に」と友だちが言う。「ちょっと鶏スープを飲んでいこう。腹いっぱいにはならないけどね。ヴェリの店だと1フランだけど、ここなら10サンチーム。わかるだろ、毎日五百羽の雌鶏を売る焼き鳥屋には、骨やハツや肝臓がある。それを釜の中に放り込めば、極上のスープができあがるって次第。」

カウンターの上に、二つのカップが出てきた。スープは本当に美味しかった。―― それから、ストラスブール産のザリガニをすすって食べた。小さなオマールエビみたいだった。ムール貝、フライドポテト、切り刻まれた極安の鶏肉、それが常連客たちのごく一般的な夕食だ。

どのテーブルも客が減ることはなかった。立派な様子の一人の女性が、ルーベンスの絵に出てくる海のニンフたちとか、ヨルダーンスが描くバッカスの巫女たちのような服を着て、私たちの近くで、一人の若者に忠告していた。

若者は、エレガントな服の着こなしで、細身。色白の肌が引き立っているのは、長い黒髪と、丁寧にくねり、先端が尖るようにクリームで磨かれた口ひげのため。礼儀正しく、堂々とした女主人の意見に耳を傾けている。非難するところがあるとしたら、気取ったシャツ。レースのひだ飾りの袖に皺がよっていた。それから、青いネクタイと、緑のラインの付いた燃えるように赤いチョッキ。腕時計のチェーンは金みたいに見えるけれど、模造品かもしれない。止めピンはライン河の人造の宝石か。でも、光に照らされると、結構豪華に見えた。

「わかる、‘お仲間ちゃん’。」と女性。「あんた、夜の商売には向かないのよ。どんなにねばっても無理! ガラのスープでなんとかやってるけど、お酒で身体はぼろぼろ。朝は、動悸がして、頬は真っ赤。強そうには見える。だって、頑丈だから・・・。でも、こんな時間は寝た方がいいのよ。」

「どうやって?」と若者が言い返した。パリのごろつきたちの言い方だった。ぜいぜい喘いでいるような感じ。ウイスキーとパイプ煙草を若い時から常用するせいで、そうなるのだった。「自分のことを自分で決めちゃいけない? 悲しいから飲んでるんだ。ギュステイーヌが裏切ったんだ!」

「あの子はあんたを裏切った。でも裏切ってない・・・。ただふらふらしてる。それだけよ。」

「ぼくはあんたに、母さんに話すみたいに話してるんだ。ギュステイーヌが戻ってくれば、それで終わり。真面目になる。雑貨屋の資金を手にする。で、結婚する。」

「また馬鹿なことを!」

「あいつ、おれに言ったんだ。おれには生活の基盤がないって。」

「おやねえ、若いこと!その手の女はね、そりゃ、あんたおしまいよ。」

「あいついつか殴られるってこと、知らないんだ!・・・」

「もうお黙り!」とルーベンス風の女が笑いながら言った。「あんたなんかじゃ、女を治せるわけないでしょ。」

ぼくはもうそれ以上に話を聞きたいとは思わなかった。―― ジャン・ジャックが都会の風俗を非難したのは正しかった。都会の堕落は、そのうちに田舎にまで広がるだろう。―― こうした全てを通して、愛の言葉や感情がこもった声が聞こえてくる。死にそうな悪徳の声が、やくざな言葉使いを通して聞こえてくる。悲しいことだ!

もしぼくが作家という職業の苦しい使命を果たしているという確信がなければ、これ以上続けるのを止めるだろう。でも、友だちがぼくに言うんだ。ちょどヴェルギリウスがダンテに言ったみたいに。「オール シ フォルテ エド アルディト。―イマイ シ スケンデ ペル シ ファッテ スカーレ・・・。(気持ちを強くし、大胆であれ。ここまで下りてきたのは、こんな階段からにすぎない。)」

そう言われて、ぼくはモーツアルトの歌のメロディーで、こう応えた。

「アンディアム! アンディアム! アンヂアモ ベーネ! (さあ行こう! さあ行こう! しっかり行こう!)」

「間違ってる!」と友だちが言う。「ここは地獄じゃない。せいぜい煉獄だ。もっと先まで行こう。」

11.中央市場

―― 「なんてきれいな夜なんだろう!」―― そう言うぼくの目には、広い市場の上にきらきらと輝く星が見えていた。左手に描き出されているのは、小麦市場の丸屋根。一緒に見える神秘的な円柱は、スワソン館の一部で、カトリーヌ・ド・メディシスの天文観察台と呼ばれていた。その向こうには家禽市場。右手に見えるのは、バター市場。その向こうは肉市場だが、建物は未完成のまま。―― サントゥスタッシュ教会の灰色がかったシルエットが、この光景を締めくる。その素晴らしい建造物の内部では、中世の花模様の装飾形式がルネサンス時代の整然とした図柄と見事に結びつき、月明かりの下でいっそう輝いている。補強の柱はゴシック様式。フライング・バットレスは奇怪な鯨の肋骨のように数が多い。扉と窓のアーチはロマネスク様式で、装飾が天井のアーチの一部のように見える。不幸なことこの上ないのは、これほど希少な教会内部が台無しにされていること。右側にはイオニア様式の柱を施された聖具部屋の扉なんかが付けられ、左側は16世紀の建築家ヴィニョル風の正面入り口があったりする!

中央市場の舗石になっている狭い空間に、活気が戻り始めた。野菜売り、魚売り、バター売り、青物野菜売り、彼等の荷車がひっきりなしにすれ違う。荷物を降ろす場所に着いた荷車引きたちは、カフェや酒場で1杯やって一息つく。一晩中開いてるんだ。モンコンセイユ通りの建物は、牡蠣市場まで伸びている。モンマルトル通りの方だと、ポワント・サントゥスタシュ通りからジュール通りまで。

右の方には血抜き用のヒルを売っている女たち。反対側はラスパーユ方式の薬屋の店が幾つかとシードル売り。―― そこでは、カーン風の牡蠣と内臓料理を食べることができる。時々あたったりするから、薬屋も無駄じゃない。でも、歩いているおかげで健康な人間には、シードルとかナシ酒を1杯ひっかけるのがいい。リフレッシュできる。

僕達はシードル・ヌーヴォーを頼んだ。――‘強い’シードルを楽しめるのはノルマンディー地方かブルターニュ地方の人だけだ。―― シードル・ヌーヴォーが来るのは一週間後という返事。まだ収穫がよくないという。―― 「ナシ酒なら」と返事が続く。「昨日から入って来ている。去年はなかったんだけど。」

ドンフロンの町(不幸の町)は、今回はとても幸せだ。―― そこの酒は、白くて、シャンパンみたいに泡立っていて、リムーの発泡性白ワインを思わせる。ワインボトルの中に寝かされたものは、飲んだ人をひどく酔わせる。―― その上、同じ所のシードルからできたウイスキーみたいな酒もある。値段は小さなグラスの大きさによって色々。瓶のラベルにはこんな風に書かれていた。

ル・ムッシュー:4スー
ラ・ドゥモワゼル:2スー
ル・ミゼラブル:1スー

このウイスキー、カップの大きさによってこんな風に呼ばれているけれど、全然悪くないし、アブサンと代用にもなる。―― ご立派な食卓では全然知られていないけれど。

12.インノサン市場

魚市場の左を通りかかる。市場が活気付くのは5時から6時にかけてで、競りが始まる時だけれど、作業着を着た多くの男たちがいた。丸い帽子に、白地に黒い線の入った外套。インゲン豆の袋の上で横になっている・・・。たき火のそばで温まっている奴らもいる。野営の兵隊みたいだ。―― 別の奴らは近くの酒場の中で酒を飲んで温まっている。袋のそばに立って、インゲン豆の競売に熱中している奴らもいる・・・。そこで値段や利鞘、保証金、繰越取引なんかを議論していた。結局のところ、株式と同じような上昇と下落の話。

「作業着の奴らはぼくたちより金持ちさ」と連れが言った。「偽物の農民。荷馬車引きの上っ張りや仕事着の下に、完璧な服を着ている。明日になると、作業着を酒売りの店に置き、二輪馬車で家に戻って行く。有能な投機屋は上っ張りが好きなんだ。弁護士がマントを着るみたいなものさ。あそこで寝ている中には‘密告屋‘もいれば、単なる荷馬車引きもいる。」

「ソワソンのインゲン豆、46−66フラン!」と僕達の近くで叫ぶ低い声がする。「月末には48フラン。」と別の声がする。「白いスイス産は値段がつけられない。」「ひどく小さいのは28フラン。」「ソラマメは13から34フラン・・・。‘インゲンマメ’はふわふわ。等々。」

僕達としては、ここにいるご立派な方々はそっとしておいて、好きに戦略を練らせておこう。

「こうやって、彼がどのくらいの額を得したり、損したりすることか・・・。賭博が閉鎖されたからさ!」

13.死体置き場

ジャガイモ市場の列柱の下では、早起きの、というか、夜からずっとぐずぐずしている女達が、ランプの光の中で、商品の皮を剥いていた。可愛い子もいて、母親の目の届くところで、昔の歌を口ずさみながら働いている。こうした女性たちは、しばしば見かけよりもリッチだが、お金があるからといって、きつい仕事をやめることはない。ぼくの友だちは嬉しそうに、一人の綺麗な金髪の子と長いこと話しこんだ。話題は中央市場で行われた最近の舞踏会のこと。彼女はその時の花形の一人だったに違いない・・・。話し方がとてもエレガントで、社交界の女性のよう。どんな気まぐれなのかわからないのだけれど、友だちは母親の方に話しかけた。「お嬢さん、チャーミングだねえ・・・。‘袋は持ってる?’」(中央市場の言葉で、お金はあるのか、という意味。)「持ってないわよ。あんた。」と母親。「袋持ってるのは私よ!」「じゃあ、マダム、もしあんたが未亡人なら、そうだなあ・・・。その件についてはそのうち話そうよ!」「あっちにいっちまいな、おっちゃん!」と娘の方が大きな声で言った。―― その言い方はひどく市場っぽくて、さっきまでの言葉遣いとはひどく違っていた。

その娘が、ぼくには、『ファウスト』に出てくる金髪の魔女のように見えた。ワルツを踊る相手と親密に話しながら、口からは赤いネズミが出てくる魔女だ。

ぼくたちは来た道を後戻りしたが、背後からこちらを揶揄するような呪いの言葉が投げかけられた。そうした言葉は、ひどく民衆的な表現を使ったヴァーデの対話のモデルになるようなものだった。

―― 「絶対夕めしを食おう。」と友だち。「ここにボルディエの店があるけれど、中が狭い。みかん売りやその女房たちが集まるところだ。別のボルディエの店がズルズ通りの角にある。そこはぼちぼち。中央市場レストランは最近彫刻が新しくなり、金箔も貼られた。レニ通りにあるやつ。メゾン・ドールも悪くない。」

―― 「他にも色々あるよ。」と、ぼくは同じような建物がずっと続いている方に目をやりながら言った。そちらはキャベルに特化した市場に沿っている。

―― 「わかってるのか? ありゃ‘死体置き場’だぜ。前の世紀、あそこには、絹の服に剣と袖飾りという出で立ちの詩人たちが夕飯に来てた。社交界からのお誘いがなかった時さ。6スーの定食を終えると、よく自分の詩を朗読した。荷車引きとか、野菜栽培の奴らとか、身体が屈強な奴らに向けてだ。ロベが言ったものさ。「こんなに大受けしたのは、ここの人達が一番だった。自然の手によって芸術教育を受けたからだ!」ってね。」

丸天井をした地下酒場にたむろして詩に耳を傾ける客人たちは、夕食の後、ベンチやテーブルの上で横になった。翌日になると、青空の下、2ソルで ‘床屋’に化粧してもらう。その後、仕立屋の女たちに服を繕ってもらう。そんな風にして、リュクサンブール夫人や、ユス嬢、ボアルネ伯爵夫人たちの朝のお目覚めの会に行き、そこで目立とうとした。

14.バラット

時代は変わってしまった。―― 死体置き場の地下酒場が今では再建され、ガス燈で照らされている。食べ物も清潔だし、テーブルの上でも、下でも、寝るのは禁止。それに、なんてたくさんのキャベツが並んでいるんだろう!・・・ フェロヌリ通りに並行する道もキャベツで一杯。近くのサント・オポルチューンウ教会の回廊には、本当に山のようにある。ニンジンやカブも同じ地区にある。「フリゼがいい? ミランは? 玉キャベツはどう?」と売り子の一人がぼくたちに声をかける。

通りを横切りながら、怪物みたいなカボチャがすごいと思う。ソーセージ、腸詰め、一杯1スーのコーヒーを勧められたりする。――ピエール・レスコとジャン・グジャンの噴水の足元には、吹きさらしの風の中で、死体置き場のよりももっと慎ましい夕ご飯を食べる人々がたむろしている。

ぼくたちは挑発の声に耳を塞ぎ、バラットの方に向かうのだが、押し寄せて来る果物売りや花売りたちをかき分けないといけない。―― 彼女たちの一人が叫ぶ。「可愛いキャベツちゃんたち、あんたたちのご婦人にお花をたくさん買ってあげて!」この時間帯だと卸売りしかしないので、そんなにたくさんの花束を買うためには、花をプレゼントする女性が数多く必要だろう。―― 別の子が自分の仕事の歌を歌う。

「レネット・リンゴとアピ・リンゴ!―― カルヴィル! カルヴィル! 赤カルヴィル!―― 赤カルヴィルと灰色カルヴィル!

「ちょっと引っ込んだ所――  お店の中よ ―― 知らない人達が見え、私にこう言う、「かわい子ちゃん―― こっちにおいで、たくさん売れるよ!」

「だめ!―― 行けないの。―― だって、残っているのは、アーチチョーク一つと―― 3つの小さな花キャベツだけ!」

この人魚達の声に動かされず、ぼくたちはバラットに入る。作業着を着た一人の男が、 ‘小さな若者を持っている’(少し酔っぱらっている)ように見え、花の束の上で転がっていた。店から無理矢理放り出されたんだ。大騒ぎをしたからだ。そいつは赤いバラの塊の上で寝ようとしている。自分のことを年老いたシーレーノスで、バッカスに仕える巫女たちが香りのいいベッドを準備してくれたと思っているらしい。でも、花売りたちが彼の上に襲いかかり、どちらかといえばオルフェウスの運命に晒されている・・・。警官が間に入り、彼を革市場の交番に連れて行く。そこは、遠くの方からでも、塔と明るい時計盤が見えている。

バラットの大きな部屋は結構騒がしい。でも、個室や別室もいくつかある。ここがエリートのレストランだってことを隠しておくことはない。普通注文するのは、オスタンドの牡蠣。お酢の中で小さく切り、胡椒をふったエシャロットの煮込みも少々頼む。それに牡蠣をちょっと浸して食べる。次は、オニオン・スープ。中央市場では格別美味しい。洗練された人間なら、そこにパルメザン・チーズを削って入れる。―― ヤマウズラか魚も頼む。もちろん取れたてのもの。ボルドー・ワインや上等の果物も。これだけあれば、中央市場で美味しい夕ご飯が食べられるってこと、わかってもらえるだろう。―― しめて一人7フランくらいの出費。

わかっていない人が多いのだけれど、仕事着を着た男達と、頭巾とスカーフをした郊外の女達が混ざり合って、お互いにうまく養い合っている。もう言ったように、彼等は偽物の農民で、そうは見えないけれど金持ちだ。中央市場で商品を配達する奴らも、野菜、肉、バター、海産物を大量に扱う商人たちも、しなきゃいけないことを知っている。身体が屈強な男達はマルセイユの荒くれ者たちにちょっと似ている。マルセイユの奴らは、自分の財産で、自分たちが働いている店を支えているんだ。

15.ポール・ニケ

夕食を終え、僕たちはポール・ニケの有名な店に行って、コーヒーと食後酒を飲んだ。―― そこは明らかに、バラットよりも長者の数は少ない・・・。壁がとても高く、ガラス窓が上の方にあるが、飾り気は全くない。足元は湿った敷石の上。巨大なカウンターが部屋を二つに分割している。7、8人の屑拾いの女たちがここの常連で、カウンターの反対側のベンチの上に一列になって座っている。奥の方は雑多な人たちで埋まっていて、喧嘩もしょっちゅうのこと。いつでも見張りを呼びにいけるわけではないので、―― 老ニケ、彼は帝政時代にウイスキー風味のさくらんぼでとても有名だったが、その老ニケが、水の通るホースを備え付けたことがあった。そのホース、言い争いがひどい時には、とても役に立ったものだ。

ホースの水を、部屋の至るところから、争っている奴らの上に投げかける。それでも収まらなければ、ある装置を持ち上げ、部屋の出口をぴったりと塞ぐ。すると水位が上がり、一番かっかしている奴でも助けてくれと言い出す。―― 少なくとも、そんなことがかつてはあったものさ。

友だちが注意してくれたことがある。屑拾いの女たちに一杯おごり、喧嘩の時のために、この建物の中での味方を作ってかないといけなかった。それが、少なくとも、ブルジョワの格好をした奴らの習慣になっている。後は、何の心配もなしに、ここの集まりの魅力に身を委ねることができる。―― ご婦人達のお気に入りになれたってわけだ。

屑拾いの女たちの一人がウイスキーを注文した。「禁止されてるって、わかってるだろ!」レモナード売りの少年が応えた。「じゃあねえ、ヴェルジュ(熟していないブドウで作った酸いワイン)の小をお願い! 愛しいポリート! ―― あんたは親切だし、黒くて綺麗な目をしている・・・。あーあ、もしも私がまだ・・・、昔みたいだったら!」彼女は、手が震えて、ウィスキー風味にヴェルジュの粒がたっぷり入った小さなカップを落としてしまった。すぐに誰かが拾い上げた。―― ポール・ニケの店の小カップは、水差しの口のように厚かった。カップは跳ね、中の液体だけが失われる。

―― 「もう一杯ヴェルジュを!」と友だちが言う。

―― 「あんたもじゃさしいじゃん。いい子ちゃん。」と屑拾いの女。「あんたを見ていると、バアア(バラ)を‘ほもいだす’。あの人、とっても‘じゃさし’かったわ。とってもじゃさしかった。イギリス風の髪型して、‘ぎぐつ’履いてた。。。‘どり’男ざった。いい子ちゃん、どりよ!・・・ぼんとうに! いい男ざった、あんたみたいにね!」

二杯目のヴェルジュの後で、彼女は僕たちにこう言った。「あんたたちは知らないけど、私ったら、当時は‘流行の先端を行ってた女たち’の一人だったのよ・・・。足の指にいくつも指輪してた・・・。‘伊達男’や将軍たちが私のために争ったのよ。」

「そんなのはみんな神様からの罰さ!」と近くに座っている男が割り込んできた。「今頃、お前さんの‘いい人’はどこにいるのさ。」

「神様だって!」と屑拾いの女がイライラしながら言った。「神様なんか、悪魔さ!」

痩せ細り、ボロボロの黒い服を着て、長椅子で横になっていた男が、よろめきながら立ち上がった。「もし神様が悪魔なら、悪魔の奴が神様ってわけさ。どっちにしても同じことだ。この女ときたら、恐ろしく理屈に合わないことを言いやがる。」と、僕たちの方に振り向きながら言った。「ここの奴らは本当に無知。教育さ、俺は長い間教育を受けてきた。哲学のおかげで失ったものがあったとしても、慰められる。」

「もう一杯小をくれ。」とぼくの連れが言った。

「わかった!ただし、俺が神の法則と人間の法則を定義するのを認めてくれたらだ・・・。」

こんな変な連中の中にいて、頭がくらくらし始めた。でも、友だちは喜んで哲学の議論に参加し、何杯もおかわりして、奴が理屈をこねたり、長い間訳の分からないことを言っているのを聞いている。

こうしたことの細かい点が正確ではなく、もしぼくが真実を‘そのまま写真に撮ろう’としていないのなら、ここで目にしている不幸と愚かさに関する二つの典型的な型が、どれほど多くの小説的なネタをぼくに提供してくれることだろう! お金持ちは勇気がなくて、こうした場所に入って行くことができない。そこは煉獄の玄関だから、魂を救うのもそんなには難しくないはずだけれど・・・。でも、単なる作家にできることといったら、傷の上に手を置くことだけ。傷口を閉じるなんてことは言えない。

中国人やインド人、チベット人の魂を救うことが出来ると思い込んでいる司祭たち自身、こうしたところで、危険ではあるが崇高な使命を遂行できるのだろうか。―― なぜ神は異教徒や徴税請負人と一緒に生きたのだろう。

太陽が、部屋の上の方にあるガラス戸を通して、差し込み始める。扉が照らされる。ぼくは、逮捕される瞬間に、この地獄から飛び出す。そして、フェール通りの舗道の上に積み上げられた花の香りを胸に吸い込み、幸せを感じる。

市場の大きな囲いには、女たちが長い二つの列を作っているのが見える。朝日が彼女たちの青白い顔を照らしている。彼女たちは色々な市場の売り子たちで、番号札をもらっていた。順番を待ち、競りで決まった値段に従って、自分たちの商品を受け取ることになっている。

ぼくもストラスブール線の駅に向かう時だと思う。この夜の虚しい亡霊のことを考えながら。


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