プルースト 『失われた時を求めて』 Proust  À la cherche du temps perdu 無意志的記憶と芸術創造

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、最終巻である『見出された時』に至り、「無意志的記憶(mémoire involontaire)」のメカニスムが解明され、次に、その記憶と芸術作品の関係が明らかにされる。

「無意志的記憶」によって喚起される思い出は、過去の出来事というだけではなく、思い出す今の時間と二重化する。
それは、思い出と今を同時に「生きる(vivre)」ことであり、「事物の本質を享受する( jouir de l’essence des choses)」ことのできる瞬間だと、語り手の「私」は考える。
(参照:プルースト 見出された時 過去と現在の同時性

その後、「私」は、「事物の本質」を「固定する(fixer)」するためにはどのようにすればいいのかと、思考を巡らせる。

De sorte que ce que l’être par trois et quatre fois ressuscité en moi venait de goûter, c’était peut-être bien des fragments d’existence soustraits au temps, mais cette contemplation, quoique d’éternité, était fugitive. Et pourtant je sentais que le plaisir qu’elle m’avait donné à de rares intervalles dans ma vie était le seul qui fût fécond et véritable. ( Le Temps retrouvé )

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ランボー イリュミナシオン 文  Rimbaud Illuminations Phrases 

プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいると、巨大な建造物でありながら、内部は超精密に構成された文に感嘆する。だが、その一方で、常に息を詰め、集中力を保っていかなければ迷子になてしまいそうで、息苦しくなってくることもある。

そんな時、ふと、ランボーの『イリュミナシオン』の「文(Phrases)」と題されたいくつかの断片に目をやると、突然の解放感に捉えられる。

 Avivant un agréable goût d’encre de Chine, une poudre noire pleut doucement sur ma veillée. — Je baisse les feux du lustre, je me jette sur le lit, et, tourné du côté de l’ombre, je vous vois, mes filles ! mes reines !  

 墨の心地よい味わいを生き生きとさせながら、黒い粉がシトシトと振りかかかる、僕の眠れぬ夜の上に。— ぼくはランプの炎を小さくする。ぼくはベッドの上に身を投げる。そして、闇の方に体を向けると、お前たちが見えてくる、ぼくの少女たちよ! ぼくの女王たちよ!

なかなか寝付けない夜(veillée)、部屋の闇がランプの煤でますます黒くなる。明かりをさらに小さくすると、暗闇はさらに深くなる。

この文を読むと、2022年10月26日に亡くなったピエール・スーラージュ(Pierre Soulages)の黒の絵画が思い出される。

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ネルヴァル 夢は第二の生である Nerval Le Rêve est une seconde vie

ジェラール・ド・ネルヴァルの『オーレリア』は、「夢は第二の生である(Le Rêve est une seconde vie)」という有名な言葉で始まる。
そして、次のように続く。

Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible.

私は、震えることなしに、私たちと目に見えない世界を隔てる象牙あるいは角でできた門を通ることが出来なかった。

ここで示されるのは、現実世界と目に見えない世界=夢の世界の間には扉があり、2つの世界は隔てられているという認識。
私たちの現実感覚に則しても、夢は目が覚めれば消え去る幻であり、現実とは異質のものだ。

しかし、ネルヴァルは、最初に「夢は(第二の)生」であると言った。たとえ扉を通る時に身震いするとしても、そしてその世界が物理的な視覚によっては捉えられないとしても、夢が「生(vie)」であることにかわりはないと考えたのだ。
別の言い方をすれば、夢も私たちが生きる現実の一部であり、その分割は事後的になされる。

こうしたネルヴァルの夢に対する提示は、思いのほか大きな射程を持ち、私たちの常識を問い直すきっかけを与えてくれる。

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プルースト 見出された時 Proust  Le Temps retrouvé  過去と現在の同時性 

『失われた時を求めて』の最終巻『見出された時』の後半、語り手である「私」は、パリに戻り、ゲルマント大公夫人のパーティーに出席する。
そして、ゲルマント家の中庭を歩いている時、ふぞろいな敷石につまずく。その瞬間、かつてヴェニスで寺院の洗礼堂のタイルにつまづいた記憶が蘇り、さらには、マドレーヌによって引き起こされた幸福感が呼び覚まされる。

その思い出の連鎖に基づきながら、『失われた時を求めて』全体を貫く「無意志的記憶」についての考察がなされ、「思い出す現在」と「思い出される過去」の「類推(analogie)」が生み出す「軌跡(miracle)」が見出されることになる。

(…) ; mais entre le souvenir qui nous revient brusquement et notre état actuel, de même qu’entre deux souvenirs d’années, de lieux, d’heures différentes, la distance est telle que cela suffirait, en dehors même d’une originalité spécifique, à les rendre incomparables les uns aux autres. Oui, si le souvenir, grâce à l’oubli, n’a pu contracter aucun lien, jeter aucun chaînon entre lui et la minute présente, s’il est resté à sa place, à sa date, s’il a gardé ses distances, son isolement dans le creux d’une vallée ou à la pointe d’un sommet ;

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