ネルヴァル 夢は第二の生である Nerval Le Rêve est une seconde vie

ジェラール・ド・ネルヴァルの『オーレリア』は、「夢は第二の生である(Le Rêve est une seconde vie)」という有名な言葉で始まる。
そして、次のように続く。

Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible.

私は、震えることなしに、私たちと目に見えない世界を隔てる象牙あるいは角でできた門を通ることが出来なかった。

ここで示されるのは、現実世界と目に見えない世界=夢の世界の間には扉があり、2つの世界は隔てられているという認識。
私たちの現実感覚に則しても、夢は目が覚めれば消え去る幻であり、現実とは異質のものだ。

しかし、ネルヴァルは、最初に「夢は(第二の)生」であると言った。たとえ扉を通る時に身震いするとしても、そしてその世界が物理的な視覚によっては捉えられないとしても、夢が「生(vie)」であることにかわりはないと考えたのだ。
別の言い方をすれば、夢も私たちが生きる現実の一部であり、その分割は事後的になされる。

こうしたネルヴァルの夢に対する提示は、思いのほか大きな射程を持ち、私たちの常識を問い直すきっかけを与えてくれる。

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ゴッホ サン・レミからオヴェールへ Gogh de Saint-Rémy à Auvers-sur-Oise 狂気と創造

Vincent von Goth, À la porte de l’éternité

1889年5月初旬、ゴッホは、アルルから北東20キロほどにあるサン・レミの療養所に入院する。そこは、聖ポール・ド・モゾールという修道院を改修した精神病院で、修道女たちによって運営されていた。

最初は満足していたようであるが、制度的なキリスト教に幻滅していたゴッホには耐えられない入院生活となり、一年後の1890年5月、南フランスを離れ、パリ北部にあるオーヴェル=シュル=オワーズでの生活を始める。
そこでは、ポール・ガシェ医師の治療を受けながら、ラヴーの経営する小さな宿屋に滞在した。

1890年7月27日の夕方、ゴッホはラヴー旅館に怪我を負って戻ってくる。自分で左胸を銃で撃ったと考えられているが、他の説もあり、実際に何があったのかはわからない。とにかく、その傷が元で、29日午前1時半に息を引き取る。

この間、約14ヶ月。ゴッホは狂気の発作に何度も襲われながら、創作活動を続けた。

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ディオニュソスとアプロディーテ 神秘主義について その3

神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/

その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギア

William Bouguereau, La jeunesse de Bacchus

2)陶酔とオルギア
陶酔状態においては、酒、薬物、愛欲などにより忘我(exase)の状態に入り、世界(他者)と私(自己)の自立性が消滅する。

宗教的な体験における、目に見えない超越的な存在と「私」との接触は、別の側面から見れば、「私」の存在を忘却することであり、自己からの解脱とも考えられる。

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ネルヴァルの名刺(表面) 「エル・デスディチャド(不幸者)」  Gérard de Nerval « El Desdichado »

ジェラール・ド・ネルヴァルの「エル・デスディチャド(不幸者)」と題されたソネットを最初に公にしたのは、アレクサンドル・デュマだった。
彼は、1853年12月10日付けの「銃士」という新聞の中で、ネルヴァルに関してかなり茶化した紹介文を書いた。

数ヶ月前から精神病院に入っている詩人は、魅力的で立派な男だが、仕事が忙しくなると、想像力が活発に働き過ぎ、理性を追い出してしまう。麻薬を飲んでワープした人たちと同じように、頭の中が夢と幻覚で一杯になり、アラビアンナイトのような空想的で荒唐無稽な物語を語り出す。そして、物語の主人公たちと次々に一体化し、ある時は自分を狂人だと思い、別の時には幻想的な国の案内人だと思い込んだりする。メランコリーがミューズとなり、心を引き裂く詩を綴ることもある。

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