モーパッサンからネルヴァル、ランボーへのウインク

1892年の初頭にモーパッサンが精神に異常をきたした時、治療にあたったのはエミール・ブランシュ博士だったが、博士はずっと以前にはジェラール・ド・ネルヴァルの治療も行っていた。
ネルヴァルは、エミール・ブランシュ博士の父親エスプリ・ブランシュ博士にお世話になったこともある。

モーパッサンはそのことを知っていたに違いない。直接ネルヴァルのことを話題にすることはなかったようだが、精神疾患を取り上げた「オルラ」の中には、ネルヴァルに向かってウインクをしているような記述がある。

その理由を私なりに推測すると、一般的に狂気と見なされる世界観と、詩の生み出す美とが連動していることを、モーパッサンなりに示そうとしたからだと思われる。
同じ箇所に、アルチュール・ランボーに向けてのウインクもあることから、「狂気ー詩ー美」の繋がりがよりはっきりと示される。

問題の箇所は、目に見えないが確かに実在すると感じられる存在をオルラと名付け、それが世界を構成する4つの元素(水、火、大地、空気)と同様の、なんらかの元素ではないかと自問した後に記されている。

でも、あなたはこう言うかもしれない。蝶だ! 空飛ぶ一輪の花だ! ぼくはといえば、一匹の蝶を夢見る。宇宙と同じ位大きい。羽根の形も、美も、色彩も、動きも、描くことさえできない。でも、ぼくには見える。・・・・蝶は、星から星へと向かい、その飛翔の軽やかで調和のとれた息吹で、星々を、新鮮でかぐわしいものにする! ・・・天上の人々は、蝶が通り過ぎるのを目にし、恍惚となり、魂を奪われる!・・・(「オルラ」)

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−10

第10章は、1855年1月26日のネルヴァルの死以前に発表された「オーレリア」(1855年1月1日)の最後の部分。
以前の夢と同じように、まず地球内部のマグマのように全てが融合した状態が知覚され、そこから徐々に明確な場面が形成されていく。

第10章

こうした考えが少しづつ私を絶望へと追い込んでいったのだが、その絶望をどのように描けばいいのだろうか? 悪い精霊が、魂の世界で、私の場所を奪ってしまったのだ。——— オーレリアにとって、その精霊が私そのものだった。そして、私の肉体に生命力を与えている悲壮な精霊の方は、衰弱し、軽蔑され、彼女から誤解され、絶望か虚無に永遠に運命付けられていた。私は持ちうる限りの意志の力を使い、これまで何枚かのヴェールを持ち挙げてきた神秘の中に、さらに入り込もうとした。夢は時に私の努力を揶揄することがあり、しかめ面で移ろいやすい映像だけしかもたらさなかった。私はここで、精神が一点に凝集したために起こったことに関して、かなり奇妙な考えしか提示することができない。長さが無限のピンと張られた一本の糸のようなものの上を滑っていくように感じた。地球は、すでに見てきたように、融解した金属の多色の脈が縦横に走っていたが、中心の火が徐々に開花することで少しづつ明るくなり、火の白さが内部の襞を染める桃色と溶け合っていった。時に、巨大な水たまりに出会いびっくりすることがあった。その水たまりは、雲のように空中にぶら下がりっていたが、しかし、塊を取り出すことができるほどの密度があった。明らかに地上の水とは異なる液体であり、精霊の世界における海や大河を形作る液体が蒸発したものだった。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−9

第9章に入ると、これまで語られてきた挿話から10年後のエピソードに移行する。そして、「10年前の私」に起こったことを参照することで、過去と現在が重ね合わされながら、新しい出来事が展開していくことになる。

第9章

以上のことが、私の目の前に代わる代わる現れた映像だった。少しづつ穏やかな気持ちが心の中に戻って来た。そして、私にとっては楽園であったこの施設を後にした。ずっと後になり、宿命的な状況が病気の再発を準備し、かつての奇妙な夢想の途切れた繋がりを結び直したのだった。———

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−8

第8章では、前の章に続き、ネルヴァルによる世界創造の情景が描かれる。
夢の中で運ばれた暗い惑星では、あたかも恐竜時代のような光景が展開し、上空には明るい星が姿を現す。

第8章

怪物たちは姿を変化させ、初めに身につけていた皮を脱ぎ捨て、巨大な足で力強く立ち上がった。その巨体のすさましい塊が枝や葉を打ち倒し、混乱した自然の中で、怪物たちはお互いの間で戦いを繰り広げた。私もその戦いに参加していた。私も怪物の体をしていたのだ。突然、独特なハーモニーが孤独な空間の中に鳴り響いた。すると、原初の生物たちの混沌とした叫び声やうなり声、鋭い鳴き声が、神聖な調べに調子を合わせていった。その変調は無限に続いた。一つの惑星が少しづつ明るくなり、緑の植物や深い森の上には神々の姿が描かれた。その時から、私が目にした怪物たちは全てがおとなしくなり、奇妙な姿を脱ぎ捨て、人間の男女になった。他の怪物たちは、姿を変える中で、野獣や魚や鳥の姿を纏っていった。

注:
荒れ果てた空間の中で怪物たちがうごめく混沌とした場面に、一つのハーモニーが響く。そして、そのハーモニーに合わせ、全てが調和を始める。次にまた混乱し、調和を取り戻す。
ネルヴァルにとって、創世神話はそうした混沌と調和の連続と見なされるが、その中で重要なことは、全てが最終的には調和(ハーモニー)に基づいていること。別の視点から見ると、彼の試みは、混沌とした世界あるいは精神に調和を取り戻すことだと考えられる。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−7

第7章では、理性的な考察から、異常な精神の働きを思われる空想への移行が、論理的な段階を追って描かれていく。
ここで描かれる様々なイメージからは、人間の意識あるいは想像力がどのように働くのかをうかがい知ることができ、ネルヴァルの言う「人間の魂の研究」の一つの事例として興味深い。

第7章

最初はあれほど幸福感に満ちていたこの夢が、私をひどく混乱させた。何を意味しているのだろう? それを知ったのは、後になってからだった。オーレリアが亡くなっていたのだ。

最初は彼女が病気だという知らせを受けただけだった。その時には、私の精神状態のせいで、漠然とした悲しみを感じたが、そこには希望も混ざっていた。私自身それほど長い間生きるとは思っていなかったし、愛し合う心を持つ人々が再会する世界が存在することを確信してもいた。それに、彼女はこの世でよりも、死の世界での方が、私に属していた。・・・ そのエゴイストな考えのため、私の理性は後になり、苦々しい後悔をしないといけないことになった。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−6

第5章の最後、「私」は魂は不死であり、夢の世界に入れば、すでに死んでしまった愛する人々と再び会うことができると思える。

第6章

さらに見た夢が、その考えに確証を与えてくれた。突然、私は、祖先の住まいの一部である広間にいるのに気づいた。ただそこは以前よりも大きくなっていた。古い家具が素晴らしく輝き、絨毯やカーテンは新しくされ、自然な光よりも3倍も眩しい光が窓や扉から差し込んでいた。空中には春の穏やかな早朝の香りが漂っていた。三人の女性が部屋の中で仕事をしていた。彼女たちは、そっくりというわけではなかったが、若い頃知っていた親族の女性や女友だちの姿をしていた。彼女たちの何人かの顔立ちを、三人の女性のそれぞれがしているように思われた。体の輪郭がロウソクの炎のように変化し、一人のなんらかのものが、絶えず別の女性へと移っていた。微笑み、声、目や髪の色、背丈、親しみのある身振りが常に入れ替わり、三人が一つの生を生きているようだった。そんな風にして、一人一人が全ての女性から構成され、画家が完全な美を実現するために、複数のモデルを真似て作り上げる原型に似ていた。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−5

第4章は伯父さんとの会話で終わり、第5章に入ると、夢のさらに奥へと進んでいく。そのことは、伯父さんが若者の姿に変わり、私が教わる方から教える方に代わることによって示されるが、さらに先に行くと、突然ガイドが出てくることからも推測できる。

第5章

私の周りで、全てのものが形を変えた。これまで話をしていた精霊も、同じ姿をしてはいなかった。今度は若者になり、私になんらかの考えを伝えるのではなく、私から教えを受けとっていた。・・・ 私は、眩暈を起こさせるこの高みを、あまりにも進みすぎてしまったのだろうか? こうした疑問は、その時私が感じ取っていた世界の精霊たちにとってさえ、曖昧で危険に思われた。・・・ ある超越的な力がその探求を私に禁じたのかもしれない。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−4

第4章に至り、「私」は本格的に夢の世界(=第二の生)に入って行く。そこは死後の世界を連想させる。
その内容は、合理主義精神から見ると荒唐無稽で、意味不明だと見なされるかもしれない。しかし、日本でも、死後の世界を考える時、先祖の人々がみんなで住む村があり、死後の魂はそこで暮らすとする考え方がある。
それと同じように、肉体を離れた魂が死後の世界を訪ね、一族の一人から死や虚無、永遠などについて教えを授けられることは、一つの宗教思想の教義としても興味深い。

第4章

ある夜、私はライン河の畔に運ばれたことが確かだと思った。目の前に不吉な岩があり、そのシルエットが闇の中にぼんやりと描かれていた。私は楽しげな家の中に入っていった。夕日が葡萄で飾られた緑の窓から、楽しげに差し込んでいた。すでに知っている家に戻ったような気持ちがした。家の持ち主は母方の伯父で、100年以上前に亡くなったフランドル地方の画家だった。あちこちに素描された絵が掛かっていた。その中の1枚は、この岸辺の有名な妖精を描いたものだった。私がマルグリットと呼び、子どもの頃から知っている年老いた召使いがこう言った。「お休みにならないのですか? あなたは遠くからいらっしゃったのですし、おじさまのお帰りは遅くなります。夕食の時に起こしてさしあげます。」

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−3

第3章

ここで私にとって始まったのが、現実生活への夢の流入と呼ぶことになるものだった。この時から、全てが時として二重の様相を帯びるようになった。—— そうした時でも、決して論理性が欠如することはなかったし、身に起こったごく小さなことまで記憶を失うことはなかった。私の行動はばかげているように見えたのだが、人間の理性からすると幻影と呼ばれるものに従っていただけだった。・・・

何度も考えたことがある。生の重大な時期に、外の世界の精霊が突然普通の人間の姿に化身し、私たちに働きかけたか、働きかけようとした。しかし、その人もそれを知らないか、あるいは覚えていないのだ。

注:
ネルヴァルはここで出来事の流れを止め、そこで起こっていることをどのように理解すればいいのか、解説を挿入する。
理性的に見ると意味不明に見える幻影や妄想は、別の視点からすると論理性があり、『オーレリア』の冒頭の言葉を使えば「第二の生」。
20世紀であれば「無意識」という用語を使うかもしれない意識下の世界に関して、ネルヴァルは「外の世界」という言葉を使い、そこでの「自己」の姿を「精霊」と呼ぶ。
「現実生活への夢の流入」とは、意識に意識化されないものが混入することであり、そうした状態は、「夢想」であったり、「幻覚」や「妄想」に近づくこともある。

続きを読む

ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−2

第2章

しばらく後になり、私は彼女と別の町で出会った。そこには、長い間希望もなく愛し続けてきた、あの女性もいた。ある偶然から二人は知り合いになり、彼女は、おそらく何かの機会に、私を心の中から追放してしまった女性の心を、私に好意的になるように動かしてくれた。その結果、ある日、その女性の参加している場に私が居合わせた時、彼女がこちらにやって来て、手を差し出してくれるのを見た。その振る舞いと、会釈してくれた時の深く悲しげな眼差しを、どのように解釈すればいいのだろう? 私はそこに過去の許しを見たように思った。慈悲の籠もった神聖な話し方は、彼女が私に向けた何気ない言葉に、言いようのない価値を与えていた。ちょうど、それまでは世俗的だった愛の穏やかさに宗教的な何かが溶け込み、そこに永遠の性質を刻み込むように。

注:
一人の女性を世俗的で現実的、もう一人を近寄りがたい神聖な存在とすることは、現実とイデアに基づくプラトン的二元論の世界像を作り出すことにつながる。
ネルヴァルがそうした設定をしたのは、17−18世紀以降、合理主義・科学主義が支配的となった時代において、検証可能な現実世界を超える世界(イデア、永遠)を信じることが許されなくなっていたからに違いない。
そのことは、第1章の次の一節からも推測することができる。
「なんという狂気だろう。私を愛してくれない女性を、プラトニックな愛で、これほど愛するなんて。これは読書のせいだ。詩人たちが発明したことを真面目に受け取ってしまったのだ。今の時代のどこにでもいる女性を、ラウラやベアトリーチェにしてしまったのだ・・・。」
ラウラは、ルネサンス期のイタリアの詩人ペトラルカが愛を捧げた女性。ベアトリーチェは、ダンテが『新生』の中で愛を語った女性。彼らはごく普通の女性をミューズとして異次元の存在に変えた。
19世紀のネルヴァルが異次元とするのは、もはや天上のイデア界ではなく、人間の内面世界。そのことは、『オーレリア』の冒頭で、「私の精神の神秘の中で起こったこと」を綴る、としていることからも理解できる。
ネルヴァルが「狂気」の体験を描くことの意義が、こうした考察から理解できるだろう。

続きを読む