オー・シャンゼリゼ Les Champs-Élysées

「オー・シャンゼリゼ」は、日本で最もよく知られたシャンソンの一つだが、この「オー」の意味は今でも時々誤って理解されることがある。シャンゼリゼにやって来て、「オー!」と感嘆の声を上げた、というふうに思われているらしい。
しかし、歌詞を見ると、リフレインの部分には « Aux Champs-Élysées » とあり、「オ」は「シャンゼリゼで」という場所を示す前置詞であることがわかる。

歌詞の内容はとてもロマンチックだ。シャンゼリゼをひとり寂しく歩いていた「私」が、偶然出会った「君(あなた)」に恋をする。昨日の夜は赤の他人だったのに、今朝は恋人。朝が明けると同時に、鳥たちが二人の愛を歌ってくれる。その出会いは、偶然ではなく、運命だったのだ。

道で声をかけたとき、「何でもいいから」とにかく話しかけたのは、« pour t’apprivoiser »、つまり、君(あなた)と「絆を結びたかった」からだという。
この « apprivoiser » という動詞は、『星の王子さま』で、キツネが王子さまに「絆を結ぶ」ことの大切さを教える場面でも使われている言葉だ。

そんなことを頭に置きながら、ジョー・ダッサン(Joe Dassin)の歌 « Les Champs-Élysées » を聴いてみよう。ちなみに原題には前置詞は入っていない。

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セリーヌ・ディオン アブラハムの記憶 Céline Dion La mémoire d’Abraham

ジャン=ジャック・ゴルドマン(Jean-Jacques Goldman)が作詞・作曲し、セリーヌ・ディオン(Céline Dion)が歌った「アブラハムの記憶」(La mémoire d’Abraham)。

アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教に共通する始祖とされる人物であり、彼の記憶に刻まれた出来事は、確かに特定の宗教と結びついた内容を含んでいる。
しかし私たちは、この曲の厳かな雰囲気の中で、苦難の中の祈りから生まれた、未来への希望を感じさせる、かすかな声に耳を傾けたい。

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Charles Azenavour Hier encore シャルル・アズナブール 昨日はまだ

シャルル・アズナブール(Charles Aznavour)はフランスを代表するシンガーソングライターで、2018年に94歳で亡くなるまで活動を続けた。

« Hier encore »(昨日はまだ)は、アズナブールの代表作の一つで、過ぎ去った青春時代(20歳の頃)への後悔と哀愁を歌った曲。
若い頃は何も考えず、ばかげたことや自分勝手なことばかりしていた。今になってそのことを振り返り、時間を無駄にしたと思うものの、それでも当時の思い出を懐かしく感じ、まるで昨日のことのように思われる。「昨日はまだ二十歳だった」と感じられるほどに。

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Renaud  Mistral gagnant ルノー  ミストラル・ガニャン

1852年生まれのルノー(Renaud)は社会問題や政治に関わるテーマを俗語などを交えて歌う歌手で、フランスでは現在でも一定の人気がある。
そんなルノーには珍しく、1985年に発表した「ミストラル・ガニャン」(Mistral gagant)は、子ども時代への郷愁が強く滲み出した曲で、娘ロリータに捧げられている。
そのために、歌詞の中には、ミストラル・ガニャン、ココ・ボエール、ルドゥドゥ、カール・アン・サック、ミントォなど、すでに発売されなくなったお菓子の名前がたくさん出てくる。

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Que reste-t-il de nos amours ? 残されし恋には

« Que reste-t-il de nos amours ? »は、1942年にシャルル・トレネ(Charles Trenet)が歌って大ヒットして以来、今でもフランスで歌い継がれている。

歌詞は非常に明快で、秋の夕べに終わってしまった恋を懐かしみながら、心に残るさまざまなものを思い描いていくという内容。
とても単純な構文の文章で書かれていて、単語が次々に重ねられ、思い出の品が積み重なっていく。

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愚か者だけが、確信し、決めてかかる(モンテーニュ)

自分が当たり前だと思っていることについて質問され、時に意表を突かれることがある。最近そうしたことが重なり、ふと、「愚か者だけが、確信し、決めてかかるのです。」というモンテーニュの言葉を思い出した。
(参照:モンテーニュ 子供の教育について Montaigne De l’Institution des enfants 判断力を養う


一つ目は、フランス語の鼻母音のリエゾンに関する質問。

« Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir ! » (Baudelaire, « Harmonie du soir »)

不定冠詞のunは鼻母音で、発音記号で書けば、[ œ̃ ]になり、[ n ]の音はしない。しかし、ここでは後ろに続く単語 ostensoir が母音 [ o ]で始まるために、[ œ̃ no ]と[ n ]の音がする。カタナカで書いてしまうと「ノスタンソワール」。

この詩句を読んでいる時、「鼻母音でNの音はしないはずなのに、なぜ次にNの音でリエゾンするのか?」と問われ、その場で立ち往生してしまい、答えることができなかった。
自分では習慣的に [ no ]と読み、疑問に思ったことがなかったので、不意打ちを食らったという感じだった。

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レイモン・クノー 「もし思っているなら」 Raymond Queneau « Si tu t’imagines » Carpe diemのパロディ

« Si tu t’imagines »は、レイモン・クノーが1946年に出版した詩集『運命の瞬間(L’Instant fatal)』の中に収められた一編。その際のタイトルは、« C’est bien connu »。
その後、「枯葉」で知られるジョゼフ・コズマが曲をつけ、ジュリエット・グレコが歌った。

詩のテーマは、古代ローマから伝わる文学のテーマ「carpe diem(saisir le jour、今を掴め)」。
(参照:Carpe diem カルペ・ディエム 今を生きる

レイモン・クノーは、いかにも『地下鉄のザジ』の作者らしく、16世紀の詩人ピエール・ド・ロンサールの有名な詩「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で(Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle)」などを下敷きにしながら、20世紀中頃の口語や俗語を交え、音が耳に残るパロディ作品を作り上げた。
(参照;ロンサール 「あなたが年老い、夕べ、燭台の横で」 Pierre de Ronsard « Quand vous serez bien vieille, au soir, à la chandelle » 

幸い、youtubeには、ジュルエット・グレコが1961年に東京で公演した際の映像がアップされている。彼女の表情が表現豊かに変化する様子を見るだけで、少女の瑞々しさと老婆の衰えとの対比を描いた詩句の内容が伝わってくる。だからこそ、今すぐに、「命のバラを摘め」 « cueille les roses de la vie »、と。

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現代の若者が使うフランス語

どの言葉も変化しますが、現代の若者たちのフランス語も次々に新しい言葉を作り出しているようです。

“Hassoul, ça veut dire tranquille”.
“faire belek, c’est faire attention”.
“un maxeur, c’est quelqu’un qui est toujours dans l’abus”.
“En chap-chap, c’est plus une expression ivoirienne, mais ça veut dire faire quelque chose de façon rapide”.
“J’ai dead ça” veut dire qu’on a réussi. 
“Je suis chockbar” signifie être choqué.

Il y a 40 ans, on demandait déjà aux jeunes ce que voulait dire “keufs” (policiers), lascars ou encore “gadjo” (jeune homme).

日本人にはなぜ英語やフランス語の習得が難しいのか? 構文について考える

日本人にとって、英語やフランス語を習得するのは難しい。その理由は何か?

答えは単純明快。
母語である日本語は、英語やフランス語と全く違うコンセプトに基づく言語。そのことにつきる。

この事実は当たり前のことだが、しかし、日本語との違いをあまり意識して考えることがないために、どこがわかっていないのかがはっきりと分からないことも多い。
例えば、英語の仮定法と日本語の条件設定との本質的な違いを理解しないまま、if を「もし」と結び付けるだけのことがあり、そうした場合には、大学でフランス語の条件法を学ぶ時も、英語のifで始まる文と同様にsiで始まる文が条件法の文だと思ってしまったりする。

これは一つの例だが、ここでは問題を語順に絞り、日本語とフランス語の違いがどこにあり、日本語を母語にする人間にとって、どこにフランス語習得の難しさがあるのか考えてみよう。

ちなみに、これから検討していく日本語観は、丸山真男が「歴史意識の中の”古層”」の中で説いた、「つぎつぎに/なりゆく/いきおい」という表現によって代表される時間意識に基づいている。丸山によれば、日本人の意識の根底に流れるのは、常に生成し続ける「今」に対する注視であり、それらの全体像を把握する意識は希薄である。
そうした意識が、日本語という言語にも反映しているのではないかと考えられる。

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歌のちから ー 外国語学習から詩の観賞まで

私たちは好きな歌を何度も聴く。歌詞はすでに知っていて、聞く前から言葉の意味はわかっている。それにもかかわらず、何度聴いても飽きることがない。
その理由はどこにあるのだろう?

ある研究によると、言葉をほとんど話すことができない子どもでも歌を聞いてある程度反復できるが、しかし歌詞だけを取り出すことは難しいという。

歌は、「メロディー」「リズム」「調性」「歌詞」「音色」などの要素から構成される。
実験に参加した2歳の子どもたちは、「メロディー」は上手でなくても「リズム」に乗って「歌詞」を口ずさむけれど、「歌詞」の「言葉」だけを話すように頼むと途端に発音できなくなった。
この実験が教えてくれるは、歌詞の意味がわからなくても、音楽と一緒であれば言葉の音声を記憶できる、ということである。

母語を習得する過程においても、幼児は身近な大人たちの音声を聞き、聞こえた音を反復する。
言語に「表現(文字、音声)」と「内容(意味)」という2つの側面があるとすると、最初に反復の対象になるのは「音」にすぎない。
それが「意味」と繋がるのは、「マンマ」という音の塊が、食べ物と連動することを記憶した時でしかない。
まず「音」があり、次に「意味」が来る。

このようなことを考えると、言語における「音」の重要性がはっきりと理解できる。

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