モンテーニュ 子供の教育について Montaigne De l’Institution des enfants 判断力を養う

モンテーニュ(Montaigne)は『エセー(Essais)』の中で、「子供の教育について(De l’Institution des enfants)」という章を設け、教育の目的が、「判断力(jugement)」を養うことであると述べる。
子供に悪いものを見せないのではなく、いいものと悪いものを前にした時、いいものを選択する判断ができる能力を養うこと。

教師は、子供を導く者(conducteur)であり、「一杯につまった頭より、よく出来た頭(plutôt la tête bien faite que bien pleine)」の人間である必要がある。
では、よく出来た頭とは、どんな頭なのか?
モンテーニュの語る「蜜蜂の比喩」はその回答を教えてくれる。

『エセー』の出版は1580年。そこで使われているフランス語は、16世紀後半のフランス語なので、現代のフランス語と違う部分もある。ただし、綴り字は現代のフランス語に変更してある。

Qu’il (instituteur) lui (élève) fasse tout passer par l’étamine et ne loge rien en sa tête par simple autorité et à crédit ; les principes d’Aristote ne lui soient principes, non plus que ceux des stoïciens ou épicuriens. Qu’on lui propose cette diversité de jugements : il choisira s’il peut, sinon il en demeurera en doute. Il n’y a que les fols certains et résolus. 

教師は、生徒に、全てのものを濾し布に通すようにさせ、単なる権威や信用だけを頼りに、頭の中に何も残っていないようにさせてください。アリストテレスの原理は、生徒にとっての原理ではありません。ストア派の人々あるいはエピクロス派の人々の原理も同じことです。生徒には多様性のある判断を提示してください。生徒は、選択できるのであれば、選択するでしょう。できなければ、疑いの状態に留まるでしょう。愚か者だけが、確信し、決めてかかるのです。

モンテーニュを現代の日本人が読む時にぶつかる最初の困難は、固有名詞が数多く出てくること。この短い断片の中にも、アリストテレス(Aristote)、ストア派(stoïciens)、エピキュロス派(épicuriens)が出てくる。
固有名詞を知らないために、わからないと思い込み、読むのを止めてしまうことさえあるかもしれない。

そうした時の対処法は二つ。
1)固有名詞の知識は本質にかかわらないと見なし、文意だけを理解する。
2)固有名詞について調べて見る。
アリストテレス:プラトンと並び、古代ギリシア哲学の中心に位置する哲学者。師のプラトンのイデア論に対して、大まかに言えば、現実に基礎を置く経験論を説いた。
ストア派:古代ギリシアのゼノンが始めた学説を信じる人々。理性によって感情をコントロールし、不動の自己の確立を目指した。
エピクロス派:ストア派と対立し、快楽主義と呼ばれることのある学説の流派。

モンテーニュは、哲学者あるいは哲学の流派の名前を提示すれば、そのまま信じ、知識を得たと思い込む態度を批判している。
実際、権威(simple autorité)のありそうな固有名詞を出されると、検証もせずに信用してしまう(à crédit)ことがよくある。
固有名詞を覚えればそれが知識だと思い違いする教育が、今の日本でも多く行われていることを見ると、モンテーニュの説くことは、現代でも通用するといえるだろう。

生徒には、全てを濾し布(étamine)に通させ、多様な判断(diversité de jugements)ができるようにし、その中から選択させること。
もし選択できなければ、疑ったままでいてもいい。
最初から確信を持ち(certain)、検証をせずに結論を出す(résolu)のは、愚か者(fol=fou)のすることだと、モンテーニュは結論付ける。

こう論じた後、その考えを読者の頭に刻み込むために、ダンテの『神曲』の文章を、イタリア語の原文のまま記す。

Che non men che saper dubbiar m’aggrada.
(Et comme à savoir, je me plais à douter.) Dante, Enfer, XI, 93)

知ることと同様に、疑うことを、私は好む。

権威をそのまま信じるなど言いながら、ダンテを引用するのは、矛盾しているように思えるかもしれない。
しかし、モンテーニュは、このダンテの言葉を頭からそのまま信じているのではなく、上の文章で書いているように、彼自身が検証し、その上でこの引用に達した。引用はそのことを示している。
引用のもう一つの目的は、ダンテのイタリア語の文を、モンテーニュの主張の刻印とすること。

次に、知識の吸収についての論が進められる。

Car s’il embrasse les opinions de Xénophon et de Platon par son propre discours (raisonnement), ce ne seront plus les leurs, ce seront les siennes. Qui suit un autre, il ne suit rien. Il ne trouve rien, voire il ne cherche rien. « Non sumus sub rege ; sibi quisque se vindicet. ( Nous ne sommes pas sous un roi ; que chacun dispose de soi-même.) Sénèque, Lettres à Lucilius, XXXIII)» Qu’il sache qu’il sait, au moins. Il faut qu’il emboive leurs humeurs, non qu’il apprenne leurs préceptes. Et qu’il oublie hardiment, s’il veut, d’où il les tient, mais qu’il se les sache approprier.

もし生徒が、彼自身の思考によって、クセノポンやプラトンの意見を胸に抱くのであれば、その意見は生徒自身のものになります。他者に従う人は、何にも従っていません。何も見つけないし、何も探していません。「私たちは王の下にいるのではない。各人が自分自身を自由にしている。」(セネカ「ルキリウスへの手紙」)生徒は、自分に知識があることを、少なくとも知っている必要があります。彼等(クセノポンやプラトン)の体液を、自分の中にしみ込ませなければなりません。彼等の教えを学ぶだけではいけません。もし望むのであれば、教えをどこから持ってきたのか忘れること、それらを自分に合わせて整えることが必要です。

モンテーニュはここでも、クセノポン(Xénophon)、プラトン(Platon)という固有名詞を出し、セネカの言葉をラテン語で引用する。
クセノポンは、ソクラテスの弟子で、軍人。
プラトンは、古代ギリシアでイデア論を主張した哲学者。
セネカは、古代ローマのストア派哲学者。引用は『書簡』から。

現代の日本では、知識よりも思考力が重要ということが言われたりもする。しかし、知識なしで幅広く深い思考をすることはできない。
色々な考え方を知り、それを身につけることで、思考力の幅が広がり、複数の選択肢の中から、的確な判断を下すことが可能になる。
その際に大切なことは、知識を単なる情報として知っているだけではなく、自分のものとして取り込むことだ。

現代のフランス語の知識では少し理解しにくい表現が、そのことを強く主張している。
qu’il emboive leurs humeurs
emboireは、語根にboire(飲む)という言葉があることからわかるように、飲む、吸収する、浸るを意味する。
humeurは、人間の体液。ルネサンスの時代、人間には4つの体液(血液、リンパ液、黒胆汁、黄胆汁)があり、その体液に従って人間の気質が決まっていると考えられていた。
従って、生徒が古代の哲学者を学んで得るのは、彼等の教えだけではなく、気質まで取り入れることだということになる

そして、学んだことが気質になるまで消化されれば、知識がどこから来たのか(d’où il les tient)は忘れてもかまわない(qu’il oublie)。知識はすでに体に溶け込み、生徒自身のものになっている(approprier)。

La vérité et la raison sont communes à un chacun, et ne sont non plus à qui les a dites premièrement, qu’à qui les dit après. Ce n’est non plus selon Platon que selon moi, puis que lui et moi l’entendons et voyons de même. 

真実と理に適ったことは、誰もが共有しているものです。それを最初に言った人に属するのでもなく、後から言う人のものでもありません。プラトンに従ってということでもなく、私に従ってということでもありません。プラトンも私もそれを理解し、同じように見ているのです。

プラトンが言うから真実(vérité)だということはない。モンテーニュが言うから正しく、理に適っている(raison)ということもない。
正しいことがあるとすれば、誰かに属するものではなく、大切なことはそこに到達することだとモンテーニュは考えている。

こう言った後、「蜜蜂の比喩」が語られる。

Les abeilles pillotent deçà delà les fleurs, mais elles en font après le miel, qui est tout leur ; ce n’est plus thym ni marjolaine : ainsi les pièces empruntées d’autrui, il les transformera et confondra, pour en faire un ouvrage tout sien : à savoir son jugement. Son institution, son travail et étude ne vise qu’à le former. 

蜜蜂は、あちらこちらで花から蜜をちょっといただき、その後で蜂蜜を作ります。その蜜は蜜蜂のものです。タイムのものでも、マヨラナのものでもありません。同じように、他の人から借りた断片を、生徒は変形し、混ぜ合わせ、一つの作品を作ります。それはすべて生徒のものです。つまり、それが彼の判断力になります。彼の教育も、宿題も、勉強も、目指すところは、判断力を形成することです。

蜜蜂は花からちょっと泥棒をする(pilloter)。
ここで使われる動詞は、pilloter。
piller(略奪する)にoterという小辞を加えることで、その行為を和らげている。
その動詞を使うことで、蜜蜂が花から花へと飛び回り、花の蜜を吸う様子が目に浮かぶように描かれる。
その様子は、私たちが、気分に合わせて、一冊の本を手に取り、別の本をパラパラとめくり、また次の本に移っていくという時の気分と対応している。

モンテーニュは別の箇所で、「子ども達には、体のためになる食べ物は甘くして、害になる食べ物は苦くしなければなりません。」と述べている。
様々な書物から得られる知識は、私たちにとっては甘い蜜。
蜜蜂が花から花に飛び回るのは、花の蜜が甘いからだ。

そして、花の蜜は、蜜蜂の中で、蜂蜜(miel)に変えられる。その時、蜜は、もう花の蜜ではなく、蜂の蜜だ。
私たちがプラトンのイデア論を学び、アリストレスの模倣論を知ったとして、そうした知識はすでに私たちの知識であって、プラトンやアリストテレスの所有物ではない。私たちなりに理解し、私たちの知識になる。

もしwikipediaを見て、それをコピペしただけでは、いつまでたってもプラトンやアリストテレスのもの。
花の蜜は花のものに留まる。タイムの蜜はタイムのもの。マヨラナの蜜はマヨラナのもの。

thym
marjolaine

蜂蜜がするように、生徒は知識を変形し(transformer)、いろいろと混ぜ合わせる(confonfer = mêler)。
そして、そこに出来上がる作品(ouvrage)が、判断力(jugement)だとモンテーニュは言う。
彼の教育論の中心は、まさに、知識を消化すると判断力が養われる、というところにある。

「蜜蜂の比喩」は、16世紀というだけではなく、いつの時代にも共通する、学ぶこと、知ることの意義を教えてくれる。
花の蜜を吸わなければ、蜂蜜はできない。その上で、吸った花の蜜を蜂蜜に変えることが大切なのだ。
同じように、教育においても、知識の習得は不可欠。しかし、知識を知っているだけでは、いつまでも借り物の知識にすぎない。それを消化し、自分のものに変えることで、いい悪いを判断する力ができあがる。

モンテーニュは教育の成果について、こう言う。
「やろうと思えば何でもできるかわり、よい行為だけを好むように育ててください。(中略)悪いことをしないのは、その能力や知識がないからではなく、その意思がないからであることを望みます。」

権威に頼るのではなく、知識を吸収し、そこから正しい判断を導くことのできる頭。それがモンテーニュの言う、「一杯につまった頭より、よく出来た頭(plutôt la tête bien faite que bien pleine)」なのだ。

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