マラルメ 「もう一つの扇 マラルメ嬢の」 Mallarmé « Autre éventail de Mademoiselle Mallarmé »

19世紀後半には扇を持つ女性の姿が印象派の画家たちによって数多く描かれたが、ステファン・マラルメは詩の中で扇を取り上げ、扇の動きを詩的創造の暗示として描いた。

1884年に発表された「もう一つの扇 マラルメ嬢の」では、語りの主体は、娘が手に持つ扇。
マラルメ嬢は、午後が深まり太陽も傾いてきた頃、扇の風にあたりながら、ゆったりとした気分で扇の言葉に耳を傾ける。

「もう一つの扇 マラルメ嬢の」は、1行が8音節からなり、4行からなる詩節が5つ、テンポよく続く。その音楽は美しい。
その一方で、扇の言葉は人間の言葉ではない。意味を理解するには少し時間がかかる。

Autre éventail à Mademoiselle Mallarmé

Ô rêveuse, pour que je plonge
Au pur délice sans chemin,
Sache, par un subtil mensonge,
Garder mon aile dans ta main.

「もう一つの扇 マラルメ嬢の」

おお、夢見る娘よ、私が沈みこむために
純粋な甘美の世界へと、素早く、
巧妙な偽りによって、
持ち続けておくれ、私の翼を、お前の掌の中に。

娘は夢見るようにうっとりとしている。その手には扇の要(かなめ)が握られ、開かれた扇は、鳥の翼が羽ばたくようにフワフワと揺れている。

その扇が、「夢見る娘よ(rêveuse)」と呼びかけ、「私の翼(mon aile)」を「お前の手(ta main)」の中にいつまでも「保っておいてくれ(sache…garder)」、と要求する。

そうしている時、扇は「純粋な甘美さ(pur délice)」に「素早く(道を通らずに sans chemain)」至ることができるのであり、その甘美さは娘にも間違いなく共有される。
(多くの日本語訳では、sans cheminをdéliceと関係付け「道なき悦楽」とする。しかし、ここではあるフランス語の文献にあるようにimmédiatement(すぐに)と理解し、plonger(沈む)と関係する副詞句とみなすことにする。)

以上の状況はある程度理解できる。
では、「巧妙な偽り(un subtil mensonge)」とは何を意味するのだろう?

その問いの答えは、無生物である「扇(éventail)」を、生物である鳥の「翼(aile)」だと思わせること。
娘が扇で仰ぐことでその「錯覚」が生まれる。
そして、その動きを続けることで、扇の「私」も甘美な世界に浸ることができる。

その「錯覚」を作り出す「偽り」を詩法に応用して考えると、次のようになる。
無生物である扇は、意味が伝われば価値を失ってしまう「日常の言語」。そうした言葉を、意味が伝わっても価値を保ち続ける「詩のことば」だと錯覚させることができれば、言葉には命が与えられたことになる。
そのように考えると、扇を鳥の翼と見なさせる行為が、詩作と重なる。

第2詩節では、扇が産み出す風の効果について語られる。

Une fraîcheur de crépuscule
Te vient à chaque battement
Dont le coup prisonnier recule
L’horizon délicatement.

黄昏の爽やかさが
お前のところにやってくる、扇をひと仰ぎするたびに、
その捕らわれた羽ばたきが、遠ざけるのは
地平線、繊細な仕方で。

ここでは、battement(打つこと、仰ぐこと)」とcoup(打撃、羽ばたき)という二つの単語によって、扇と鳥の羽の錯覚が継続される。
扇を「仰ぐたびに(à chaque battement)」、「夕暮れ(crépuscule)」の「フレッシュ(fraîcheur)」な風が送られ、第一詩節の幸福感が保たれる。

では、「羽ばたき(coup)」が「捕らわれている(prisonnier)」とはどういうことだろう?
鳥であれば自由に羽ばたき、どこにでも飛んで行くことができる。
他方、扇は、人間が手に持ち、動かさなければ、止まったままじっとそこにあるしかない。仰ぐ動きは、手に取られて初めて可能になる。その意味で、扇は人間によって捉えられている。
「捕らわれた羽ばたき」は、扇の動きが人間に従属していることを密かに告げている。

その一方で、鳥の羽ばたきに見立てられる扇の動きは、風を生み出し、空気を外に広げる。
「地平線を遠ざける(reculer l’horizon)」とは、手に持った扇から発せられた風が、爽やかさを遠くまで送り出していることを伝えている。

詩の言葉も、日常の言語を超えて、限定された意味の幅を広げ、新しい世界を作り出す。

第3詩節では、扇の動きの効果が示される。

Vertige ! voici que frissonne
L’espace comme un grand baiser
Qui, fou de naître pour personne,
Ne peut jaillir ni s’apaiser.

目が眩む! ほら、震えている
空間が、激しい口づけのように、
(しかし)それは、誰かのために生まれることに熱狂しながら、
湧き出ることも、静まることもできないでいる。

扇の動きと鳥の羽の動きの区別がつかない状態が続き、最後には「目が眩む(vertige)」ほどの恍惚感に襲われる。
そんな時、扇の動きによって彼女の周りの空間は「震えている(frisonne)」のだが、彼女にはその振動が「激しい口づけ(un grand baiser)」によって引き起こされたかのように感じられる。
扇は空間を振動させ、その動きが強い感情を引き起こす。

しかし、その一方で、そこで何か物質的な変化が起こるわけではなく、実体のない空気が揺らめくにすぎないことも確かである。
扇の作り出す空気の振動が作用する空間は、どんなに「生成すること(naître)」に「熱狂(fou)」しても、実際には、「湧き出る(jaillir)」ことも、「静まる(s’apaiser)」もできない。
空間の実体が変化することはない。

そのことを詩的言語の働きに応用すると、次のように理解できる。
日常の言語では、例えば、現実の花があり、その花が欲しいときには、「花を持ってきて。」と言う。「花」という言葉は、現実にある花の代用品として機能する。

それに対して、詩の中にある「花」という言葉は、特定の花を指示するのではなく、ただ言葉としてあるにすぎない。何かの代用品ではなく、現実の何とも関係していない。扇が作り出す風と同じで、実体として参照するものはない。
ところが、そうした言葉が詩として組み立てられると、読者の心に大きな振動を引き起こすことができる。読者が「眩暈(vertige)」に捉えられることさえある。

扇は、気温が高い中で快い涼しさをもたらすという実用面の有用性だけ用いられるのではない。むしろ、その揺らぎの中で、扇を手にする者を夢想に誘い、我を忘れる瞬間をもたらすことに価値が置かれる。
詩も、実用的や役割を持つのではなく、「眩暈」を引き起こすことに価値を見出す。

第4詩節では、夢見る娘と扇の関係が描かれる。

Sens-tu le paradis farouche
Ainsi qu’un rire enseveli
Se couler du coin de ta bouche
Au fond de l’unanime pli !

お前は感じているのか、人慣れしない天国が、
葬られた微笑みと同じように、
お前の口の隅から、静かに流れ出るのを、
あらゆる襞が一つになる襞の奥へと向かい!

扇は夢見る娘に向かい、あることを「感じているのか(Sens-tu)」と問いかける。
では、感じる内容は何か?

後半部分で、「お前の口の端から(du coin de ta bouche)」、「静かに流れる(Se couler)」とあるので、何かが娘の口元から流れ出していることがわかる。
そして、それは、「襞(pli)」の「奥(au fond)」へと向かっていく。

その襞に、unanime(満場一致の)という形容詞が付けられている。その意味は、複数のものが一つの意見を共有すること。
としたら、広げられた扇の先端が多様性で、それが共通するものとして考えられるのは、要(かなめ)の部分になる。つまり、unanime pli(満場一致の襞)は、要のこと。

次に、前半部分に戻り、何が娘の口から扇の要へと流れるのか、つまり娘が扇に何を囁いているのか見ていこう。

Whisteler, Geneviève Mallarmé

「天国(paradis)」は、暑い夏の夕べ、扇によってあおられた風が気持ちいいことを伝える言葉だろう。
その天国が、「人慣れしない」とはどういうことか?

それが「葬られた微笑み(un rire enseveli)」と同様なものとされる。
彼女の口元が微笑みを浮かべている。その笑みは、扇に覆われ、こちらからは見ることができない。
「葬られた」は、そうした様子を表している。

そこから連想すると、「人慣れしない」とは、マラルメ嬢がふと「天国みたい。」と囁く際に、他の人に聞こえないようにひっそりと伝える様子を暗示していると考えることができる。

彼女と扇のこうしたやり取りに、「人慣れしない」「葬られた」という言葉が付けられていることは、その交感が他の人々に開かれているわけではなく、そこだけに限られていることを告げるものだろう。

最後の詩節では、扇が閉ざされ、要を下にして縦に置かれる姿が描かれる。

Le sceptre des rivages roses
Stagnants sur les soirs d’or, ce l’est,
Ce blanc vol fermé que tu poses
Contre le feu d’un bracelet.

バラ色の岸辺の王笏(おうしゃく)が、
黄金の夕べの上に留まる、それがそれ、
閉ざされた白い飛翔、それをお前は
ブレスレットの炎に立てかける。

扇が自らを「王笏(sceptre)」と呼ぶのは、閉ざされて縦に置かれている姿を連想させるため。
「バラ色の岸辺(rivages roses)」とは、窓から夕日が差し込み、扇の置かれた一面の空間をバラ色に染める様子を示している。

そうした夕べが一晩ではなく、幾晩も続く。そのことは、les soirs d’or(黄金の夕べ)が複数形になっていることで示されている。

詩に関しても、好きなものであれば、一回だけではなく、何度でも読み、暗唱して反復する。
「夕べ」が複数あるように、詩の言葉は、日常会話の言葉とは違い、意味が伝わったとしても何度でも読み返され、その度に読者に「眩暈(vertige)」を引き起こす可能性がある。

最後に、扇は、詩全体を「閉ざされた白い飛翔(blanc vol fermé)」という言葉の中に凝縮する。
今は閉ざされているが、そこに、羽を羽ばたかせて鳥のように空中を舞う動きが秘められている。
扇全体が要に凝縮されるように、扇にはそれが生み出す楽園全てが内包されている。
「白色」の光りはスペクトルの7色を含み、プリズムを通すことで全ての色となる。扇の飛翔が白いのはそのためだろう。

マラルメ嬢は扇を「ブレスレット(un bracelet)」を土台にして立てかける。
そのブレスレットには夕日が当たり、「火(feu)」が燃えるようにキラキラと輝いている。

Braceletという詩の最後の言葉は、ce l’est(それがそれだ)という言葉と豊かな韻を踏み、王笏のように見える扇をしっかりと支えている。

Jane Graverol, Mlle Mallarmé

マラルメ嬢は、そこから扇を取りだし、扇が風を送る空間に身を委ね、密かに「楽園のよう」とささやく。

父親のマラルメは、そうした娘の姿を幸せそうに眺めながら、扇の白い飛翔を詩の奥義として「もう一つの扇 マラルメ嬢の」に封じ込めたのだった。


マラルメの詩は決してすぐに理解できるものではないし、なぜ彼はこんなに難解で、不可解な言葉を連ねるのかと思われるかもしれない。

そのために、マラルメの詩は読まないと決めてしまってもいいのだけれど、フランス語で読めば、音の美しさ、音楽性の高さを感じることができる。彼独自の美の世界を捨ててしまってはもったいない。

そこで、最初は、理解を目指さずに、フランス語の朗読を聞き、その音を自分の口から発するという楽しみを知ることから始めるといいかもしれない。
そして、徐々に音を意味とつなげ、例えば、Une fraîcheur de crépuscule、l’unanime pliと言いながら、「黄昏の心地よさ」「扇の要」などを思い描く。
そうしたことを続けていると、いつの間にか、風が詩の言葉のように感じられるようになり、それまでとは違う世界が広がり始める。

そんな風に読んでいると、いつの間にかマラルメの詩句の美しさを感じる自分がいることを発見でき、喜びを感じられるかもしれない。


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