カミュ 『ペスト』 Albert Camus La Peste 疫病や戦争を前にして、人はどう生きるべきか?

アルベール・カミュが1947年に出版した『ペスト』は、アルジェリアのオラン市を舞台にし、ペストが一つの町を外部の世界から隔離し、人々の生活を一変させてしまう様子をドキュメンタリー風に描いた小説。

実際、人類の歴史の中で、ペストは人間に何度も大きな災禍となってきた。カミュがそうした歴史を参照したことは確かだ。
それと同時に、この小説の中で、ペストはナチス・ドイツの象徴でもあった。そのことは、カミュ自身が証言している。
疫病と戦争には自然災害か人災かという違いはある。しかし、一般市民に甚大な被害をもたらすという点においては変わりがない。

ここでは、市中に広がる不安な病について、最初に「ペスト」という言葉が使われた時の記述をたどり、カミュがペストと戦争をどのようなものだと捉えていたのか探っていこう。

最初に出てくるベルナール・リューは、ペストに罹った多くの患者の治療にあたる医師であり、また、出来事の推移を綴る語り手でもある。彼は「私」という代名詞を使わず、三人称を使うことで客観的な視点を確保し、ペストの発生から収束までを年代記風に語っていく。

 Le mot de « peste » venait d’être prononcé pour la première fois. A ce point du récit qui laisse Bernard Rieux derrière sa fenêtre, on permettra au narrateur de justifier l’incertitude et la surprise du docteur, puisque, avec des nuances, sa réaction fut celle de la plupart de nos concitoyens. Les fléaux, en effet, sont une chose commune, mais on croit difficilement aux fléaux lorsqu’ils vous tombent sur la tête.

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鈴木大拙 宗教とは何か?

鈴木大拙は、禅の思想が世界的に知られるようになる上で、最も大きな役割を果たした宗教学者。

「世界人としての日本人」という自己認識を持つ大拙は、東洋と西洋を対立させる二元論に立つのではなく、二元論の根底にある「無」の思想を中心に置き、禅をはじめ日本の文化や思想を西洋に伝えた。
コロンビア大学で彼の講義を聴いた中には、作曲家のジョン・ケージや小説家のJ. D. サリンジャーがいた。サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「鈴木博士」は、鈴木大拙のことだと言われている。

「宗教とは何か?」という問いに「正しい無限を感じること」と答える鈴木大拙の宗教観を、10分程度のインタヴューで知ることができる。

中村元 仏教の本質

中村元は、日本で初めて、初期仏教の仏典を原典から日本語に翻訳したインド哲学者、仏教学者。
「学ぶこと少ない者は牛のように老いる。その肉は増えるけれど、知恵は増えない。」(ダンマパダ)から始まり、「自己に頼れ、法に頼れ。」で終わるわずか10分のビデオだが、「学問は人々の役に立つ、生きたものでなければならない。」という言葉を実践した中村の言葉を通して、仏教の本質に触れることができる。

マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 3/3

マラルメは「墓」の二つの3行詩を通して、ヴェルレーヌがどのような詩人であったのかを示し、最期に彼の死がどのような意味を持つのかを密かに伝えようとした。

その際、最初に、« Qui cherche (…) Verlaine ? »(誰がヴェルレーヌを探しているのか?)と問いかけることから始め、ヴェルレーヌを探す誰か、つまり彼の死後にも現れるであろう読者の存在を浮かび上がらせる。
そして、その読者に向けて、ヴェルレーヌ像をいくつかの視点から浮かび上がらせていく。

Qui cherche, parcourant le solitaire bond
Tantôt extérieur de notre vagabond —
Verlaine ? Il est caché parmi l’herbe, Verlaine

À ne surprendre que naïvement d’accord
La lèvre sans y boire ou tarir son haleine
Un peu profond ruisseau calomnié la mort.

(朗読は33秒から)
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マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 2/3

「墓」の第2四行詩では、前半で、ヴェルレーヌの詩想が、小枝に止まる鳩(le ramier)の鳴き声と非物質的な喪(cet immatériel deuil)という表現によって暗示される。
後半では、ヴェルレーヌの死後、それらの詩句が、生前は彼の詩も彼の人間性も理解しなかった一般の人々を照らすという予想、あるいは希望が続く。
死は未来の栄光への転回点なのだ。

Ici presque toujours si le ramier roucoule
Cet immatériel deuil opprime de maints
Nubiles plis l’astre mûri des lendemains
Dont un scintillement argentera la foule.

(朗読は23秒から)
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マラルメ 「墓」 (ポール・ヴェルレーヌの) Stéphane Mallarmé « Tombeau » (de Paul Verlaine) 1/3

ステファン・マラルメは、あるジャーナリストの問いかけに対して、ポール・ヴェルレーヌを人間としても詩人としても高く評価していると応えている。
それは、マラルメの無名時代に、ヴェルレーヌが『呪われた詩人たち(Les Poètes maudits)』(1886)の中で彼を取り上げてくれたことに感謝しているというだけではない。二人の間には個人的な交流があり、マラルメは、ヴェルレーヌのピアノを奏でるような詩句を評価するだけではなく、困窮を極める私生活の苦難をヴェルレーヌがある高貴さを持って受け入れていると考えたからだった。

そのヴェルレーヌが、1896年1月8日、パンテオン近くのホテルで息を引き取る。葬儀は1月10日、サント・ジュヌヴィエーブの丘にあるサン=テティエンヌ=デュ=モン教会で行われ、遺体はパリ北西部のバティニョル墓地に埋葬された。
その葬儀の中で、マラルメは、お互いをたたえ合える詩人の仲間として、「墓はすぐに沈黙を愛する(Le tombe aime tout de suite le silence.)」という言葉で始まる追悼文を読み上げた。

1年後の1897年1月、『白色評論(La Revue blanche)』という雑誌がヴェルレーヌを追悼する特集を組み、マラルメの「墓(Le Tombeau)」が掲載される。
同じ年、ヴェルレールの彫像をリュクサンブール公園に建てるという計画が持ち上がり、その際にもマラルメは寄付を募る一文を投稿している。


第1四行詩は墓石を思わせる黒い岩(le roc noir)から始まる。

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 3/3 

「シャルル・ボードレールの墓」の後半を構成する2つの三行詩に関しては、フランスの文学研究者たちの間でも解釈が大きく分かれる。

日常的なコミュニケーション言語を拒否し、フランス語の構文から逸脱したマラルメの詩句が、音楽的な美しさを持ちながら、理解を拒む傾向にあることはよく知られているが、それでも、ある程度まで共通の解釈がなされることが多い。

しかし、以下の6行については、代名詞、形容詞、動詞の目的語といった文法的なレベルでさえ意見が異なり、ここで提示する読解も多様な読みの一つにすぎない。

Quel feuillage séché dans les cités sans soir
Votif pourra bénir comme elle se rasseoir
Contre le marbre vainement de Baudelaire

Au voile qui la ceint absente avec frissons
Celle son Ombre même un poison tutélaire
Toujours à respirer si nous en périssons

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 2/3 

「シャルル・ボードレールの墓」の第2詩節の冒頭では、ガス灯に言及される。その後、ガス灯の光が照らし出すある存在にスポットライトが当たる。それをマラルメは「一つの永遠の恥骨(un immortel pubis)」と呼ぶ。

その二つの言葉の組み合わせは、ボードレールの詩的世界では、パリの街角に立つ娼婦を連想させる。
実際、「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」には、次のような一節がある。

À travers les lueurs que tourmente le vent
La Prostitution s’allume dans les rues ;
Comme une fourmilière elle ouvre ses issues ;
Partout elle se fraye un occulte chemin, (…).

風が苦しめる街灯の光を通して、
「売春」が、あらゆる道で火を灯す。
蟻塚(ありづか)のように、出口を開ける。
至るところで、隠された道を作る。(後略)           
                   
(参照:ボードレール 夕べの黄昏 (韻文詩) Baudelaire Le Crépuscule du soir 闇のパリを詩で描く

マラルメは、こうしたボードレールの世界を参照しながら、以下の4行詩を書いたに違いない。

Ou que le gaz récent torde la mèche louche
Essuyeuse on le sait des opprobres subis
Il allume hagard un immortel pubis
Dont le vol selon le réverbère découche

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マラルメ 「シャルル・ボードレールの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau de Charles Baudelaire » 1/3 

1892年にボードレールの記念碑が建立される計画が持ち上がり、その資金を調達するために詩人を追悼する詩集が企画された。参加を求められたマラルメは、若い頃に多大な影響を受けたボードレールへの敬意を込めて「オマージュ(Hommage)」と題したソネ(14行詩)を執筆、その後、自分の詩集に再録した際、題名を「シャルル・ボードレールの墓(Le Tombeau de Charles Baudelaire)」に変更した。

オマージュであるこの詩がボードレールの詩的世界を反映しているのは当然のことだが、音的にも、ボードレールという名前の最初の文字である B の音が詩句の中にちりばめられている。題名の中でTombeauのボの音がBaudelaireのボの音と響き合うところから始まり、詩句の至るところから B(audelaire)が顔を出してくるのだ。

他方で、ボードレールを超えようとする意図も込められている。14行の詩句の中で句読点が一つも用いられないことは、形式的な次元での刷新に他ならない。


第1詩節では、悪(le Mal)から美(beau)を抽出するボードレールの「詩的錬金術」に焦点が当てられる。

Le Tombeau de Charles Baudelaire

Le temple enseveli divulgue par la bouche
Sépulcrale d’égout bavant boue et rubis
Abominablement quelque idole Anubis
Tout le museau flambé comme un aboi farouche

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マラルメ 「エドガー・ポーの墓」 Sthépane Mallarmé « Le Tombeau d’Edgar Poe » Poetの肖像

アメリカの作家・詩人エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe : 1809-1849)は、本国では人気がなく、彼の文学的な価値はボードレールによって発見されたといっていい。
1849年、ポーはメリーラウンド州のボルチモアに滞在中、場末の酒場で泥酔状態で発見され、そのまま病院に運ばれて亡くなり、その地の墓地に埋葬された。

その後、1875年に記念碑が建てられ、それを機に記念文集も出版されることになり、ステファン・マラルメにも寄稿の依頼がなされた。
それに応えて作られたのが、「エドガー・ポーの墓(Le Tombeau d’Edgar Poe)」と題されたソネ。(その際の題名は「エドガー・ポーの墓に捧ぐ(Au tombeau d’Edgar Poe)」。)この場合、「墓」という言葉は、亡くなった先人に捧げるオマージュを意味する。

マラルメはこの詩の中で、エドガー・ポーを讃えながら、詩人が社会の中で認められず、孤高の存在であることを強調する。そして、ポーを詩人たちを象徴する存在と見なした。
ちなみに、題名のTombeauのT を受け、詩の最初にも « Tel »とTで始まる言葉が置かれ、Poeの名前の後ろにを T 置けば、Poetになる。

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