芭蕉 「野ざらしを心に風のしむ身かな」 荘子の思想を生きる俳人 1/2

松尾芭蕉が若い頃から荘子の寓話に親しみ、その思想を愛好していたことは、よく知られている。その受容は、単なる書物上の知識にとどまらず、芭蕉の生き方そのものに強い影響を与え、彼の俳句の核心を貫いている。

ここでは、芭蕉の二つの紀行文集である『野ざらし紀行』と『笈の小文(おいのこぶみ)』を手がかりとして、「旅を栖(すみか)」(『奥の細道』)とした芭蕉が、荘子をどのように受容し、それを俳句の根底に据えたのかを、簡単にではあるが考察していく。

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釜山にて 古代の東アジア交流圏 4/4  倭の五王 勢力拡大と自立の兆し

(5)冊封体制における倭の五王

冊封体制(さくほうたいせい)とは、古代の東アジアにおいて、中国の王朝が周辺の諸民族や諸国と取り結んだ国際秩序を指す。

本来は、皇帝が国内の王や諸侯に対して称号(爵位)を与えて認定する「冊封」を通じ、君臣関係を結ぶ制度であったが、その形式が周辺の夷狄(異民族)にも適用され、朝鮮半島の諸国や倭国もその枠組みに組み込まれていった。
周辺諸国の王たちは、朝貢(ちょうこう)を行うことで、中国皇帝に従属する形を取りながら、「天子」の支配に服する姿勢を示した。
その見返りとして、中国から王号や印章、冊書(認定文書)、豊富な贈答品を与えられ、経済的利益を得るとともに、自国内における政治的・象徴的な権威を高めることができた。

3世紀に魏へ朝貢した邪馬台国の女王・卑弥呼が、魏から「親魏倭王」の称号を与えられたことは、その代表的な例である。
また5世紀になると、倭国の五人の王が宋に朝貢したことが、6世紀初頭に成立した中国の歴史書『宋書』の「夷蛮伝」に収められた「倭国条」に記されている。

『宋書』は、あくまで宋王朝の正史であり、すべての歴史的出来事を客観的かつ網羅的に記録することを目的とした史書ではない。倭に関する記述についても、宋王朝の視点を通して描かれた外交史の一部として理解する必要がある。

それでもなお、これらの記述に描かれた倭の五王の姿をたどることで、5世紀の倭国が次第に勢力圏を拡大し、冊封体制に組み込まれつつも、徐々に自立へと向かう萌芽を見て取ることができる。すなわち、倭国は宋王朝の冊封秩序の中で、しだいに「問題を孕む存在」として認識されるようになっていったのである。

そしてその姿勢は、一世紀以上の時を経て、7世紀初頭に聖徳太子が隋の煬帝(ようだい)に送ったとされる国書の一節――「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」――に象徴される精神へとつながっていく。

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「無」の思想 日本最初の荘子の受容

日本の文化の中で「無」が重要な役割を果たすことはよく知られているが、「無」とは何なのか、そしてなぜ日本人が「無」にこれほど惹かれるのか、説明しようとしてもなかなかできない。
そうした中で、荘子の思想は重要なヒントを与えてくれる。

大変興味深いことに、8世紀末期に成立した日本最古の和歌集『万葉集』には、荘子受容の最初の例としてよく知られる歌がある。

心をし 無何有(むかう)の郷に 置きてあらば 藐孤射(はこや)の山を 見まく近けむ                     (巻16・3851番)

もし心を「無何有の郷」、つまり「何もなく、無為(むい)で作為(さくい)のない状態」に置くならば、「藐孤射の山」、つまり「仙人が住むとされる山」を見ることも近いだろう、とこの作者未詳の歌は詠っている。

現代の私たちも、無の状態になることが何かを成し遂げるときに最もよい方法だと言うことがあるが、それと同じことを、今から1300年以上も前の無名の歌人も詠っていたことになる。
そして、「無何有の郷」と「藐孤射の山」が、『荘子』の「逍遥遊(しょうようゆう)」篇で語られる挿話に出てくる固有名詞だということを知ると、日本人の心のあり方と荘子との関係に深さがはっきりと見えてくる。

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小泉八雲の語る荘子「胡蝶の夢」  Lafcadio Hearn speaks of Zhuangzi’s ‘Butterfly Dream’

小泉八雲(Lafcadio Hearn:1850-1904)は、日本文化に触れた際の印象を記した『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)、そして日本各地に伝わる伝説や怪異譚を独自の語り口で紹介した『怪談』(Kwaidan)などの著作によって、明治期の日本文化を海外に広く紹介するうえで大きな役割を果たした。

彼は1850年、当時イギリスの保護領であったギリシアのレフカダ島に生まれた。父はアイルランド生まれのイギリス軍の軍医、母はペロポネソス半島南端に位置するキティラ島出身のギリシア人であった。
一家は1852年に父の故郷であるアイルランドに移り住むが、父が別の女性と生活を始めたことなどから、母はギリシアへ帰国し、ハーンは大伯母に育てられることになる。
その後、1869年に単身でアメリカ合衆国へ渡り、ジャーナリストや作家としての活動を開始した。

1890年に来日したラフカディオ・ハーンは、島根県で出会った小泉セツと結婚し、1896年には日本国籍を取得した。彼が日本を深く愛していたことは疑いようがない。
それでは彼は、どのようにして日本文化を理解しようとしたのか。この問いはきわめて興味深い問題である。

ここでは、その答えの一端を『怪談』の末尾に置かれた、昆虫に関する随筆「蝶」に求めたい。そこには、荘子の寓話「胡蝶の夢」への言及が見られる。ハーンは、荘子と蝶との関係について、次のように述べている。

Again, I should like to know more about the experience of that Chinese scholar, celebrated in Japan under the name of Sōshū, who dreamed that he was a butterfly, and had all the sensations of a butterfly in that dream. For his spirit had really been wandering about in the shape of a butterfly; and, when he awoke, the memories and the feelings of butterfly existence remained so vivid in his mind that he could not act like a human being.

私がさらに知りたいと思うのは、日本で荘周(そうしゅう)の名で知られるあの中国の学者の経験だ。彼は自分が蝶である夢を見、その夢の中で蝶としてのあらゆる感覚を味わった。というのも、彼の精神は実際に蝶の姿をとってさまよっていたからだ。そして、目覚めたときにも、蝶として存在していたときの記憶や感情があまりにも鮮明に心に残っていたため、人間として振る舞うことができなかったのである。

(Lafcadio Hearn, Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things, “Butterflies,” 1904)

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富士山を通して見る日本人の心情 3/3 空に消えてゆくへも知らぬわが思い

奈良時代から鎌倉時代前期にかけて、人々が富士山に託した思いは、「神さびて高く尊き」信仰の対象から、「恋の炎」に象徴される情念の山が加わり、さらに「空し」といった無常観を帯びることもあった。

ここで注意したいのは、富士山の象徴がいつの時代にも多層的であり、いずれか一つの側面が他を排除することはなかったという点である。神聖、燃える恋、儚い恋、そして無常、それらが共存していたことこそ、きわめて日本的な現象であるといえる。

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富士山を通して見る日本人の心情 2/3 燃える富士から富士の煙へ

山部赤人のように、富士山に「神さびて高く貴き」感情を投げかける流れが成立した一方で、より人間的な感情を託す流れも生まれていった。

人間的な感情の代表は、まず第一に「恋」であり、その場合、富士山の噴火から連想される「燃える」という言葉によって表されることが多い。
もう一つの代表的な感情は「無常観」であり、噴火の後の「煙」は、恋だけではなく、無常を象徴することもあった。

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富士山を通して見る日本人の心情 1/3 神さびて高く貴き富士

富士山は、日本の象徴として最もふさわしい存在だと多くの人が考えているに違いない。では、その富士山に対して、日本人はどのような感情を抱き、どのように表現してきたのだろうか。

この問いに対して、奈良時代から平安時代を経て鎌倉時代前期にかけて作られた和歌や物語は、一見対照的な二つの心情を私たちに伝えてくれる。
山部赤人(やまべのあかひと)と西行(さいぎょう)の歌に、その典型を見ることができる。

田子の浦ゆ 打ち出いでて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
(『万葉集』3-318)

風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
(『新古今和歌集』1615)

赤人の富士には、真っ白な雪が降り積もり、永遠に続くような神々しい姿が描かれている。
それに対して、西行の富士には風が吹きつけ、噴火の煙が空に消えていくさまが、生の儚さや無常観を象徴している。

奈良時代から平安時代へと時代が移りゆくなかで、富士山に託された心情は、このように変化していったのである。
その変遷の過程をたどることは、日本人の心のあり方を、私たち現代人にあらためて問いかけてくれるだろう。

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本人に抱いた第一印象

ラフカディオ・ハーンが強く日本に惹かれたことはよく知られているが、来日当初、彼の眼には日本人の姿がどのように見えていたのだろうか?

その疑問の回答となる一節が、1894年に刊行されたGlimpses of Unfamiliar Japan(『なじみのない日本を垣間見る』)に収録された« From the Diary of an English Teacher »(英語教師の日記から)と題された章の中にある。
それは、松江中学に英語教師として赴任したハーンが二度目の新学期の印象を綴ったシーンで、以下のように書き始められる。

Strangely pleasant is the first sensation of a Japanese class, as you look over the ranges of young faces before you. There is nothing in them familiar to inexperienced Western eyes; yet there is an indescribable pleasant something common to all.

日本の教室に入ってまず感じるのは、不思議なほど心地よい感覚だ。目の前にずらりと並んだ若い顔を見渡すときだ。未熟な西洋人の目には、どの顔にも見慣れた特徴は何ひとつない。それなのに、すべての顔に共通して、言葉では言い表せないような心地よい何かが感じられるのだ。

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時間を前にした人間の生き方 パスカルの考え

パスカルが時間を前にした人間の生き方を考察したのは、「虚栄心(Vanité)」という枠組みの中でだった。
その意味については最後に考えることにして、まずはパスカルの考えを読み解いていこう。

彼は、人間は現在を生きず、常に過去や未来に囚われていると述べる。その考えは、16世紀の思想家モンテーニュの見解と一致している。
(参照:時間を前にした人間の生き方 モンテーニュの考え)

Nous ne nous tenons jamais au temps présent . Nous anticipons l’avenir comme trop lent à venir, comme pour hâter son cours; ou nous rappelons le passé pour l’arrêter comme trop prompt : si imprudents, que nous errons dans les temps qui ne sont pas nôtres, et ne pensons point au seul qui nous appartient; et si vains, que nous songeons à ceux qui ne sont plus rien, et échappons sans réflexion le seul qui subsiste.
           (Pascal, Pensées, II Vanité, 43)

私たちは決して現在にとどまらない。未来がなかなか来ないように感じ、未来を先取りするかのように思い描くのは、その流れを早めようとするかのようだ。あるいは、あまりにも速く過ぎ去ってしまう過去を、引き留めようとする。私たちはあまりにも軽率に、自分のものではない時間の中をさまよい、ただ一つ自分に属している時間のことを考えようとしない。そしてまた、あまりにも虚しい存在であるがゆえに、もはや存在しない時を夢見ては、唯一現に続いているこの時を、思慮もなく逃してしまう。
           (パスカル『パンセ』「虚栄心」43)

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