ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 読み方の提案 その2 天才ランボーを愛す

ランボーは、誰が何と言おうと、天才中の天才詩人。

生意気な少年で、伝統的な詩の規則を破り、汚い言葉を平気で使い、勝手な理論をでっち上げ、その場の勢いで、人を煙に巻くようなわけの分からない詩をでっち上げたに違いない。

普通なら、そんな詩はノートに書き付けられたまま、誰からも相手にされず、書いた本人からも忘れられてしまう。

ランボーが活字にしたのは、『地獄の季節』の一冊だけ。しかも、費用を払わなかったために、出版社の倉庫に積まれたまま、売りに出されることはなかった。
「母音」や「酔いどれ船」も含め、後の全ての詩は、ノートに書かれた状態でしか残っていない。
それにもかかわらず、彼はボードレールやヴィクトル・ユゴーと並び、フランス詩を代表する存在になっている。

それほどの天才の詩であれば、「酔いどれ船」がどんなに難しくても、やはりその良さを少しでも感じたいと思うのが、文学好きの宿命だろう。

「酔いどれ船」の100行の詩句という大海原に漕ぎだし、難破しながらも、詩的な酔いを感じる術を提案してみたい。

物語

第24詩節で、ランボーが育った地方の言葉であるla flache(沼)が使われ、そこに舟を浮かべる少年の姿が描かれる。
「酔いどれ船」は、この少年が、5月の蝶のような弱々しい舟を目にしながら想い浮かべる、空想の旅だと考えてみよう。

第1詩節から第23詩節の間、船は大きな河を下り、湾に出た後に大海原へと向かい、嵐のために難破したり、しばらく停泊したり、湾に戻ったりと、大航海を繰り広げる。

弱々しい舟と大海を航海する二艘の船が、「現実の束縛」対「想像力の自由」という対比を際立たせる。

言葉のエネルギー

大航海を生み出す自由な想像力が、詩の中でものすごいエネルギー、活力Vigueur(22)を発散している。
そのエネルギーが、ランボーの詩の根源的な活力だ。
そして、そのエネルギー(活力)を伝えるのは、詩の言葉たち。

新語

ランボーは新しい言葉を作り出した。
derades, ailer (15)等。

単語の奇妙な結合

普通では結びつかない単語を結びつけた表現が数多くある。
Baiser montant aux yeux des mers (10)
les cheveux des anses (18)等。

何を指しているのかわからない意味不明の表現

よくわからないし、逆に言えば、どのようにでもイメージできる表現がある。
de longs figements violets (9),
ses fleurs d’ombres aux ventouses jaunes (16)。等

こうした言葉の使い方はとてもエネルギッシュで、力強さを感じる。

他方で、合理的に理解しようとすると何のことかはっきりとわからない。
読者が想像力を働かせ、ランボーが何を言いたかったのか考えるのではなく、既存の発想から自由になり、自分の世界を作り出す勇気が必要とされる。
そのために、緊張を強いられ、とても疲れる。

「酔いどれ船」の航海で出会う数々の困難は、読者が感じる理解の難しさと対応している。

どのように読むのか

合理的、知的に理解しようとしない

第18詩節で、bateau perdu (…) ivre d’eauとあり、19詩節ではplanche folleとある。
こうした表現は、ランボー自身が、酔い、狂気(現実とは違う次元)を感じていたことを示している。
それと同じように、読者も、言葉の勢いに身を任せ、言葉に酔うのが一番いい方法になる。

フランス語が母語でない読者には、朗読の力を借り、音を耳にしながら、言葉の海を航海するのが最善の方法。

最初にリンクを貼ったジェラール・フィリップの他にも様々な朗読がある。
ここでは、女優ファニー・アルダンの朗読を聞いてみよう。

我が儘に、好きな表現だけを楽しむ

ランボーは自由を希求し、想像力の翼を大きく拡げて、言葉を使用した。
それと同じように、読者も、我が儘に、気に入った言葉だけ楽しむ権利がある。
その選択は読者の自由に任される。

以下はその例。

歌と色の組み合わせが心地よい。

J’ai rêvé (…) le réveil jaune et bleu des phosphores chantants. (10)

単語を続けただけで、俳句みたい。

Glaciers, soleils d’argents, flots nacreux, cieux de braises. (14) 

それまで何かを一生懸命にしてきた後で疲れたとき、こんな風に言ってみたい。

Parfois, martyr lassé des pôles et des zones. (16) 

エネルギー、活力を、無数の金の鳥のイメージに変換していて、とても美しい。

Million d’oiseaux d’or, ô future Vigueur (22)

「酔いどれ船」全体を理解しようとするのではなく、勝手にいくつかの言葉を取り出して、それだけを楽しむ。
一人一人の読者が、綱曳き人から解放され、100行の詩句の自由に航行する。それが最もランボー的な詩の読み方だろう。

やはりフランス語で読みたい

詩句の音楽性を感じるためには、フランス語で読むしかない。
さらに、意味の上からも、やはりフランス語で読みたい。

Ô que ma quille éclate ! Ô que j’aille à la mer ! (23)

かつての中原中也も、現代の宇佐見斉も、éclaterを砕け散ると理解している。そのために、海に出るという次の言葉も海に沈む、遭難すると解釈され、そのように訳される。

éclaterの元になる単語は、éclatという名詞。
この名詞には破片という意味があり、その動詞は爆発するという意味になる。
しかし、輝きという意味もあり、動詞も輝くという意味を持つ。
訳者は、どちらかの意味を選択することを強いられる。
そして、訳の読者は、選択された意味しか知ることができない。
翻訳の限界が、こうしたところにもある。
フランス語を読む場合には、二つの意味のどちらかを自分で選択できるし、あるいは選択をやめ、二重の意味を保つこともできる。

シャルルヴィルにあるランボー博物館に展示されている少年ランボーと彼の母マチルドの写真を眺めながら、フランス語でランボーの世界に飛び込む。
文学を愛好する者にとって、最高に幸福な読書体験になるだろう。

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