ヴィクトル・ユゴー 「影の口が言ったこと」 Victor Hugo « Ce que dit la bouche d’ombre » 自然の中の人間

ヴィクトル・ユゴーは降霊術に凝っていて、回るテーブルを囲み、霊とモールス信号のような交信をしていたことが知られている。
「影の口が言ったこと」 の影の口(la bouche d’ombre)というのは、その霊の口だろう。
ユゴー自身のイメージでは、ドルメンなのかもしれない。彼が描いた絵が残っている。

「影の口が言がいうこと」は、786行におよぶ長大な詩。ここでは、宇宙全体に関わる世界観、自然観と、その中の人間のあり方について見ていくことにする。

全ては生きている

世界全体に関するもっとも基本的な原理は、46行目から詩句で示される。

Tout parte. Et maintenant, homme, sais-tu pourquoi
Tout parle ? Écoute bien. C’est que vents, ondes, flammes,
Arbres, roseaux, rochers, tout vit !
Tout est plein d’âmes.

全てが口をきくのだ。そして今、人間よ、お前は知っているのか、
全てが口をきく理由を。聞くがいい。風も、波も、炎も、
木々も、葦も、岩も、全てが生きているのだ!
                全てが魂で満ちている。

ここで示されているのは、人間も自然も、生物も無性物も隔てなく、全てに生命が宿るという世界観である。

ある意味で、こうした考えは、日本の自然観に近いといえるかもしれない。

存在の階層

しかし、その内実はまったく違っている。
日本的な感性では、自然全てが生きているとして、個々の存在を階層化し、優劣をつけることはしない。
それに対して、ユゴーは、ルネサンスの宇宙観に基づきながら、存在の序列を列挙する。

一番上に来るのが、神。
その下には天使(ange)。次に精霊(esprit)
その下に、人間(homme)。
その下に、動物(animal)、植物(végétal)、鉱物(minéral)。
最下層には、恐ろしい黒い太陽(soleil noir)。

この序列に従い、よい行いをした者は軽くなり、上昇する。
悪い行いをした者は、重さを増し、下降する。

この考え方は、輪廻転生に近い。フランス語で言うと、métempsychoseあるいはpalingénésie。
決してユゴーに特別な考え方ではなく、古代から認められている一つの世界観である。

階層化された自然の中での人間の位置

階層化された自然の中で、人間は中心に位置する。

L’homme qui plane et rampe, être crépusculaire,
En est le milieu. (v. 391-392)

人間は、空を飛翔し、地を這う、黄昏の生き物、
全ての中間の存在。

人間は、あらゆる存在の中間に位置し、善行によって重さが減少すれば精霊へと上昇する。逆の場合には、重さが増加し、動物や植物、鉱物に生まれ変わることもある。

第413行からは、そうした人間のあり方に焦点が当たる。

Par un côté pourtant l’homme est illimité.
Le monstre a le carcan, l’homme a la liberté.
Songeur, retiens ceci : l’homme est un équilibre.
L’homme est une prison où l’âme reste libre.
L’âme, dans l’homme, agit, fait le bien, fait le mal, 
Remonte vers l’esprit, retombe à l’animal ;

一方で、人間は無限だ。
怪物は束縛されているが、人間には自由がある。
夢見る者よ、以下のことを心に留めよ。人間は振り子だ。
人間は監獄だ。しかしその魂は自由のままだ。
魂は、人間の中で活動し、善をなし、悪を行う。
精霊の方へと再び上昇し、動物に方に再び墜落する。

この一節は、ルネサンス時代の思想家ピコ・デラ・ミランドラの主張する「人間の尊厳」についての主張に近い。
ミランドラによれば、他の動物と違い、人間は自由意志によって、神にも動物にも近づくことができる。上昇することも、下降することもできる、その自由が、人間の偉大さなのである。

影の口も、人間の魂は善を行うことも悪を行うことあり、精霊に向かうことも、動物の方に墜落することもあると語る。

人間が無限の存在であると見做されるのは、その自由のためである。

人間が監獄という思考は、プラトン以来のもの。
プラトンは、魂は地上に降りるとき肉体という監獄を纏ったと考えた。肉体は魂の監獄なのだ。
哲学することが死を学ぶことであるとすれば、死とは魂の肉体からの解放を意味する。

こうした伝統的な思考に則りながら、ユゴーは一つ独自の観点を示す。
上の引用の2行目の前半で、怪物は束縛されるとし、後半で、人間は自由だとする。
ここでは、この対照が何によるのかすぐには明かされない。まず人間の特設について述べられ、徐々にその秘密が解き明かされていく。

Et pour que, dans son vol vers les cieux, rien ne lie
Sa conscience ailée et de Dieu seul remplie, 
Dieu, quand une âme éclôt dans l’homme au bien poussé, 
Casse en son souvenir le fil du passé ;
De là vient que la nuit en sait plus que l’aurore.
Le monstre se connaît lorsque l’homme s’ignore.
Le monstre est la souffrance, et l’homme est l’action.

天に飛翔する時に、何も結びつけはしない、
羽が生え、神だけに満たされた意識を。
神は、魂が善に向かう人間の中で花開く時、
想い出の中にある過去の糸を切る。
その結果、夜は曙よりも物事をよく知っている。
怪物は自己を知り、人間は自己を知らない。
怪物は苦しみであり、人間は行動だ。

人間の魂が善を行い、天に昇るのを妨げるものはない。その理由がここで明かされる。
それは、神が、過去の糸を、想い出の中で断ち切るからである。つまり、人間の魂は前世の想い出を持たない。従って、前世の行いに左右されない。だからこそ、自由なのだ。

怪物は自己を知る。つまり、前世を知っている。そこから苦しみが生まれる。
人間は自己を知らない。つまり、前世を知らない。だから、自由に行動が可能になる。

自己を知らないことが夜であり、自己を知ることが曙だとすると、夜の方が前世に縛られないために、自由であり、物事をよく知ることにもつながると考えることができる。

人間が黄昏の存在であるという表現も、こうした考え方とつながっている。

前世の記憶なき人間の自由

次の詩句では、前世(la vie antérieure)という言葉がはっきりと出てくる。

L’homme est l’unique point de la création
Où, pour demeurer libre en se faisant meilleure, 
L’âme doive oublier sa vie antérieure.
Mystère ! au seuil de tout l’esprit rêve ébloui.

人間は、被造物の唯一の点。
そこで、自由であり続け、自らをよりよい者とするためには、
魂は己の前世を忘れなければならない。
何という神秘だ! あらゆる存在の入り口で、精霊が、目をくらまされながら夢を見る。

前世を忘れ、自由を獲得すれば、人間はよりよい存在になることができる。これが、階層化された自然を前提にした、ヴィクトル・ユゴーの主張である。

L’homme ne voit pas Dieu, mais peut aller à lui, 
En suivant la clarté du bien, toujours présente ;
Le monstre, arbre, rocher ou bête rugissante, 
Voit Dieu, c’est là sa peine, et reste enchaîné loin.

人間には神は見えない。しかし、神の方に向かうことはできる。
善の光に従うのだ。光は常に存在している。
怪物、つまり、木、岩、叫び声をあげる野獣は、
神を見る。それこそが苦しみであり、神から遠くに繋がれているのだ。

ここでも、人間と他の存在とが対照的に描かれる。

人間には神が見えないが、神の方に向かうことはできる。
人間以外の存在は、神を見る。しかし、神から遠く離れたところに縛り付けられている。

このように、万物は生命を持つという世界観に基づきながら、人間とそれ以外の存在は二分化されている。

動物、植物、鉱物、物質
1)命があり、魂を持つ。
2)神を見る。
3)己を知っている。
4)前世の記憶を持つ。
その結果、
5)宿命に従属する。

人間
1)命があり、魂を持つ。
2)神を見ない。
3)己を知らない。
4)前世の記憶を持たない。
その結果、
5)自由。(だからこそ、疑いを抱く。)

『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンが、悲惨な生活の中で善意の行為を重ねるとしたら、神は見えなくても神の方に向かうという、「影の口」によって啓示された人間像に基づいていると考えることができる。

さらに言えば、「影の口」のお告げを聞くことで、ヴィクトル・ユゴーの描く小説、詩、芝居を貫く自然観と人間観を知ることになる。

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