レオナルド・ダ・ヴィンチ モナ・リザの謎 Mystères de La Joconde de Léonard de Vinci

ダ・ヴィンチの「モナリザ」は、世界中で一番有名な絵画といえるだろう。
しかし、ルーブル美術館で本物を見たとしても、なぜこの絵画がそれほど人々を惹きつけるのは、正直なところよくわからない。

絵そのものをじっくりと見つめるだけで美を感じられればいいのだろうけれど、眉がなく、顔と肩から下の身体のバランスが少し変で、手が異常に大きい女性の姿をみて、美しいとすぐに言うことはできない。

謎の微笑みと言われる顔の表情も、微笑んでいるのか、こちらを見つめているのか、はっきりしない。

そうしたわからなさに惹きつけられて、モナ・リザの謎を探ってみよう。

リザ・デル・ジョコンドの肖像画

現在の研究では、モナ・リザのモデルとなった女性は、リザ・デル・ジョコンドと考えられている。
彼女を描いた他の絵は残っていないので、ダ・ヴィンチの肖像画が彼女にどの程度似ているのかどうかはわからないし、彼女が魅力的な女性だったのかどうかも不明である。
しかし、ダ・ヴィンチのモナ・リザは、世界で最も美しい女性と言われている。

その彼女の魅力の一つとして、しばしば微笑みが取り上げられる。

彼女の目元と口元。

何とも言えないこの微笑みが、レオナルドの「洗礼者 聖ヨハネ」ではもう少し強調されている。

Léonard de Vinci, Sainte Jean-Baptiste

西洋絵画の歴史の中で、微笑んだ表情を最初に描いたのは、15世紀イタリアの画家アントネロ・ダ・メッシーナの「笑う男」だと言われている。

Antonello de Messine, L’homme qui rit

この微笑みは、同じ画家の別の肖像画と比較するとよくわかる。「聖母被昇天の処女マリア」の女性(マリア)の顔に微笑みはなく、思い詰めたような表情をしている。

Antonello de Messine, Vierge de l’Annonciation

メッシーナの2枚の絵を比較して、微笑みの絵画の方が魅力的と言えるだろうか。
微笑みと同様に、あるいは微笑み以上に、青いヴェールを被ったマリアの思い詰めたような表情は魅力的である。

ここで注目したいのは、二つの顔の向き。どちらも顔をやや横に向けている。
真正面に顔を向けた時と、顔をやや横に向けたときでは、絵の印象はまったく違う。

正面の顔は、神や君主を描いたものが多く、人間的であるよりも、威厳や聖性を伝えている。

Antonello de Messine, Salvator Mundi

それに対して、斜めから描かれた顔は、人間的な印象を生み出す。同じキリストでも、顔を少し傾けるだけで、心の中が表現される。

Antonello de Messine, Ecce Homo

ボッティチェッリやラファエロも、斜め正面に向いた顔を描いている。

Alessandro Botticelli, Portrait d’Esmeralda Brandini 
Raphaël, La Fornarina

モナ・リザの表情の魅力が、ルネサンス時代の共通する顔の向きから来ていることは確かだろう。

ただし、他の肖像画と共通しない点が一つある。それは視線が見つめる先にあるもの。

ボッティチェッリの女性も、ラファエロの女性も、視線は正面に向けている。しかし、こちらを見ているという印象は受けない。
しかし、ダヴィンチの女性の目は、絵画を見る者を見つめている。彼女の瞳の中にその像は描かれていないが、私たち鑑賞者の姿が映るくらいの視線の強さがある。

それは、1504年頃に描かれたとされるラファエロの模写からも伝わってくる。

Raffaello Sanzio, Un portiate d’une femme,

レオナルド・ダ・ビンチは、人間的な表情が伝わる正面四分の三の角度の顔の中で、視線だけは真正面からのものとした。そのために、人間的でありながら、聖性や高貴さが伝わってくるのではないだろうか。

モナ・リザの顔が美しいとか微笑みの魅力とかというよりも、一人の女性に見つめられ、人間を超えた何かを感じる。
そこにこそ、この絵画の謎が潜み、魅力が生み出されるのではないだろうか。

背景の風景

モナ・リザの背景となっている風景に関して、世界で最初の風景画などと言われることがある。
しかし、風景画というジャンルは風景を描くことを対象にしたもので、背景に自然の光景が描かれていたとしても、風景画とはいえない。
また、ダ・ヴィンチ以前にも前景となる人物の後ろに風景が描かれることはあった。
例えば、ダ・ヴィンチの師匠であるアンドレア・デル・ヴェロッキオの「キリストの洗礼」でも、背景には山や湖が描かれている。

Andrea del Verrocchio, Baptême du Christ

ちなみに、キリストの足元にひざまずく二人の天使のうち、外側にいる天使は、弟子のレオナルドが描いたものとして、広く知られている。

「モナ・リザ」の風景の第一の特色は、空気遠近法が用いられ、遠近が色彩と空気感で表現されていることである。

一般的に遠近法というと、線遠近法に基づく透視図を思い浮かべる。
ある視点を中心にして、近いものは大きく、遠くのものは小さく描く。その際、平行なもの同士は必ず一点に交わり、その交わる点を「消失点」と呼ぶ。

フラ・アンジェリコの「聖コスマコスと聖ダミアヌス」の背景となっている風景は、線遠近法が使われている。
実際、画面の中央に位置する消失点に向かい、山並みが整然と描き出されている。

Fra Angelico, Saint Côme et Saint Damien

マサッチオの「貢の銭」でも、山並みは消失点に向かって小さくなっていく。

Masaccio, Le Paiement du tribut

ところが、これら絵を見ていると、何か自然さに欠けていることに気づく。
その理由は、近くにあるものも、遠くにあるものも、全てはっきりと描きだされているところにある。舞台の書き割りのような不自然さが感じられるのである。

レオナルド・ダ・ビンチは、こうした不自然さを解消するために、空気遠近法を考え出したと言われている。
空気遠近法を使うと、遠くのものは、ぼんやりと描かれる。空気の層がものの見え方をおぼろげにするという現実の法則に基づいた描き方だといえる。
また、色彩の点でも、近くのものは暖色にし、遠くのものは寒色にする。

ヴェロッキオの「キリストの洗礼」で、すでに、遠くの景色はおぼろげに描かれている。

このおぼろげな感じを出すために、絵具の透明な層を何層にも上塗りするフスマート(Sfumato)と呼ばれる技法が用いられている。
この技法は、ダ・ヴィンチによって発明されたとされている。

「モナ・リザ」では、フスマート技法だけではなく、色彩による遠近法も用いられた。近景は暖色の茶色系が使われる一方、遠景はブルー系の色彩が全面を覆っている。

フスマート技法を使うことで、「聖コスマコスと聖ダミアヌス」の風景に見られる不自然さがなくなり、色による遠近法を用いることで、「キリストの洗礼」の背景よりもずっと広大な風景の印象を生みだしている。

その広大さは、もう一つ別の要素と繋がっているのではないかと考えてみたい。その要素というのは、描き出されているのが、ある一カ所の風景ではないということを通して見えてくるものである。

女性の背景となる風景は、彼女を中心にして、左右で異なる風景が描かれている。
女性の左肩のすぐ上には橋が見え、人間の手が加わった風景が描かれている。そのためか、橋の近くの山の起伏もそれほどではなく、比較的穏やかである。

それに対して、上に描かれた遠景の風景になると、鋭く尖った山並みがそそり立ち、原初の自然、あるいは世界が出来上がったばかりの光景を思わせる。

右肩の上では、やはり荒々しい山の光景が広がるが、山の削られ方が少なく、尖った形の上に、まだ四角い山々がおおい被さっている。尖り具合が、時間の変遷を暗示しているとすれば、右の風景の方が左の風景よりも原初的だといえるだろう。
そして、その山並みのすぐ下には、広大な量の水がたたえられている。

さらに下に目を移すと、激しく流れ落ちる水の流れが暖色系で描かれ、寒色で描かれた山々から下った水が接近している様子が感じられる。

この4つの光景を組み合わせることで、レオナルド・ダ・ヴィンチは、世界の始めから人間の手による文明が出来上がるまで、つまり地球の歴史を表現したのではないだろうか。
右肩の上から始まり左肩の上へと移行しながら山岳の変化を描き、右肩の下の滔々と流れる大河へ。そして、人工の橋が続く。

モナ・リザの肖像が人間的でありながら、人間を超えた高貴さを表現するとしたら、背景となる風景は人間を取り囲む自然の歴史。それを表現することで、女性が醸し出す高貴さを、より確かなものとする役割を担っている。

もちろん、何度見ても飽きない「モナ・リザ」の魅力の秘密が、こうした説明で全て解き明かされるわけではない。
一つのことをわかったと思っても、次々に謎は浮かぶ。
それこそが、この絵の最大の魅力なのだろう。

本物のような絵

15世紀から16世紀のルネサンスの時期、絵画は大きな転換点を迎えていた。現代の我々からすると当たり前になっていることが、その時代には驚きをもって迎えられたに違いない。
それは何か?

それは、2次元の平面に描き出される絵が、3次元の現実世界を、あたかも本物のように再現するようになったことである。

そうした時代にあって、「モナ・リザ」が同時代の人々に高く評価された理由の一つに、女性の表情や服のリアルさがあった。
あたかも、本人がそこにいるかのような感じがしただろう。

当時のイタリアにあって、レオナルド・ダ・ヴィンチは、本物を再現する芸術の最先端にいた。
彼は、都市の建築、武器の製造、宇宙の原理、人体の謎などあらゆる事象に興味を持ち、探求を続けていた。
例えば、人体解剖を自らの手で行い、そのスケッチを数多く残している。

こうしたレオナルドの姿勢を見れば、絵画表現においても、現実をありのままの姿で再現しようとしたことは、当然のことに見える。

そのために彼が重視したのは、油彩画だった。
彼の時代まで、イタリアでは、フレスコ画やテンペラ画が絵画の主流だった。
それに対して、レオナルドは、北方絵画で主流であり、より写実的な表現が可能な、油絵具を使用した。

テンペラ画では、絵具を卵で溶くため伸びがよくなかった。大きな表現には向いているが、細部まで細かく描くことには向いていなかったのである。
他方、油彩の場合には、絵具の伸びがよく、薄く溶くことが可能だった。最新の科学的調査によれば、薄く塗る層(グレーズ)の厚みは1~2ミクロン単位だったという。そのために、繊細な表現が可能になった。

その違いは、テンペラ画で描かれたイタリアの画家フラ・アンジェリコの「キリストの埋葬」と、その絵画を参照した後に書かれたフランドル派の画家ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「キリストの哀悼」を見比べると、一目でわかる。

Fra Angelico, Pièta
Rogier van der Weyden, Lamentation du Christ

キリストの肌のやつれ具合、弟子達の服、背景の山の様子など、フラ・アンジェリコのものは、のっぺらとして、現実感に乏しい。
反対に、ファン・デル・ウェイデンの方は、質感が増し、リアルな感じがする。

ファン・デル・ウェイデンと同じ時代に活動したフランドル派の画家ヤン・ファン・エイクは、絵の具を薄く溶いて、透明な色層で描くグラッシ技法を開拓したと言われている。
彼の「アルノルフィーニ夫妻像」は、非常に詳細に細部まで描き込まれ、現実の再現として完成の域に達している。

Jan van Eyck, Portrait d’Arnolfini

画面の中央に置かれた鏡の中には、アルノルフィーニ夫妻だけではなく、彼等を描く画家自身の姿まで描き出されている。

細部まで残らず描き出す現実再現性は、17世紀スペインの画家ベラスケスにも引き継がれ、「侍女達」でも鏡が同じ使われ方をしている。

Diego Velázquez, Las Meninas

中央の鏡に映るのは、画面には現れていないが、ベラスケスが描いている肖像画のモデルである、スペイン王夫妻。

ここまでの再現性を可能にするには、遠近法に基づき奥行きを作り出すだけではなく、明暗法(キアロスクーロ)やフスマート技法を駆使して、立体感と質感を生み出すことが不可欠である。

明暗法は、光と影の効果を使い、物の立体感と質感を表現することを可能にする技法。

ラファエロの「ラ・フォルナリーナ」を見ると、光の当たる部分の明るさと、影になった部分の暗さのコントラストが、描かれているものをいかにリアルに見せるか、実感することができる。

Raphaël, La Fornarina

例えば、彼女の左の脇の下、胸に当てられた手の下、指の間の影が、肉体表現を自然にしているのを、はっきりと見てとることができる。

明暗法が最高度に洗練された例として、17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トールの「大工 聖ヨゼフ」がある。

Georges de la Tour, Saint Joseph charpentier

ジョゼフの前に座るキリストの左手は、蝋燭の光で透き通っている。光の明るさと、辺りの闇。その中間にある手の透明感。明暗法の効果がこれほど見事に示された例はないといえるほどである。

ダ・ヴィンチは、こうした明暗法によって可能になる明と暗のコントラストを巧みに用いながら、光から影へと続く無限の色調の変化を、フスマート技法によってさらに巧みに表現する。
薄い色彩の層を何層も重ねて塗ることで色彩に微妙なグラデーションを生みだし、自然な色の変化をつけることに成功したのである。

フスマート技法の代表的な例として言及されるのが、「モナ・リザ」の口元。
そこでは、陰影の微妙な変化を見ることができる。

背景の山並みを表現するための空気遠近法のためにも、髪の毛の縮れや服の皺のリアリティーを出すためにも、フスマート技法が使われている。

こうした表現では、筆の跡が残らない。そのために、誰かが描いた絵というよりも、現実がそこにあるという印象を生み出す。
自然界に輪郭を区切る線はないと考えたレオナルドにとって、色と色の境目をぼやけさせ、輪郭線をなくすこの技法は、なめらかな女性の肌や衣服の流れるようなしわなどを表現するために最適なものだったに違いない。

その上で、絵画の魅力を生み出すために、ハイライトの効果を狙った描き方をする。

絵具を濃く溶くと、色彩は不透明感が高くなる。その暗い地の上に、明るい色彩を塗っても、下地が透けて見えることはない。黒い下地の上に白い点を描いても、灰色にはならない。暗い背景の上に、コントラストのはっきりとした輝きをもった光を表現することができるのである。

モナ・リザの手首に近い茶色系の服の皺を見ると、その下と上で、闇と光のコントラストがはっきりと描き出されている。額や胸の輝きに劣らない明るい光が、手首と服の皺も照らし、ナチュラルな表現に華やかさを付け加えている。


「モナ・リザ」の写実性は、15世紀、16世紀の人々を驚かせ、感激させたに違いない。この女性は生きている、と思われたかもしれない。

他方、現代人は本物そっくりの絵に驚くことはない。
私たちが感じる魅力は、現実の再現性を超えた部分、例えば、光の輝きに現実を超えた美を感じるといったところにあるのかもしれない。

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