動く線 スタジオ・ジブリ かぐや姫の物語 

スタジオ・ジブリの高畑勲監督が制作した「かぐや姫の物語」の映像表現は、「動く線」を最大限に活かした作品。
ディズニー・アニメの現実的な映像とは反対に、手書きの絵の雰囲気を最大限に活かしている。

高畑監督は、「かぐや姫の物語」での映像表現を、「思いやり型」と呼んでいる。
監督自身の言葉によると、「かぐや姫の物語」は、「自分(観客)のドキドキ一辺倒ではなく、他者(登場人物)へのハラハラや笑いを呼び起こす。見る人に判断の余地を残す。作品という密室に人を閉じ込めるのではなく、現実と風が吹き通う、そういう映画」。

ディズニーのアニメなどは、陰影を付け、立体感があり、現実世界を再現を目指している。
ジブリ作品でも、トトロからもののけ姫まで、自然の描写は素晴らしい。
そうした現実を忠実に再現する方向にある表現は、監督によれば、「思い入れ型」。
空間を全て描き込み、自分がホンモノであると自己主張するペインティング。

宮崎駿監督は、イギリスのラファエロ前派の絵画を見て、その細密な表現には適わないと思い、それまでの現実再現的な表現をやめ、「崖の上のポニョ」の表現に向かったと、どこかで告白している。

「思いやり型」を突き詰めたのが、「かぐや姫の物語」。

高畑勲監督は、「思いやり型」の表現について、こんな風に言っている。
「私はホンモノではありませんが、なんとか線でホンモノを写し取ろうとしたものです。どうかこれをよすがにして、この後ろにあるホンモノを想像してくださいね」と慎ましく言っているスケッチやドローイング。

こうした線の絵を前にすると、見る人は、絵の背後に、描き手が描きたかったものを読み取ろう、想像しようという気持ちを働かせる。想像力が働き、記憶が呼び起こされる。
とりわけ日常の風景は、誰もが知っているのだから、全てを描かず、省略し、暗示にとどめればいい。

「かぐや姫の物語」の映像表現では、線が途切れていたり、太かったり細かったり、塗り残しがあったりする。そうしたクロッキー風の映像が流れることで、人間だけではなく、建物や自然にも生の実感が生み出される。
風が通り過ぎ、草花が揺れる、自然の実感。
高畑監督の言葉を再び借りると、「みんなの記憶の中の最上の自然が思い起こされ、それでやわらかく包み込んでほしい。」

「動く線」による映像表現の最良のモデルは、フレデリック・バックの「木を植えた男」だろう。

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