1980年代の青春 自由と苦しみ 尾崎豊

1980年から1990年代に青春時代を過ごした人は、2010年代には40歳を超え、50歳台になり、大学生の子どもを持つ親になっていることも多い。
そして、大学生というフィルターを通して二つの世代を見るとき、何か大きな違いを感じる。
今、尾崎豊の歌を聴くと、その違いがはっきりとわかる。

「15の夜」には、校舎の裏、煙草を吹かし、盗んだバイクで走り出し、友だちと家出の計画を立てる等という歌詞がある。

卒業する時には、校舎の窓ガラスを割る。
自由を求めて、自分を縛りつけているものに怒りを感じ、とにかく反抗する。

恋愛しても、とにかく息苦しい。二人でいても捨て猫みたいに惨めだし、いつも傷つけ合ってしまう。

時代はバブルで、社会にはお金がだぶついている。一方では、都会を中心に、ファッショナブルな生活を送る若者たち。お金があるので、恋人は新幹線に乗って、恋人に会いに来る。

しかし、心の底ではどこか虚しい。物はお金で買えるけれど、心は満たされない。そうした中で、自分でいたい。そのための自由。

尾崎豊の歌は、敗戦後アメリカ型の個人主義が導入され、経済成長と共に日本社会で大きな流れとなった自由礼賛の到達点かもしれない。

そうした自由に関しては、2010年代の若者たちも、孤独を感じ、束縛を嫌い、心のどこかで自由を求めている。

しかし、規則を破り、社会の規範に真正面から立ち向かっても、何の意味もないと、頭の片隅ですでにわかってしまっている。
そんな自由は疲れるだけ。

だから、冒険するよりも、安全パイの道を選び、無理をせず、そこそこの幸せを感じていたい。

尾崎豊の切ない歌声は、こうした二つの時代の違いを感じさせてくれる。
どちらがいいとか悪いというのではなく、時代の精が変わったのだ。

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