日本最古の物語と言われる『竹取物語』は、平安時代中期950年位の時期に成立したと考えられている。

その時代には、仏教伝来(538年)後、約400年の歳月を経て、大陸の圧倒的な文化的影響の下で、日本的な文化が形成されつつあった。
894年に遣唐使が廃止され、大陸との文化の交流が減少する中、貴族たちの文化は「和様化」の方向に進む。
905年には『古今和歌集』が編纂され、1000年前後には『枕草子』や『源氏物語』が書かれた。
『竹取物語』は、そうした時代にあって、極楽浄土での魂の救済より、現世における人間的な感情を好む日本的な心のあり方を、皮肉とニューモアを交えて語っている。
月に昇天する前、かぐや姫は帝に、「君をあはれと思い出でたる」と記した和歌を送る。その「あはれ」こそ、日本的心性が愛するものであり、日本的な美意識の根源となる心持ちである。
物語

『竹取物語』の基本的な枠組みは、翁が竹の中に身体の小さな赤ん坊を見つけ、我が子として育てる冒頭部分と、月からの使者達に連れられたかぐや姫が昇天する部分から成り立っている。
その視点から見ると、天人女房型説話ということになり、羽衣伝説や鶴女房に類する物語だといえる。異界の生物が地上に舞い降り、最後は再び異界へと戻って行く。

ところが、かぐや姫の昇天の後、帝はかぐや姫から受け取った手紙と不死の薬を富士山の頂上で焼かせる、というエピソードが加えられている。
この結末が、『竹取物語』のメッセージを読み取る上で、最も重要な部分となる。
なぜそのエピソードが重要かについては、この解説の最後の部分で明らかになるはずである。
地上での出来事は、5人の求婚者達の望みをはねつけ、最後に帝から求婚されるというものであり、求婚難題説話で占められている。
異界の生物に結婚を申し込み、彼女が出した難題に挑戦するのだから、その結果が失敗に終わるのは予測がつく。物語としての面白さは、難題の種類と挑戦者たちの具体的な行動にある。
かぐや姫は、求婚者たちに、現実には存在しないと考えられる物を持って来ることができれば、求めに応じると言う。
1)石作の皇子 ー 仏の御石の鉢

石作の皇子は天竺に鉢を探しに行くと言いながら、実は、大和の十市郡にある山寺で見つけた鉢でいいことにしてしまう。その鉢を錦の袋に入れ、造花の枝に結びつけ、かぐや姫のところに持って行く。鉢の中には、御石の鉢を見つけるためにどれほど苦労し、涙を流したかを歌った和歌を入れた。
かぐや姫は、鉢がまったく光っていないことをすぐに見破り、返答の和歌で、光がないこと、天竺ではなく小倉山にしか行っていないのではないかと詰問する。
それでもまだ石作皇子は和歌を返し、姫の美しさが鉢の光を打ち消したのだと思い鉢を捨てたまでで、恥をかなぐり捨てても求婚は続けたいなどと言う。
それに対して、姫は返答もしなくなった。
こうしたことから、厚かましい行為を、「はじ(鉢)を捨つ」と言うようになったという。
2)車持(くらもち)の皇子 ー 蓬莱の玉の枝

車持の皇子は、宮廷には築紫の国に湯治に行くと休暇を申し出る一方、かぐや姫には玉の枝を取りに蓬莱まで旅に出ると言う。
しかし実際には、旅に出るのではなく、一流の鍛冶匠に玉の枝を作らせる。そして、旅の服装で、姫の家に出掛け、玉の枝を渡し、自分の身を滅ぼしたとしてもこの枝を持ち帰らなければ、旅から戻ることはなかったという和歌を届ける。
それに対して、かぐや姫は、結婚を承諾しないといけないかと思い、胸が潰れるような思いを抱き、頬杖をつき嘆かわしい思いに浸る。
皇子の方は、翁に向かい、蓬莱への旅がどんなに危険で苦労が多かったものか、日付も交えながら、詳細に語る。そして、翁はその苦労に対する共感を歌にし、皇子は苦労が報われ、涙も乾いたという歌を返す。
かぐや姫は、結婚を承諾しないといけないという窮地に追いやられるが、その時、冶匠匠たちが現れ、彼等が作った枝の賃金を要求する。
車持の皇子がの策略がこうして明るみに出ると、それまで沈んでいたかぐや姫は一転してほがらかになり、翁に玉の枝を皇子に返してくれと頼む。
皇子は、噓が発覚したことを恥じて、深い山に入り、何年も姿を見せないようになる。
玉が原因で恥をかき、魂が離れること、あるいは偶然にしか人と出会わないことを、「たまさかなる」というのは、このエピソードに由来する。
3)左大臣・阿倍のみむらじ ー 火鼠の皮衣

阿倍のみむらじは、唐に使いを出し、燃やそうとしても決して燃えないという火鼠の皮衣を手に入れようとする。そして、天竺から来たという衣を唐の商人から高い値段で買い付ける。それは瑪瑙の箱に入れられ、金青の色をし、毛先は金色の光が輝いている。
そこで、私の恋の炎にも燃えない火鼠の皮衣を身につけて欲しいと和歌を付けて、姫へと送り届ける。
かぐや姫はそれを見て、本物であれば焼けないのだから、そこで焼いて、本物であることを証明するように要求する。そして、火にくべると、めらめらと焼けてしまう。それを見て、彼女は、ああ嬉しいと喜び、あとかたもなく焼けると知っていたら、焼かずに見ていたのにという、嫌みな和歌を入れて、箱を返す。
「あへなし」という言葉は、阿倍の左大臣のように、利発さに欠けることを意味するようになったという。
4)大納言・大伴の御行(みゆき) ー「龍の首の珠」

大伴の御行は家臣たちに龍の首の珠を取ってくることを命じ、取れなければ戻るなとさえ言う。家来たちは、そんな難題を出され、こっそりと主人の悪口を言い合い、誰も探索の旅に出ないでいる。
それを知らない大納言は、待ちきれずに、自ら船に乗り、旅立つ。するとすぐに嵐になり、これほど辛い思いはしたことがないというほど大変な状況になる。そこで、船を漕ぐ舵取りが、この嵐は、龍を殺そうとしているからだと、主人を非難する。そこで大納言が泣く泣く神に向かって、龍殺しを企てたことを後悔し、もう決してそのようなことはしないと呼びかけると、嵐が収まる。
3、4日後、船は海岸に打ち寄せられる。大伴の御行はそこを南海だと思うが、実は播磨の明石だった。彼は重い風邪にかかり、左右の目はスモモを二つ付けたように腫れ上がっていた。
家に戻ると、家来たちに、もう二度と龍の首の玉を取ろうなどと考えないと言う。そして、そんな考えを抱かせたかぐや姫は大悪人だと断じ、かぐや姫の家の近くに通ることも禁じる。
世間では、大伴の大納言のことを揶揄し、君主の理不尽な命令など、通りに合わないことを、「あな、たへがた」と言うようになる。その表現は、大納言の目がスモモを付けたようで、そんなものはまずくて「食べられない=堪えられない」という言葉遊びから来ている。
5)中納言。石上のまろたか ー 燕の子安貝

石上のまろたかは、燕の巣の中にあるという子安貝を取ろうとして、諸国から集めた米を収める館に足場を組ませ、燕の様子をうかがう。そして、燕は尾を上に向けて7回旋回した後卵を産むという忠告を受け、足場を上に引き上げられた籠に自分自身が乗る。
燕が旋回するのに合わせて巣に手を差し出し、平べったいものを手に入れる。
家来たちは彼を早く降ろそうとし綱を引くのだが、強く引きすぎて綱が切れ、まろたかは真っ逆さまに転落してしまう。
それでもとにかく意識を回復し、手にしたものを見ると、それは貝ではなく、燕の古い糞だった。それを見て、「ああ、貝のないことだ」と言ったことから、「かいなし」という言葉が使われるようになったと言う。

石上のまろたかのエピソードは、ここで終わらない。
彼の腰が折れ、病気になってしまったことを耳にしたかぐや姫が、あなたを待っているのに立ち寄ってくれない、待つかい(貝)がないのは本当かと尋ねる和歌を贈る。
それに対して、まろたかは、子安貝は巣の中に確かにあった、そしてあなたから手紙をもらい、子安貝を捕ろうとした甲斐があったという返事を和歌に認める。しかし、その手紙を書き終えると、死んでしまう。
そのことを聞いたかぐや姫は、「少しあはれ」と思い、それ以降、少し嬉しいことを「かひあり」と言うようになった。
これら5つの挿話はそれ自体でとても面白く語られている。
その上で、物語全体を見渡すと、かぐや姫の出生譚を導入部とし、求婚譚から昇天、富士山での結末まで、全てのエピソードが理路整然と配置されていることがわかる。
加藤周一は、『日本文学史序説』の中で、その点について、次のように結論付けている。
これほど無駄なく構成され、要点を簡潔に語って、劇的な話は、その後の平安朝かな物語のなかにも例がない。(中略)部分的細部を、それ自身のおもしろさのためにのみ語るのではなく、全体の構造の中に位置づけ、全体と関連させながら、必要にして十分な範囲で叙述する精神、ーーこのような抽象的合理的な精神は、9世紀の知識人においては、大陸文化の徹底的な消化を通じてのみあらわれ(空海から道長まで)、土着思想の表現としてはおそらくありえなかった(景戒から貫之まで)はずのものであろう。
世界の構造
『竹取物語』の世界は、月と地上という二重構造になっている。
7月15日、昇天の一ヶ月前に、月を見ては嘆いているかぐや姫を心配して、翁はこう言う。
「なんでふ心地すれば、かく物を思ひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に。」
翁にとって、この世は「うましき」もの、つまり満ち足りて、心地よいものだ。
それに対して、姫はこう答える。
「見れば、世間心細くあはれに侍る。」
姫は、この世、仏教用語で言う「世間」を、心細くしみじみしたものだと感じる。浄土は月だと知っているからである。
では、物語の中で、月はどのように描かれ、世間では何が起こるのか見ていこう。
月

月は、美と富と力の場であり、光によって象徴される。
その住人たちは不老不死。そこは永遠の世界なのだ。
ヨーロッパ的な言葉を使えば、プラトンのイデア界と言うこともできる。
地上の儚さを嘆く人間が憧れる理想の世界。
1)美

美の片鱗は、翁がかぐや姫を発見する場面にも現れている。
翁は竹藪の中で、根元が光る竹に近づき、その中に小さな子どもを見つける。
その子は三ヶ月ほどで成人し、髪揚げをし、大人の女性の服を着る。その容貌の美しさはこの上もない。屋敷に暗いところがなくなるほど光に満ちる、と言われるほど美しい。
この光輝く美は、彼女が月の世界の住人であることを暗示している。
竹の中で発見された娘は、なよ竹のかぐや姫と名付けられる。
「かぐや」とは、美しく光輝くという意味。
彼女の美が、月の光に由来することが、その名前からも示される。
数多くの男達から求愛されるが、その理由は全て彼女が美しいことにある。
帝が姫を追い求めるのも、「かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝聞こし召し」たからである。
このように、かぐや姫の属性として、美が徹底的に強調されている。
2)富み
富みに関して言えば、冒頭で、翁が竹藪に入り、黄金の入った竹を見つけるところから始まる。そして、「竹を取ること久しくなり、栄えにけり」と続く。
物語の最後の部分になると、姫を昇天させるために月から迎えに来た中で、王とおぼしき人が、富みの由来を翁に明かす。翁がわずかな功徳を施したので、彼を助けるために、長い間にわたり多くの黄金を与え、彼の身を変えた、つまり裕福にしたのだという。
竹の光が、姫の美と同時に、翁の富を予告し、月から来ていることを暗示している。こうしたエピソードから、そのことが明らかになる。
3)力
月と地上の絶対的な上下関係は、かぐや姫の昇天の場面で、彼女を守る地上の兵士たちと、月の使者たちとの力関係によってはっきりと示される。

兵士の数は2000人の上り、家人も含め、弓矢で武装した人々が、翁の家の中に立錐の余地もないほど密集している。
母親として姫を育ててきた嫗(おみな)は、納戸の中に籠もり、姫をじっと抱きしめている。
翁は、納戸の前に立ち、「かばかり守る所に、天の人にも負けむや」と言い、戦いに負けないという気概を示す。
しかし、天から雲に乗って迎えの一行が下りてくると、人々は、物の怪に襲われたような気分がして、立ち向かう気力が失われてしまう。そして、全く抵抗できない。
しかも、天の使いがかぐや姫に納戸から出てくるように言うだけで、戸が自然に開き、姫は外に出てしまう。
天と地の力の差は、絶対的なのである。
この力も、光と美と一体化している。
月からの使いが下りてくるのは子の刻、つまり真夜中のことだが、家の周りは昼よりも明るく光輝く。その明るさは、「望月の明さを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さえ見ゆるほどなり」と形容される。
また、空飛ぶ車の上に立っている人々の装束は、「きよらかなること、物にも似ず」と言われる。
4)浄土

美と富と力の地である月は、仏教用語で言えば、浄土だといえる。
浄土とは、一切の汚れや煩悩がない仏の国。
物語の中で浄土という言葉は使われていないが、他方で、地上に関しては「穢き所」と言われる。
月の一行の王は、納屋に身を潜めている姫に向かって、「かぐや姫、穢き所にいかでか久しくおはせむ」と言い、外に出てくるように促す。
不死の薬を姫に手渡す天人の一人は、薬を飲むように進めるとき、「穢き所の物聞こし召したれば、御心地あしかむものぞ」と、人間界にいることで気分が悪くなっただろうと話しかける。

その「穢き所」という表現は、仏教用語の「穢土(えど)」を連想させる。
穢土とは、穢(けがれ)に満ちた不浄な世界であり、迷いや煩悩に取り付けらた衆生の住む世界を指す。
そして、仏教思想は徹底した厭世観に基づいているので、世俗の世界を否定的に捉えて穢土とし、死後、浄土で魂の救済を得ることを理想とした。
『竹取物語』でも、かぐや姫が賤しい翁の住む穢き所に下されたのは、彼女が罪を作ったからだと説明される。そして、彼女の昇天は、「罪の限り果てぬれば」という理由による。贖罪が終わり、浄土に戻ることができるというのだ。
こうした仏教思想は、求婚者たちの挿話の場面で、すでにはっきりと示されていた。結婚の望む翁は、姫に向かい、彼女が実の娘ではないと告白し、彼女の身元をこう告げる。
「御身は、仏、変化(へんげ)の人」
つまり、かぐや姫は、人間の姿をしてこの世に現れた仏だと、翁によって明かされているのである。
このように考える場合、月は、かぐや姫が本来の姿を取り戻す浄土にほかならない。彼女は不浄な煩悩を消し去り、再び仏の国の住人となる。
ただし、それは姫の意に反して行われる。そして、そこに『竹取物語』の思想が示される。
世間
天と地の2段階構造の類似した構造が、地上の内部にもある。
天に対応するのは、帝の世界。地に対応するのは、翁の住む貴族の社会。
その上下関係は明確である。
1)帝
貴族たちに対する帝の命令は絶対である。
翁の家に派遣された家臣は、国王の命令をこの世に住む者であれば、絶対に承諾するはずだから、かぐや姫を帝に差し出すように強く言う。
その命令に従わない娘に対して、帝自身が翁に向かって、我が儘をそのままにしてはよくないと告げ、もし彼女を差し出せば、官位を与えると約束する。

それでも拒絶するかぐや姫に対し、最後は翁の家に入り込み、逃げる姫の袖を掴み、彼女を捉えて連れ去ろうとする。
こうした強引な姿勢が、絶対的な上下関係に基づいていることは明らかである。
さらに、天からの迎えが来るときには、翁の頼みに応じて、姫を守る兵士を2000人も派遣し、圧倒的な軍事力を誇示する。
力の点でも、天と対抗できるほどだとさえ思われるほどである。
しかし、天と帝との違いは、かぐや姫の態度によって明白になる。
彼女は決して天の命令に逆らうことはできない。しかし、帝にの求婚はきっぱりと拒否する。彼女は言う。「帝の召してのたまはむこと、かしこしとも思わず。」
帝に連れ去られそうになると、私はこの世のものではないと言い、一瞬のうちに影になってしまう。
このエピソードは、帝対貴族の絶対的上下関係を前提として、かぐや姫がその秩序からはずれていることを強く印象付けることになる。
2)貴族の世界

かぐや姫が帝に贈った和歌の一つには、宮廷と翁の住む世界との違いが、葎(むぐら)と玉の台という対比ではっきりと示されている。
彼女は、雑草が生い茂る荒廃した館で年月を過ごしてきたのだと言い、玉が光り輝く御殿を見ることなどできないとへりくだる。
そうした彼女が住む貴族世界には、煩悩が溢れている。
その典型は、5人の求婚者たちである。彼等は色好みと評判で、美しい娘がいると、思いが静まる時がなく、昼も夜も娘のもとに押し寄せる。「かぐや姫を見まほしうて物も食わず、思いつつ、かの家に行きてたたずみ歩きけれど、かひあるべくもあらず。」という始末。
石作の皇子は、目端の利く性格と言われるが、嘘つき。
車持の皇子は、はかりごとに長けていると言われるが、策略が見破られてしまう。
阿倍のみむらじは、裕福だが、利発さに欠け、富を無駄に使う。
大伴の御行は、勇敢ではあるが、南海と明石を混同し、冒険の結果得たものはスモモのような目の上のふくらみだけ。
石上のまろたかは、燕の産む子安貝ではなく、古い糞を取っただけ。しかも高く上げられた籠から落ち、命を落とす。
この5つのエピソードを通して、娑婆に生きる多様な人間模様が描き出されていることがわかってくる。
石作の皇子に対してかぐや姫は噓を暴き、返事の歌も返さない。それに対して皇子は言いあぐね、帰ってしまう。
車持の皇子の時には、姫は危うく騙されそうになる。しかし、枝の玉を作った職人たちのおかげで何を脱し、大喜びする。それに対して、皇子は恥を感じ、深い山の中に隠れてしまう。
次のエピソードでは、前の轍を踏まず、姫は最初から阿倍のみむらじの持ってきた火鼠の革衣が偽物だと見破り、それを焼かせて「あな嬉し」と喜ぶ。そして嫌みな和歌を贈ると、大臣は帰っていく。
大伴の御行になると、お宝探求の旅の苦難をかぐや姫のせいにして、彼女を罵り、家来たちには金品を与える。その一方で、姫を迎えるために追い出された元の奥方は、彼の愚かな行為を馬鹿にして大笑いする。

石上のまろたかだけは、姫から特別の扱いを受ける。彼の乗った籠の綱が切れる直前、彼が掴んだ物は「燕のまり置ける古糞」だった。それが貝ではないと知った石上の中納言は、病の床につくことになる。自分の失敗よりも、それを人に知られることが恥ずかしかったのだ。
恥という点では、車持の皇子と共通だが、しかし、かぐや姫は正反対の反応を示す。今度は大悦びするのではなく、まろたかを待っているという和歌を贈る。それに対して、まろたかも歌を返す。しかし、その後、あえなく死んでしまう。かぐや姫はその知らせを耳にし、「少しあはれと思しけり」だったと語られる。
なぜ失敗した石上のまろたかが、姫から好意を受けるのかは後で記すとして、ここで、和歌の贈答による男女の愛の兆しが描かれていることは明かである。
このように人間の世界は、噓や偽り、愚かな好意、苦悩、相手への嘲笑、恥等々、煩悩に溢れている。まさに、穢土なのだ。
しかし、この世には、人を慈しむ感情もある。
『竹取物語』では、その感情は親子の情愛と帝との恋のエピソードによって描き出される。

翁は小さな子どもを竹の中に見つけた時から、ずっと彼女を慈しみ、大切に育てる。
結婚を無理強いするように感じられる行動に関しても、平安時代であれば、親が娘を思うときに考える、自然な思いだっただろう。
21世紀の視点からすると、帝から官位と交換に娘を差し出すようにと言われ喜ぶ姿は、親のエゴに見える。しかし、娘の幸福のために、高位の男性との結婚をアレンジするのは、平安時代には、親の深い愛情の印だったはずである。
さらに深い情愛は、翁が姫に無理強いをしない点に見られる。五人の求婚者の時にも結婚を願うが、帝の時には、帝と姫の間を行き来しながら、姫の気持ちを優先的に受け入れる。どうしても宮廷行かなければならないのならば死ぬしかないと言い切る姫の言葉を聞き、翁は、姫の命の方が大切だからと、帝の要求を拒絶する。
姫が昇天する際には、彼女がいなくなることを考えるだけで年老い、髪が白くなり、腰も曲がり、眼もただれてしまう。
天人がかぐや姫を差し出すようにと命じるときには、ここにいる姫は別人だとか、重い病に罹っているとか口実を言い、なんとか彼女を留めおこうと試みる。
彼女が去った後は、血の涙を流して戸惑い、姫から贈られた不死の薬を飲もうとしない。

血の繋がった子どもではないとしても、手塩にかけた娘を思う痛切な感情が、翁を通して描き出されている。これもまた、この世に生きる人間の感情である。
親子の情愛と同様に人の心を強く動かすのは、恋愛感情である。平安時代でも、現代でもそれは同じ頃だろう。『古今和歌集』でも、季節の歌と並んで、恋の歌が多くの部分を占めている。
5人の求婚者の申し出には答えようとしたいかぐや姫は、帝とのやり取りを通して、恋とは何か学んでいく。
帝は最初、翁に姫を差し出すように命じる。姫がその要求に応じないと、「たいだいしくやは慣らはすべき」、つまり、そのようなもっての他のことに慣れさせていいものか、躾ができていないと翁を叱責。その上で、娘を差し出せば、官位を与えるという交換条件を出す。
それでも姫が拒絶すると、今度は翁の家に赴き、逃げる娘を無理矢理捉えようとする。
するとかぐや姫は、自分はこの国に生まれた者ではないと告げ、影になってしまう。
この時まで、帝とかぐや姫の間にあるのは支配・被支配の関係であり、情愛はない。

情愛が生まれるのは、姫が元の姿に戻った後からである。
帝は、彼女の拒絶にもかかわらず、「なほめでたく思しめさ」れ、翁の家を離れる時にも、「魂を留めたる心地」がする。こうした心の動きが、かぐや姫の恋に答える心を教えることになる。
そこで、あなたを残して帰るが辛いという歌を帝から贈られた姫は、その気持ちに歌で応える。
「葎(むぐら)はふ 下にも年は経ぬる身の 何かは玉の 台(うてな)をも見む」
草の生い茂る賤しいところで育った私が、どうして光輝く御殿を見ることなどできましょうかと言いながら、帝の思いに応えるのである。
こうした帝とのやり取りを通して、かぐや姫は恋という人間的な感情を学ぶことになった。
このように、世間では、いいにつけ悪しきにつけ、様々な人間的な煩悩が渦巻いている。
では、愚かさもあるが情愛ある世俗の世界を離れ、羽衣の天女のように美と不死の月へと戻ることを、かぐや姫は望むのだろうか。
浄土より世間がいい
かぐや姫は、罪を犯したため地上に下された。その後、20年以上の歳月をこの世で過ごしたために罪業が消え、月に戻ることができる。
しかし、姫は月からの迎えに抵抗し、翁たちと共に過ごしたいと懇願する。

月からの使者にとって地上は穢土であり、姫の態度は不思議に思われる。
「いざ、かぐや姫、穢き所にいかでか久しくおはせむ。」
どうしてこんな所に長く留まっていたいのかという疑問は、浄土での魂の救いを説く仏教的思考からすれば当然のことといえる。
もちろん、かぐや姫もその考えは理解し、月が浄土であることを理解している。その上で、彼女は煩悩に満ちたこの世に留まることを望む。その気持ちを翁に打ち明ける姫の言葉は、『竹取物語』の精神性を最も明確に表現している。
「かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ、思ふこともなく侍るなり。さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。」
月の人々は美しく、老いることがない。美と永遠がそこにある。
そして、物思いもしない。この世にいる限りつきまとわれる煩悩もない。仏教で言えば、解脱した状態。苦痛や老・病・死,愁い・悲しみ・喜・怒・哀・楽などから離れ、安らかな境地だといえる。
かぐや姫は、このことを知りながら、しかし、そんな所にいくのは「いみじく」ない、つまり嬉しくはないと言う。
そして、すぐにその理由を付け加える。
「老い衰え給へるさまを見たてまつらざらむこそ、恋しからめ。」

老い衰えるのは、彼女を育ててくれた翁と媼。その二人を見たてまつる、つまり世話をできなくなることが、心残りなのだ。
この言葉からは、この世では時間が流れ、全ては時と共に衰え、消滅することが示される。
そうした中で、人や物を慈しむ気持ちをかぐや姫は大事に思っているのだ。
感情のない月の姫が、20数年の時を地上で過ごす間に、人の情を理解するようになったのだといえる。

情の有無は、月の使者が持って着た羽衣のエピソードでスポットライトを当てられる。その羽衣を身にまとうと、「衣を着せられた人は、心変わりしてしまう。」
実際、かぐや姫が天人によって羽衣を着せかけられると、「翁をいとほしい、愛しと思しつることも失せぬ。」
そして、物思いもなく、迎えの車に乗って、昇天してしまう。
かぐや姫のこの変化は、世間の人情、恋や親子の情も含めた煩悩、苦しみと悦びもあるこの世の生を甘受することを好む傾向を明らかにする。
そして、こうしたかぐや姫の心持ちが、平安時代前期の日本的な感性を表現しているといえるのではないだろうか。

紀貫之によって書かれた『古今和歌集』の「仮名序」冒頭には、人の心の動きを歌うのが和歌であると記されている。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。 (中略) 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
和歌が歌うのは人の心だという言葉は、かぐや姫の「恋しからめ」という気持ちと対応している。そして、人の心は、自然の事物とも共鳴する。だからこそ、人は花鳥風月に気持ちを託す。
かぐや姫と帝も、心を通わせ始めると、歌を交換するようになる。そのテーマは、「木草につけても御歌を詠」むとあるように、自然を通して表現される心模様。
育ての親に対するかぐや姫の情愛は、昇天の時も、その後も、思いを抱いていて欲しいという強い願いで示される。
昇天の時には、翁に向かい、「心にもあれでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ」と願う。しかし、翁の方は、悲しくてとても見送ることなどできないから、一緒に連れていってくれと、逆に願う。
その言葉を聞いた姫は、戸惑い、恋しくなったら読んでくださいと言い、手紙を残す。その中には、「月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ。」と書かれている。

悲しい時に月を見る。そうした情緒は、大江千里の有名な和歌の中で見事に表現されている。
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
日本的な感性は、日常的な感覚世界、季節の移ろいに伴う感情の変化等を敏感に捉えることを特性としてきた。かぐや姫の言動は、その原形をはっきりと理解させてくれる。
一言で言えば、「もの思ふ」ことを愛する感性。
もの思いのない浄土は、どんなに美しくても、どんなに不老不死でも、魅力はない。穢土の方がいい。
そのことは、五人の求婚者たちのエピソードによっても暗示されていた。
彼等はみんな、この世にあるとは思えない超自然な物を探し求め、愚かさを暴露し、不幸な目にあった。

その中でも、車持の皇子が得ようとしたものは、「蓬莱の玉の枝」。
蓬莱とは、神仙思想において、仙人が住むと言われる理想の地。従って、彼の探求は、彼岸における解脱への修行とも考えられる。
彼の滑稽な失敗は、蓬莱を求めることの虚しさを暴露している。
石上の中納言は燕の子安貝を捕るのに失敗した。そにもかかわらず、かぐや姫は初めて心を動かす。その理由は、彼が貝ではなく、燕の古糞を掴んだからではないか。
『宇治拾遺物語』には、「四条の北なる小路に穢土をまる」とあり、穢土が糞を意味した。従って、石上の中納言は、俗世間(=穢土)に触れたことになる。
だからこそ、姫は彼の死に際して、「少しあはれと思しけり」と感じたに違いない。
かぐや姫は、穢土で物思いにとらわれる悦びを、こうして学んでいったのだった。その結果は、帝に別れを告げるために書かれた和歌の中で、見事に表現されることになる。
今はとて 天の羽衣 着るをりぞ 君をあはれと 思ひ出でける
「あはれ」こそ、もの思いの中でも最も重要な心持ちであり、姫が情を失う直前に感じた最後の感情である。
富士の煙
『竹取物語』は、かぐや姫の振る舞いを通して、月よりも地上に惹かれる人々の心持ちを描いている。
羽衣が情を消滅させ、かぐや姫を薄情にすることは、その一つの表現である。
天人がもたらしたもう一つの品、不死の薬は、その点をさらに強調する。
姫から不死の薬を贈られた翁も帝も、それを飲もうとはしない。二人とも、かぐや姫に会えないとしたら、この世で生きながらえても意味はないと考えるからである。その心は、帝の読んだ歌に込められている。
逢ふことも 涙に浮かぶ わが身には 死なぬ薬も 何にかはせむ
かぐや姫に会うことができなくなり、涙にくれている。不死の薬など何の役に立つのか。こう歌う帝は、姫の手紙と一緒に、不死の薬を富士山の頂上で燃やす決心をする。

帝が家臣に最初に聞いたのは、どの山が天に一番近いかということ。答えは、「駿河の国にあるなる山」。
そして、帝の命令に従い、大勢の兵士たちが山の頂に上り、手紙と不死の薬を燃す。
それにちなみ、その山を「富士の山」と名付けたという。
一般的には、「ふし(不死)」から「ふじ(富士)」が来ていると考えるのが普通だろう。
しかし、『竹取物語』の精神は、不死を揶揄する方向に働く。「ふし」の由来を別の意味へと導くのである。
帝は山に行き、手紙と薬を焼くように命じる。
そのよし承りて、士(つわもの)もあまた具して山に登りけるよりなむ、その山を「富士の山」とは名付けける。
富士という名前は、士が数多く登ったこと、つまり士が富んだことから来ているというのである。

山が天の最も近いところにあり、そこで不死の薬を焼くという物語が続けば、読者は自然に、富士=不死という連想に導かれる。その期待をはぐらかすユーモアに富む語り口は、天ではなく、地上を好む心性を、皮肉な形で表現していると考えてもいいだろう。
そして、最後にこう付け加えて、物語を終える。
その煙、いまだ雲の中へ立ち上るとぞ言ひ伝へたる。
平安時代、富士山はしばしば噴火を繰り返していたという。従って、その頂上から、煙が立ち上る姿は、しばしば目にされた光景かもしれない。
後の時代、西行法師の和歌も、富士の煙を歌っている。

風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくへもしらぬ わが思ひかな
この儚さに日本的な美を感じるとしたら、かぐや姫の手紙と不死の薬を燃やした煙は、その先駆的な美といえないだろうか。
月は、永遠の美の表現。
富士山から立ち上る煙は、この世の儚さにあはれを感じる美の表現。
そのように考える時、この世に留まることのできないかぐや姫も、富士の煙と同様の美を体現していると考えことができる。

日本的な感性は、仏教の影響を受けながらも、その超越性や彼岸思想を換骨奪胎し、現実主義的で、実利的、具体的な感覚世界への好みを示してきた。
言い換えると、日本において、仏教は、死後の魂の救済を説く以上に、現世利益をもたらすものとして受け入れられた。無病息災、豊作の祈願、国家の安泰等々が祈りの対象であり、神仏習合の中で、世俗化した形で、人々の中に浸透してきた。
浄土を口にしたとしても、実際には、この世の喜怒哀楽に身を委ね、季節の移ろいに心を楽しませる。そうした中で、感覚を洗練させ、繊細な美を敏感に感じ取る感性を養ってきた。
『竹取物語』は、そうした日本的な感性が成立しつつあった時代における、穢土礼賛宣言と言ってもいいだろう。
かぐや姫の美は、月から地上へ移された。その映像は、富士山から立ち上る煙として定着する。
それは私たちが感じる日本的な美の原型である。
「『竹取物語』と日本的心 かぐや姫は月より地球が好き 」への4件のフィードバック