ギュスターヴ・フロベール 「ボヴァリー夫人」 シャルルの死 3/3 Flaubert, Madame Bovary, la mort de Charles 3 / 3

ロドルフと会った翌日、シャルルは庭のブドウ棚に行き、ベンチに座る。
その時の様子を、フロベールは淡々と描写する。花が香り、虫が飛び回り、空は青い。穏やかな一日。
そんな中、シャルルはある想いに捉えられる。

Le lendemain, Charles alla s’asseoir sur le banc, dans la tonnelle. Des jours passaient par le treillis ; les feuilles de vigne dessinaient leurs ombres sur le sable, le jasmin embaumait, le ciel était bleu, des cantharides bourdonnaient autour des lis en fleur, et Charles suffoquait comme un adolescent sous les vagues effluves amoureuses qui gonflaient son cœur chagrin.

翌日、シャルルはブドウ棚の下にあるベンチに座りに行った。何本かの光線が格子を通っている。ブドウの葉が砂の上に影を描いている。ジャスミンが香り、空は青い。スペインバエが百合の花のまわりでブンブンと音を立てている。シャルルは若者のように、朧気な恋愛感情の蒸気に包まれ、息を詰まらせていた。悲しみに満ちた心を膨れ上がらせる、あの蒸気だ。

Cantharide

日に照らされた庭の情景は、幸福感に満ちている。
しかし、シャルルの心は悲しみで一杯になり、息を詰まらせる。なぜなら、そこに欠けているものがあり、それこそが彼の最も求めるものだから。
フロベールは、その不在のものを名指すことはしない。その代わり、シャルルから発散される雰囲気を言葉にする。「朧気な恋愛感情の蒸気(les vagues effluves amoureuses)」。

その感情は、エンマの一生を満たし続けていたものに他ならない。そのために、彼女には凡庸としか見えないシャルルを裏切り、レオンやロドルフとの恋愛に走ったのだった。

その感情を、今、シャルルは感じ、やっとエンマの感情を共有するところまでたどり着く。
しかし、その時、エンマはいない。

À sept heures, la petite Berthe, qui ne l’avait pas vu de tout l’après-midi, vint le chercher pour dîner.
Il avait la tête renversée contre le mur, les yeux clos, la bouche ouverte, et tenait dans ses mains une longue mèche de cheveux noirs.
— Papa, viens donc ! dit-elle.
Et, croyant qu’il voulait jouer, elle le poussa doucement. Il tomba par terre. Il était mort.
Trente-six heures après, sur la demande de l’apothicaire, M. Canivet accourut. Il l’ouvrit et ne trouva rien.

7時になり、午後の間ずっと彼を見なかった幼い娘ベルトが、夕食に彼を呼びに来た。
彼の頭は壁に向かってひっくり返り、目は閉じ、口は開いている。手には黒い髪の長い房。
「パパ、来て!」と彼女は言った。
そして、彼が遊んでいるのだと思い、ゆっくりと体を押した。彼は地面に倒れた。死んでいた。
36時間後、薬剤師の求めで、カニヴェ先生が駆けつけた。彼を解剖したが、何も見つからなかった。

シャルルの死を告げるこの一文でも、フロベールの文体的な工夫が見られる。
ベルトが彼を夕食のために呼びに来たという時から、一度もシャルルという固有名詞を使わず、ずっと彼(Il, le)という代名詞でしか現さない。
ちょうどエンマを指す時、いきなり彼女(elle)と言っても、それが誰だかわかるように、最後はシャルルも「彼」だけで読者に分かってもらえる存在になった。

医師のカニヴェは、イポリットの足の手術の時も、エンマの死の時も、スイスのヌシャテルから呼ばれていた。そこで、シャルルの死に際しても、薬剤師のオメーはカニヴェに来てもらい、解剖を依頼する。

Il l’ouvrit et ne trouve rien.
彼(カニヴェ)は彼を開いた。そして何も見つけなかった。

これが、『ボヴァリー夫人』の中で、シャルルに言及した最後の言葉。
文字通り受け取れば、エンマのように毒を飲み死んだのではなく、自然死だという意味になる。

別の理解として、次の様に考えることができるかもしれない。
フロベールは、この作品を、「無を主題にした本」(C’est un livre sur rien.)にしようとした。その無(rien)がシャルルの中にあったとしたら、『ボヴァリー夫人』の隠れた主人公はシャルルである、と。

妻から凡庸で退屈と見下され、その結果、後の時代の読者、さらにはフロベールを専門とする研究者たちからも、エンマが退屈するのも無理がないつまらない男と決めつけられるシャルル。
解剖しても何も見つからないシャルル。
エンマのようなロマン主義的な感性の時代は終わり、次の時代の感性が生成しつつある19世紀半ば。新しい時代の核となるのは、シャルルの内包する「無(rien)」だとフロベールは暗示しているのかもしれない。

小説の最後、エンマもシャルルもいない。二人の娘のベルトも町からいなくなり、最後に残るのは、薬剤師のオメーだけになる。

Quand tout fut vendu, il resta douze francs soixante et quinze centimes qui servirent à payer le voyage de Mlle Bovary chez sa grand-mère. La bonne femme mourut dans l’année même ; le père Rouault étant paralysé, ce fut une tante qui s’en chargea. Elle est pauvre et l’envoie, pour gagner sa vie, dans une filature de coton.
Depuis la mort de Bovary, trois médecins se sont succédé à Yonville sans pouvoir y réussir, tant M. Homais les a tout de suite battus en brèche. Il fait une clientèle d’enfer ; l’autorité le ménage et l’opinion publique le protège.
Il vient de recevoir la croix d’honneur.

FIN

  全ての物が売り払われた後で、残ったのは12フラン75サンチームだけだった。そのお金は、ボヴァリー嬢が祖母のところに行く旅費として使われた。おばあさんはその年に亡くなった。ルオー爺さんは体が麻痺していたので、一人の叔母が彼女を引き取った。叔母は貧しく、生活費を稼ぐために、彼女を製糸工場に行かせた。
  ボヴァリーの死後、三人の医者がヨンヴィルの町にやって来たが、誰も成功しなかった。オメーが彼等をすぐに打ち負かしたからだ。彼は恐ろしいほどのお客を獲得している。行政が彼を優遇し、世間も彼を守っている。
  彼は、最近、勲章を受章した。

          終わり

物語は一気にスピードを上げる。
まずベルトの身の上が語られる。彼女はシャルルの両親の許にやられるが、奥さんがすぐに死んでしまい、夫は体が麻痺しているので、一人のおばさんのところに行くことになる。そのおばさんは貧しいため、ベルトは製糸工場で働くことになる。
町医者ではあるが、召使いのいた生活から、工場の労働者へ。19世紀後半にエミール・ゾラが描いた社会に、彼女は生きることになる。

その一方で、ブルジョワ階級の代表者であるオメーは、町にやって来る医者を次々に廃業に追い込み、最後には勲章を受章する。
この有名な結末の中でも、お客獲得から受賞までは、動詞は現在形が使われ、(il fait une clientèle… l’autorité le ménage… l’opinion le protège… il vient de recevoir…)、現実感を強く生み出している。
つまり、物語の中の出来事と、読者の今が一続き、という印象が作り出される。
そして、読者は、この結末に、やりきれない気持ち、虚しさを感じるだろう。
エンマの長い精神的彷徨、シャルルの死に続くのが、オメーの受賞か、と。

その虚しさは、解剖されたシャルルから何も見つからなかったという、その時の何もない(rien)とつながる。
つまり、シャルルの死後の出来事は、全て、何もない(rien)のだ。

このような視点に立つと、『ボヴァリー夫人』の中心にいるのはシャルルではないか、とさえ思えてくる。
最後の最後までエンマを愛し続ける一見凡庸な夫は、その虚しさ(rien)ゆえに、新しい時代を告げている。

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