デカルト 『方法序説』 我思う、故に我在り Descartes Discours de la méthode « Je pense, donc je suis.» 2/2

デカルトは、『方法序説』の第4部に至り、思考の第一原理となる表現に達する。
「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」。

誰もが知っているこの言葉が何を意味しているか考えてみることは、テレビやネット上で様々な意見(opinions)が行き交っている現代において、大きな意味を持つ。

Quatrième Partie

Je ne sais si je dois vous entretenir des premières méditations que j’y ai faites ; car elles sont si métaphysiques et si peu communes, qu’elles ne seront peut-être pas au goût de tout le monde : et toutefois, afin qu’on puisse juger si les fondements que j’ai pris sont assez fermes, je me trouve en quelque façon contraint d’en parler.

              第4部

私は、これまで行ってきた最初の思索を語るべきかどうかわからない。なぜなら、それらは大変に形而上学的で、あまりにも一般的ではないため、全ての人の好みではないと思われるからだ。しかし、私が選んだ基礎がしっかりしているかどうか判断してもらうためには、そうしたことも話さないといけないように感じている。

デカルトは、哲学的で、抽象的な思索が、一般の読者には受けないことを理解している。
しかし、それでもあえて筆を進めるのは、自分の思想の根本となることを読者に伝えるためであると言う。

J’avais dès longtemps remarqué que pour les mœurs il est besoin quelquefois de suivre des opinions qu’on sait être fort incertaines, tout de même que si elles étaient indubitables, ainsi qu’il a été dit ci-dessus : mais pour ce qu’alors je désirais vaquer seulement à la recherche de la vérité, je pensai qu’il fallait que je fisse tout le contraire, et que je rejetasse comme absolument faux tout ce en quoi je pourrais imaginer le moindre doute, afin de voir s’il ne resterait point après cela quelque chose en ma créance qui fût entièrement indubitable.

ずっと以前から気づいていたことがある。実際の生活の習慣については、様々な意見があり、それらが非常に不確かだと知っていても、あたかも疑いを入れない意見であるのと同じように、従う必要がある時もある。そのことについてはすでに述べた通り。しかし、私は真実の探求に向かう望みを持っていたので、逆の行動を取り、ほんの僅かでも疑いを抱いたことに関しては、絶対的な誤りとして拒絶する必要があると考えた。そうすれば、自分が信じることができ、まったく疑う余地のない何かが残っているかどうか、知ることができるはずだ。

デカルトは、様々な国、様々な地方で、違う習慣(les mœurs)を観察し、土地毎に根付いた慣習があることを知っていた。そして、実際の生活では、彼自身の習慣を優先させるのではなく、土地の習慣に従って行動することが知恵だと考え、そのように振る舞った。

しかし、真実を探求する(la recherche de la vérité)時には、その場その場の習慣や意見(opinions)は不確かで、根拠がないことも知っていた。違う場所では違う習慣があり、違う意見が正しいとされるとしたら、絶対的に正しい行動や考えは何か、問いたださないといけないことになる。

21世紀の社会は、こうした姿勢をデカルトから学ぶ必要があるだろう。
現代は、テレビでもネット上でも、様々な意見が溢れている。意見とさえ言えない、感想や思いつきを根拠なく発言することも多く見られる。
しかも、それらが自分の心情に合っていれば、真偽を確かめずに受け入れてしまう。逆に、気に入らない意見の場合には、発言者を攻撃することもある。
根拠を問わず、正しいかどうかも確認せず、発言し、反応する傾向。
デカルトは、そうした行動様式が、真実の探求とは相容れないものであると述べている。

Ainsi, à cause que nos sens nous trompent quelquefois, je voulus supposer qu’il n’y avait aucune chose qui fût telle qu’ils nous la font imaginer ; et parce qu’il y a des hommes qui se méprennent en raisonnant, même touchant les plus simples matières de géométrie, et y font des paralogismes, jugeant que j’étais sujet à faillir autant qu’aucun autre, je rejetai comme fausses toutes les raisons que j’avais prises auparavant pour démonstrations ; et enfin, considérant que toutes les mêmes pensées que nous avons étant éveillés nous peuvent aussi venir quand nous dormons, sans qu’il y en ait aucune pour lors qui soit vraie, je me résolus de feindre que toutes les choses qui m’étaient jamais entrées en l’esprit n’étaient non plus vraies que les illusions de mes songes.

そのようにして、私たちの五感は時に私たちを騙すことがあるので、次のことを前提にすることにした。いかなるものも、五感が私たちにそのように見せるようなものではない。理性を使って考えながら、幾何学の最も単純な素材に関してさえ誤解する人たちがいるし、誤った推論をする人たちもいる。そこで、私自身も他の人たちと同じように過ちを犯すことがあると判断し、それまでずっと証明されていると考えてきた全ての論理を誤りとし、捨てることにした。最後に、私たちが目覚めている時に持っている考えの全ては、眠っている時にもやって来るし、それらのどれ一つ真実であるとはいえない。その結果、精神の中に入ってきた全てのことは、夢で見た幻想と同じように真実ではない、と考えてみることにした。

20世紀後半から21世紀のフランス語では、構文はもっと単純なものが好まれる。従って、デカルトの文は複雑で、難しいと感じられるかもしれない。
『方法序説』が出版されたのは、1637年。日本で言えば、関ヶ原の戦いが1600年。徳川幕府の成立が1603年で、江戸時代が始まる。参勤交代が確立したのが1635年頃。
その時代のフランス語の文章、しかもデカルトのフランス語を、現在のフランス語の知識で読むことが出来る!
そのように考えると、少し苦労したとしても、『方法序説』を原文で読む喜びを感じられるのではないだろうか。

デカルトがここで述べていることは、一言で言えば、全てを疑い、一旦全てを偽りだと見なすというにすぎない。
そして、その疑いを、1)五感、2)幾何学、3)全ての思考、という3つの分野に適用している。

その意味で非常にクリアーで単純なのだが、しかし、21世紀の読者にとっては、文章が長く、繋がりが明確とはいえなくなっている。
主文に、接続詞節や現在分詞構文が付け加えられ、論理の展開を追うことができないと、構文がわかり難くいことが、その理由である。

À cause queに続く文の主語と動詞は、« je voulus supposer ».
それ以前に、理由を示す« à cause que … »が置かれ、動詞supposerの後ろには目的節となるque以下の文が続いている。

parce que以下の文の主語と動詞は、« je rejetai ».
parque que以下、paralogismesまで、理由を示す文。
Jugeant que からqu’aucun autreまでは、二つ目の理由を示す文。

Enfinの後は、3)の、全ての思考を偽りだと見なす部分。
主語と動詞は、je me résolus de feindre.
considérant から qui soit vraieまでが、理由を示す文。
Feindre que以下が、動詞feindreの目的節。feindreは、ここでは、そのように考える振りをする、くらいの意味。

Mais aussitôt après je pris garde que, pendant que je voulais ainsi penser que tout était faux, il fallait nécessairement que moi qui le pensais fusse quelque chose ; et remarquant que cette vérité, je pense, donc je suis, était si ferme et si assurée, que toutes les plus extravagantes suppositions des sceptiques n’étaient pas capables de l’ébranler, je jugeai que je pouvais la recevoir sans scrupule pour le premier principe de la philosophie que je cherchais.

その後ですぐに、次のことに注意した。全てが偽りであると考えようとしている間、そのように考えている私は、何らかのものであるに違いない。そして、次の真理、「我思う、故に我在り」は、非常に堅固で確実なので、懐疑論者たちのあらゆる馬鹿げた推測も、この真理を揺るがすことはできない。そこで、私は最終的に次のように判断した。私はその真理を、私が探し求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れることができる。

真実は何かを知るために、まずは全てを疑ってみる。その時、疑いを抱きながら考えを進めている私は、否定することができない。考えている私は存在している。私の存在を保証するのは、考えることであり、それが「我思う(je pense)、故に(donc)我在り(je suis)」と表現の意味することになる。

『方法序説』の冒頭を思い出すと、「良識(よき感覚)は、この世でもっともよく分かち持たれているものである。」と記されていた。そして、その良識が、理性と同じものだった。

デカルトの論理では、考えることの母体がまさに理性であり、それが真理探究の第一原理となる。

Nicolas Poussin, Les Bergers d’Arcadie (Et in Arcadia ego)

実は、デカルト自身は、この原理から出発して、人間の理性を何よりも上に置き、理性中心主義を主張したわけではない。
彼は、「考える我(je qui pense)」は現象世界の中で有限なものであり、それを知った上は、自らのうちに無限なるものの観念が必要であると考えた。
その無限なるものの観念とは、神の観念である。
彼はキリスト教の中に生き、有限な人間が無限な神という存在を生み出すことはできない、従って、神は存在する、という主張をしたのだった。

しかし、デカルト的な理性主義は、様々な事物や事象を理性によって判断する、科学的思考法の基礎となった。
言い換えると、理性を中心にして、以下の4つの段階で考えて行く思考が、真理の判断方法として採用された。(この方法は、『方法序説』の第2部に記されている。)
1)明らかに正しいと知っているものだけを受け入れ、即断や先入観を避けること。つまり、実証的に確認されたものを前提にすること。
2)問題を細かく分けること。つまり、分析すること。
3)秩序立てて物事を考えること。単純なことから始め、段階を踏んで最も複雑なものに至ること。つまり、総合すること。
4)何も見落とすことなく、再点検すること。つまり、再確認すること。

こうした論理的思考法は、17世紀以降の世界観の基礎となり、哲学だけではなく、科学と芸術を含む全ての分野に決定的な影響を与えた。

現代においては、オピニオンの発信が至るところで行われている。その時、オピニオンの根拠を問い、真実へと至る道を探るデカルト哲学の基礎を思い出すことは、社会の安定のためにも必要なことだろう。

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