猫の詩人 シャルル・ボードレール  Charles Baudelaire, poète des chats その2 「猫」 Le Chat

『悪の華(Les Fleurs du mal)』の51番目に置かれた「猫(Le Chat)」は、愛人だったマリー・ドブランのご機嫌をとるため、ボードレールが彼女の猫を歌った詩だと考えられている。

全体は2つの部分からなり、第1部は6つの四行詩、第2部は4つの四行詩で構成される。
全ての詩句は8音節で、韻は、抱擁韻(ABBA)。非常に軽快で、心地良い詩句が続く。

ボードレールはこの詩の中で、猫の魅力を最大限に歌う。

      Le Chat

        I

Dans ma cervelle se promène
Ainsi qu’en son appartement,
Un beau chat, fort, doux et charmant.
Quand il miaule, on l’entend à peine,

Tant son timbre est tendre et discret ;
Mais que sa voix s’apaise ou gronde,
Elle est toujours riche et profonde.
C’est là son charme et son secret.

      猫

      I

ぼくの頭の中をあちこち歩き回る、
ちょうどアパートの中のように歩く、
美しい猫。逞しく、優しく、魅力的。
ミャーと鳴いても、ほとんど聞こえない。

そのくらい、その子の声は優しく、慎ましやか。
しかし、声を低め、ゴロゴロ言うと、
豊かで深みがある。
それが、この子の魅力。この子の秘密。

ボードレールは、猫の鳴き声に特別にひかれていたらしい。
miaulerは、猫のミャーという鳴き声のオノマトペ(擬音語)とも言える。
そんな時の声は、穏やか(tendre)で、慎ましやか(discret)。
声(voix)を低め(s’apaiser)、ゴロゴロ言う(gronder)時には、豊かで(riche)、深みがある(profond)ように聞こえる。

8音節の詩句は軽快で、時には第3詩行のように、« Un beau chat,/ fort, /doux /et charmant.»とさらに細かく分割され、リズミカル。

第5詩行では、« Tant son Timbre est Tendre »と[ t ]の音が反復し、次に、[ s ]の音が、« diScret … Sa voix S‘apaise »の中で反復する。こうした子音の反復(アリテラシオン)も巧みに配置され、詩句を軽快にしている。

こんな詩句を耳にすれば、猫好きの人なら誰でも、心を和らげ、微笑みたくなるだろう。

Cette voix, qui perle et qui filtre
Dans mon fonds le plus ténébreux,
Me remplit comme un vers nombreux
Et me réjouit comme un philtre.

Elle endort les plus cruels maux
Et contient toutes les extases ;
Pour dire les plus longues phrases,
Elle n’a pas besoin de mots.

この声は、玉を転がす声のように、入り込んでくる、
とても暗いぼくの奥底に、
そして、ぼくを満たす、音節の多い詩句のように、
そして、ぼくを喜ばせる、媚薬のように。

この声は、最も残酷な痛みさえも眠らせ、
あらゆる恍惚感を内蔵している。
長々とした文を語るために、
言葉を必要とはしない。

詩人は、猫の声の持つ力を説明し始める。

perlerという動詞は、音楽用語としては、トレモロやルラードなどの装飾音に最後の仕上げをするという意味だが、元々はperle(真珠)から来ている。
そこからの連想で、玉を転がすような声、つまり高く澄んで美しい声をイメージさせる。

そんな声が、詩人の暗い心の中(mon fonds le plus ténébreux)に入り込むと、詩人は幸せな気分になる。
どんな暗い気分の時でも、猫の声を聞くと、心が和らぎ、喜びを感じる。
その効果は、詩人にとって、音節数の多い詩句(un vers nombreux)や愛の媚薬(philtre)と同じだという。

さらに詩人は続ける。
猫の声は、もっとも酷い痛みや苦しみを和らげ、恍惚感を生み出してくれる。
この声を聞けば、長々しい話をして、言葉を費やす必要もなくなる。

Non, il n’est pas d’archet qui morde
Sur mon coeur, parfait instrument,
Et fasse plus royalement
Chanter sa plus vibrante corde,

Que ta voix, chat mystérieux,
Chat séraphique, chat étrange,
En qui tout est, comme en un ange,
Aussi subtil qu’harmonieux !

どんな弓も、これほどしっかりととらえるものはない、
ぼくの心、完璧な楽器を。
これ以上堂々と、
この上なく響きのいい弦を歌わせてくれるものはない、

お前の声ほど。神秘の猫、
天使のような猫、奇妙な猫よ。
お前の中には、全てがある、天使の中に全てがあるように。
繊細で、ハーモニーに満ちた猫よ。

ボードレールは、猫の声が持つ力を強調するために、一般的な詩法の原則を破り、2つの詩節にまたがる詩句を作り出す。

フランス詩は、音節の区切れに意味が対応するのが基本であり、一行の詩句の中でも意味の区切れと対応することが原則である。
ボードレールは、その原則を逆手に取り、弦楽器の弓(archet)と比較の対象になるもの、つまり猫の声を、次の詩節に冒頭まで隠しておく。
Il n’est pas d’archet …
Que ta voix…
お前の声よりも・・・な弓はない。
これほど猫の声を強調することができないと言えるほど、この詩句は見事に構成されている。

猫の声が弓だとすると、「私」の心は楽器。
猫という弓が、私の心の弦を鳴らす。

第6詩節では、猫に対する呼びかけが続き、神秘的(mystérieux)、天使のよう(séraphique)、奇妙(étrange)、繊細(subtil)、ハーモニーに満ちた(harmonieux)という属性が示される。

これだけ魅力的に描かれれば、猫もさぞ満足したことだろう。


第2部では、まず香りの思い出を語るところから始める。

        II

De sa fourrure blonde et brune
Sort un parfum si doux, qu’un soir
J’en fus embaumé, pour l’avoir
Caressée une fois, rien qu’une.

この子の金色と褐色の毛皮から
発する香りはとても穏やかで、ある夕べ、
私は香りに満たされたことがあった。その子を
一度愛撫した時、たった一度だけ。

embaumerは香りで満たすという意味だが、その核にあるbaumeはバルサムによる心痛剤の意味もあり、心の慰安をもたらす作用を持つ。
従って、ここで「私」がかつて香り(parfum)に満たされたことがあったという時、それは心が満たされた思い出を語っていることになる。

その思い出をあえて単純過去形(j’en fus embaumé)で語るとしたら、今の自分との断絶を強調することで、今の「私」が何を求めているのか暗示していることになる。

C’est l’esprit familier du lieu ;
Il juge, il préside, il inspire
Toutes choses dans son empire ;
Peut-être est-il fée, est-il dieu ?

その子は、この場所にいつもいる精霊。
裁きを行い、支配し、命を吹き込む、
帝国の全てのものに。
妖精なのか、神なのか。

詩人は、猫を、自分と愛する人の生活の場(lieu)を見守る精霊(esprit)、あたかも家族の守り神のようだと歌う。
その猫が、全てのものに命を吹き込む(inspirer)のであり、二人の関係を支配し(présider)、言い争いがあれば、どちらが正しいか決めてくれる(juger)。

「妖精なのか、神なのか。」という詩句は、ラ・フォンテーヌの「彫刻家とジュピターの像(Le Staturaire et la statue de Jupiter)」を参照しているらしい。
ある彫刻家が、素晴らしい大理石を手に入れて、何を作ろうかと思案する。その時の言葉が、「神か、机か、鉢か(Sera-t-il dieu, table, ou cuvette ?)」。

家の守り神である猫が判断すれば、マリーも機嫌を直さないといけない。ボードレールはそんなことを頭に描いて、詩句を綴ったのだろう。

Quand mes yeux, vers ce chat que j’aime
Tirés comme par un aimant,
Se retournent docilement
Et que je regarde en moi-même,

Je vois avec étonnement
Le feu de ses prunelles pâles,
Clairs fanaux, vivantes opales,
Qui me contemplent fixement.

私の目は、大好きな猫の方に、
磁石に引き寄せられるように引かれていたが、
今、従順に振り返り、
私は自分の中をじっと見る。

驚いたことに、その時目に入るのは、
猫の青白い瞳の炎。
明るいランプ、生き生きとしたオパール、
私をじっと見つめている。

最後に、ボードレールは、一つの展開を準備した。
私の目は猫から、自分の内面へと向かう。
その時の様子を「従順に(docilement)」と表現するのは、猫に向けられていた時の磁力の強さを逆接的に示している。
彼は猫を愛し(aimer)、猫に目を向けるときには、恰も磁石(aimant)に引き寄せられるよう。母音[ ai ]の反復(アソンアンス)と子音[ m ]の反復(アリテラシオン)によって、音としても愛=磁力の強さが表現されている。
それにもかかわらず、詩人は猫から目を離し、自分を見る。その時、普通であれば、「嫌々ながら」となるはずなのに、「従順に」と振り向く。
何故か?

その理由が最後の詩節で明らかになる。
自分の中に、大好きな猫の瞳(prunelles)が見えてくるのだ。
しかも、その瞳は、明るいランプ(clairs fanaux)でも、生き生きとしたオパール(vivantes opales)でもあり、「私」を凝視する(contempler fixement)。

私の目は私を見ることが決してできない。私を見るためには、鏡が必要になる。
としたら、私を見るための鏡は、ここでは、愛する猫の目しかない。
私が自分を見るために振り返ると書かれるとしても、実は、猫の眼をじっと見つけ、そこに映る自分を見つめているのではないか。
そして、その眼差しには猫が映っている。
そして、私の目に映る猫の目には私が作り・・・・。
こうして、鏡像は永遠に続く。

このようにボードレールは、猫をじっと見つめ、猫を内面化する。
そのことで、詩人の中に猫の存在が定着し(fixer)、その猫が愛する女性の飼い猫だとすれば、その女性は猫を内在化する詩人を愛することにつながる。

この「猫」の詩は、こうした仕組みを持った恋愛詩だと考えることができる。

最後にもう一度全体の詩句に耳を傾けてみよう。

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