ジェラール・ド・ネルヴァル 「10月の夜」ユーモアと皮肉 Gérard de Nerval « Les Nuits d’Octobre » humour et ironie 5/5

『イリュストラシオン』誌1852年11月11日に発表された「10月の夜」の連載5回目の記事。(最終回)

モーでメリノの髪の女性の出し物を見、その影響で変な夢を見た後、語り手は再びその出し物について語る。
その過程で、彼が語ることが実際にあったのか、それともなかったのかといったこと等、言葉と現実の関係について考察しながら、面白可笑しく体験談を綴っていく。

ネルヴァルの想定していた読者は、同じ話題を共有し、ツーカーで話が通じる人々。そのために、21世紀の日本の読者には馴染みのないことも多く出てくる。従って、たくさんの注をつける必要が出てくるが、ネルヴァルの語りの面白さ(ユーモアと皮肉)を感じるためには、知らないことは知らないこととして、彼の語りについていくのが一番。

イタリアの芸人の言葉に対するチェックは、音に対するネルヴァルの繊細さを示す。
監獄の牢番と彼の妻、モーからクレピ・アン・ヴァロワへ向かう時に彼を連行する警官たち、クレピの市長。彼等と語り手の言葉のやり取りは、エスプリに飛んでいる。
最後に、レアリズムに関する批判的な言葉が付け加えられる。

21.メリノの髪の女

・・・。ここで止めておこう。 ―― ‘レアリスト’の仕事は実行するのがとても難しい。チャールズ・ディケンズの雑誌記事を読んだのが、こんな一貫性のない記事の原因だった!・・・ 低い声が、ぼくに向かって、我に返るように促している。

ぼくは、パリや‘マルヌ県’の新聞の下の方から、雑報を一つ取り出していた。その記事から奇妙な想像力に対する呪いの言葉が吹き出ているし、それはもっともなこと。というのも、そうした想像力が今流行りの‘真実派’を作り挙げているからだ。

同じ運動は1830年直後にもあったし、1794年の後にも、1716年の後にも、その前の色々な年代の後にも存在していた。人々の頭は、政治的な決まり事や小説の規則に疲れると、とにかく‘真実’を望んできた。

ところで、真実とは偽りである。―― 少なくとも、芸術において、そして詩においては。『イーリアス』ほど偽りのものがあるだろうか。『アイネイアス』ほど、『解放されたエルサレム』ほど、『アンリアッド』ほど、―― そして、悲劇や小説ほど、偽りのものがあるだろうか。。。

「えーと」と批評家氏が言う。「私は偽りを好む。あなたが自分の生活を一コマ毎に物語り、夢や印象や感覚を分析したとして、読者の私は楽しいだろうか・・・。あなたが本当にヴァロワ経営の宿屋シレーヌに泊まったかどうかなど、どうでもいいのではないだろうか。それは真実ではないとか、 ―― 手が加えられているとか、推測もできる・・・。あなたは私に、そこに行って見てくるようにと言うかもしれない・・・。でも、私はモーに行く必要はない! ―― その上、もし同じことが私の身に起こるとしても、落ち着いて、そうした話でみんなを楽しませることはできないだろう。

それに、まず第一に、メリノの髪をした女性の存在をみんなが信じるだろうか。」

―― ぼくは信じないといけない。ポスターに予告されている以上に。ポスターは‘存在してる’。しかし、その女が存在しないことも可能・・・。しかしどうだろう! 芸人が書いたのは、本当のことだけだった。

上演は予定の時間に始まった。かなり太っているけれど、まだ青二才の男が、フィガロの服を着て登場した。テーブルは一杯だった。モーの人達もいれば、第六連隊の兵隊たちもいた。」

モンタルド氏が、 ーー 実際に彼だった ーー 慎ましくこう言った。「みなさま、ごれがら、びなざまに、フィガロの素晴らしいアリアを聴いていただきます。」

彼が歌い始めた。「トラ ドゥ ハ ラ、ドゥ ハ ラ、ドゥ ハ ラ、アー!・・・」

彼の声は少し衰えていたが、まだ心地良いもので、ファゴットが伴奏だった。

次の歌詞まできた。「ラフゴ アル ファトートゥム デラ チータ!」 ―― それを聞いて、ぼくはあえて、一つ指摘しておいた方がいいと思った。彼がチータと発音したからだ。で、ぼくは大きな声で‘ティッタ!’と言った。軍人やモーの人達はちょっと驚いた。歌い手はぼくに同意する合図を送った。そして、別の歌詞「フィガロ シ、フィガロ ラ・・・。」まで来た時、用心深く‘ティ’と発音した。 ―― 彼がこんな風にしてくれて、ぼくは嬉しかった。

お金を集めて回りながら、彼はぼくのところにもやって来て、言うのだった。(ここでは土地の言葉を使わないでおく。)「よくご存知の愛好者の方にお目にかかれて光栄です・・・。ばたしはトリノのじゅっしんで、トリノでは‘シ’と発音します。あなたはローマかナポリで、‘ティ’という発音をお聞きになったのでしょうか?」

「その通りです!・・・ で、ヴェニスの女性は?」

「彼女は9時に登場予定です。その間に、私がカチューシャを踊ります。この若いご婦人がパートナーですので、ご紹介させていただきます。」

カチューシャは悪くなかった。でも、踊りはちょっとばかり古めかしいスタイルだった・・・。最後に、メリノの髪の女性が姿を現した。二つの房が額に置かれ、角のように立っていた。 ―― 彼女のふさふさの髪でショールを作ることもできただろう。多くの旦那は、妻の髪が原材料になれば、喜んだことだろう。服の代金を加工の手間賃だけにすることができるのだから。

彼女の顔は青白く、整っていた。そして、カルロ・ドリシの乙女達を思い出させた。ぼくはその若い女性に聞いてみた。「アナタハ ヴェニスウマレ デスカ?」彼女はこう応えた。「シニョール シー。」

もし彼女が「シー、シニョール」と言っていたら、ぼくは彼女がピエモンテ州かサヴォワ州出身ではないかと疑っていただろう。でも、明らかに、チロル地方に近い山岳地方のヴェニス出身の女性。指がすらっとし、足は小さく、手首足首はほっそりしている。目はほとんど赤といってよく、羊の優しい目のよう。 ―― 声もまさに、強めにメーメーと鳴いている感じ。髪は、もし髪と言ってよければだが、櫛で強くとかしても伸びなかっただろう。紐の束みたいで、ちょうどヌビアの女たちがバターで塗り固めた風だった。しかし、肌はひどくくすんだ白で、かなり明るい‘栗色’の髪をしているので(ポスター参照)、ぼくが思うに、混血だった。―― 黒人 ―― 例えばオセロのような ―― がヴェニスの典型的な人と結ばれ、数世代を経て、こうした地方の産物が発見されるのだろう。

スペイン女性の方は、明らかにサヴォワ地方かオヴェルニュ地方の出身で、モンタルド氏と同じ。

ぼくの物語はここで終わる。「真実とは、起こりうることだ。」デュフォンジュリ氏が言ったようにね。 ―― ヴェニス女、モンタルド氏、スペイン女、ファゴット弾きの物語を話すこともできた。ぼくが二人の女性のどちらかに夢中になり、芸人とかファゴット弾きとのライヴァル関係のため、びっくりする出来事に巻き込まれるという想像をすることもできる。 ―― しかし、真実はといえば、そうしたことは何もなかった、ということになる。もう言ったように、スペイン女は足が貧弱。メリノの女がぼくの気を引いたのは、タバコの煙の雰囲気とビールを飲んだせい。ビールはぼくにドイツを思い出させた。 ―― その見物は、いつもの習慣やたぶんこうなるという情愛に委ねておこう。

ぼくが疑っているのは、ファゴット弾き。若くて、かなりほっそりしている。髪が黒くて、メリノの髪をした女の関心を引かないことはないだろう。

22.行程

ぼくは読者の皆さんに、モーに来た本当の理由を説明していなかった・・・。告白すると、この地方にいて何もすることがない。 ―― フランス人はいつでも全てのことに関して理由を知りたがるので、今こそそれを明らかにする時だ。 ―― 友だちの一人で、 ―― クレイユのレモネード屋 ―― 以前は怪力を使った見世物をしていて、今は引退し、暇な時に狩りに熱中している男がいる。彼が、数日前に、オワーズ川の岸でカワウソ狩りをしないかと誘ってくれたのだった。

クレイユに北回りで行くのはとても簡単だった。しかし、北方鉄道は路線がひどく折れ曲がり、瘤のようで、クレイユに着く前に大回りをしないといけない。クレイユで、リール行きの鉄道とサン・カンタンの鉄道が交わっている。そこでぼくはこう思った。モーで乗り換え、ダマルタン行きの汽車に乗る。それから歩いてエルムノンヴィルの森を横切り、ノネット川に沿って行くと、三時間歩けば、サンリスに着く。そこまで行けば、クレイユ行きの電車がある。パリに戻る時は、喜んで一番‘長い道程’を選ぶ。 ―― つまり、北方鉄道。

結局、ダマルタンの汽車に遅れたので、別の交通手段を見つけないといけなかった。 ―― 鉄道のシステムは、途中にある地方を繋ぐ駅馬車を混乱に陥れた。パリの北に位置する地方の巨大な一帯が、直通で繋がる手段を奪われたのだ。 ―― 鉄道だと、右に40キロ、あるいは左に72キロ行かないと、モーにたどり着かない。その後、町と町をつなぐ馬車で2時間か3時間かけ、目的の所に行く。前だったらそこに行くのは4時間だった。

トリム伍長が空中に描いた有名な螺旋でさえ、あちこちに行かないといけない鉄道ほど気まぐれではなかった。

モーではこんな風に言われた。「ナンテゥーユ・ル・オドゥアンの馬車は、エルムノンヴィルから4キロのところに着くので、後は歩くしかありません。」

モーから遠ざかるにつれて、メリノの髪の女とスペイン女の思い出が、彼方に広がる靄の中に消えていった。ファゴット弾きから一人を奪い去るとか、もう一人をテノールのダンサーから奪い去ることは、たとえうまくいったとしても、自分の心の狭さを十分に示す行動になっていただろう。それほど、彼等は礼儀正しく、チャーミングだった。 ―― そんな虚しい試みは、ぼくはひどく困惑させていただろう。もう考えるのは止めよう。 ―― ぼくたちはひどい天気の中、ナンテゥーユに到着する。森を横切るのは不可能だった。個人的に馬車を雇うにしても、道が悪くて危険を伴うことは、十分にわかっている。

ナンテゥーユは高低がある村で、注目するものといって、今はもう存在しないお城だけだった。ホテルで、ここから出る方法を聞いてみると、こんな答えが戻ってくる。「クレピ・アン・ヴァロワ行きの馬車が2時に来るので、それに乗ってください。寄り道にはなりますが。でも、今夜のうちには、別の馬車で、オワーズ川の岸まで行けるでしょう。」

カワウソ狩りを見るために、まだ10キロもある。モーに残り、芸人やヴェニス女、スペイン女と気持ちよく一緒にいた方が簡単だった!・・・

23.クレピ・アン・ヴァロワ

3時間後、ぼくたちはクレピに着く。町の門は巨大で、18世紀趣味の戦勝記念の飾りが乗っかっていた。教会の鐘楼は細く上に伸び、六角形に刻まれ、透かし模様が入っていた。スワソンの古い教会の鐘楼と同じだ。

8時まで、町と町をつなぐ馬車を待たないといけなかった。午後は天気がよかった。ヴァロワ地方の古い町の美しい周辺の景色とか、今建設中の市場の大きな場所を見物した。建物はモーの様式だった。ここはもうパリではないけれど、まだフランドルでもない。一つの教会が、数多くのブルジョワっぽい家々ですぐにそれとわかる町内に建てられていた。 ―― 太陽の最後の光線が古い聖堂の正面をバラ色に染めているのを見た後、ぼくは反対側にある町内に戻ってきた。不幸なことに、そこに残っているのは教会の後陣だけ。塔や正面の飾りはたぶん14世紀に遡る。 ―― 近くにいる人たちに、どうして今風の教会を作り、こんなに綺麗な建物を復元しようとしないのか尋ねてみた。

「それは、」と誰かが言う。「ブルジョワたちは別の町内に家を持っているからです。だから、古い教会の方に来ないといけないのは厄介なんでしょう。・・・もう一つの教会は、彼等の近くにできることになっています。」

「実際に、」と僕は言う。「すぐ近くに教会があれば便利です。 ―― でも、昔の信者だったら、古くて素晴らしい教会堂に行くために、二〇〇歩先を見ないなんてことはなかったでしょう。今は全てが変わってしまいました。神の方から信徒たちに近づかないといけないんです!・・・」

24.監獄で

ぼくは今まで、不便なことも、ひどく恐ろしいことも、何も言ってこなかった。夜になって来たので、馬車の停留所に行く方がいいと思った。また30分待たないといけなかった。 ―― 時間つぶしに、夕食を注文した。

とても美味しい食事を終え、ちょっと頼み事をするために振り返った。すると、警官が見えた。警官はぼくにこう言った。「証明書は?」ぼくは威厳を持ってポケットの中を探す。・・・パスポートはモーに残してきた。ホテルの台帳に記入するために要求されたからだった。 ――― 翌朝、取り戻すのを忘れていた。フロントの可愛い女の子に僕は清算を頼んだのだけれど、彼女もぼくと同じように、パスポートを返すことを考えなかった。「だったら!」と警官が云う。「市長閣下のところまでご同行願います。」

市長だって! それがまたモーの市長だったら? しかし、今度はクレピの市長だ! ―― もう一人の市長だったらもっとお手柔らかだっただろう。

「どちらから来たのですか。」「モーです。」「どこに行くのですか。」「クレイユです。」「目的は?」「カワウソ狩りです。」「警官が言うように、身分証明書をお持ちでないのですか。」「モーに忘れてきました。」

ぼく自身、この返事は全然満足いくものではなかった。市長は保護者のような口調でこう言う。「だったら、逮捕ということになります!」「私はどこで寝ることになるのですか。」「監獄です。」

「なんてことだろう。よく寝られないかも。」

「それはあなたの問題。」

「私が一人か二人警官を自費で雇い、私をホテルで保護するというのはどうでしょう。」

「そんな習慣はありません。」

「18世紀にはそうしていました。」

「今はそうはしません。」

ぼくは警官の後を、結構暗い気持ちでついて行った。

クレピの監獄は古かった。ぼくが連れていかれた地下は、十字軍の時代のものだった。ローマ時代のコンクリートで壁が丁寧に塗り替えられていた。

こんな豪華なものに腹が立った。鼠を育てるとか、蜘蛛と仲良くなった方がよかったくらいだ。――「湿気がありますか。」と、ぼくは牢番に尋ねる。――「全然。とても乾いています。補修してからは、どなたも不平はおっしゃいませんでした。妻がベッドの準備をいたします。」――「申し訳ありませんが、私はパリジャンです。ベッドはとても柔らかめがいいのですが。」「羽根の敷布を二つにします。」「夕食を最後まですることはできないのでしょうか。警官がポタージュの後、途中で止めさせたのです。」「ここには何もありません。でも、明日になったら、お望みのものを買ってくるようにします。この時間、クレピではみんな寝てしまっています。」「8時30分にですか。」「今は9時です。」

牢番の奥さんが地下の牢獄に、ベルトを十字に掛けたベッドをしつらえた。だぶん、ぼくが気前のいい人間だと思ったのだろう。羽根の敷布のほかに羽根掛けもあった。そのおかげで羽根に包まれた状態だった。

25.もう一つの夢

ぼくは2時間弱苦しい夢を見ていた。 ―― もう善意に溢れた小さな土の精たちではない。 ―― 汎神論的生き物たちは、ドイツの土地で生まれたので、もうぼくを完全に見捨ててしまっていた。逆に、ぼくは法廷に出廷していた。その法廷は深い影の奥の方に描き出され、下の方にはスコラ哲学的な埃がたまっていた。

裁判長はニザール氏になんとなく似ていた。二人の陪席裁判官は、クーザン氏とギゾー氏に似ていた。 ―― 二人ともぼくの昔の先生だった。今はもう昔みたいに、彼等の前で、ソルボンヌ大学の試験を受けるのではない・・・。もっと重大な罪を下されようとしていた。

テーブルの上に載っているのは、イギリスやアメリカの雑誌が何冊か。イラスト入り配本もたくさんあった。4ペンスとか6ペンスのやつ。エドガー・ポー、ディケンズ、アインスワース等の名前がぼんやりと見えていた。三人の姿は、青白く、痩せていて、法廷の机の右側に立っていた。サテンの地にラテン語で印刷された博士論文で体が覆われている。そこに書かれているのは次の文字だと思った。‘叡智’、‘倫理’、‘文法’。 ―― 三人の亡霊の訴追人は、ぼくに向かって、軽蔑的な言葉を投げかけた。「‘ファンタジスタ’! ‘リアリスト’!! ‘エッセイスト’!!!」

非難するいくつかのフレーズは理解できた。パタン氏の身体組織のように思われる組織を使って言葉にされたフレーズ。「‘リアリスム’から罪までは一歩しかない。なぜなら、罪というのは本質的に現実的なものなのだ。‘ファンタジー主義’はまっすぐに怪物崇拝につながる。‘エッセイ主義’は、ニセの才気気取りを、牢獄の湿った藁の上で腐らせる。最初にポール・ニケを訪れる。 ―― 次に、角をはやしメリノの髪をした女を熱愛する。 ―― 最後は、クレピーで逮捕される。ふらふらと放浪したため、そして極端な吟遊詩人主義のためだ!・・・」

ぼくは反論しようとした。ルキアノスやラブレー、エラスムス、もっと別の古典的なファンタジスタを引き合いに出した。 ―― そんな風にすると、自分が見栄っ張りになったように感じた。

泣きながら、叫んでしまった。「‘告白’!・・・、‘誓い’!・・・」 ―― ぼくは、ソルボンヌ大学や学士院から断罪された本にはもう手を出さないと誓う。これから書くとしたら、歴史、哲学、文献学、統計学にする・・・。でも、疑われているようだ・・・。それだったら! 美徳に溢れた田園小説を書き、詩や道徳の賞を狙い、奴隷制度反対の本、子ども用の本、教育的な詩を書くようにする。・・・ 悲劇だ! ―― 悲劇!・・・ これから一つ朗読してもいい。中学の時に書いたもので、今思い出が蘇ってきている・・・。

亡霊たちは、ぶつぶつ言いながら消え去ってしまった。

26.教訓

深い夜! ぼくはどこにいるんだろう。監獄の中だ。

なんと不用心なことだ! 「町の鍵」というイギリスの記事を読んだために、こんなところまで来てしまった・・・。これからは、野原の鍵を見つけるのが義務だ!

鍵穴がきしみ、横棒が音を立てた。牢番がぼくに、よく眠れたか尋ねた。「とてもよく眠れました。とてもよく。」礼儀正しくないといけない。

「ここからどうやって出られるのですか。」

「パリに手紙を書くんですね。それで身元照会がいい方向に向かえば、3、4日のうちには・・・。」

「憲兵さんと話せますか。」

「担当の方がすぐに来ます。」

憲兵が入って来た時、神様のように見えた。彼が言う。「あなたは運がいい。」「どんな訳でですか。」「今日はサンリス行きの馬車がある日。検事のところに出頭できます。さあ、立って。」「サンリスにはどうやって行くのですか。」「歩いてです。20キロですから、何でもありません。」「わかりました。でも、雨が降ったら・・・。二人の憲兵さんに囲まれて、ぬかるんだ道を歩くんですよね。」「馬車に乗ることもできます。」

実際、ぼくは馬車に乗らないといけなかった。11フランのちょっとした出費。自費で出した2フランの独房代金。合わせて13フラン。何という運命だろう!

でも、二人の憲兵はとても愛想がよかった。道すがら、とても気が合い、この地方で宗教戦争の時代にあった戦いの話をした。モンテピロワの塔が見えるところまで来た時、話はとても悲壮なところにさしかかった。戦いの様子を生き生きと描き、畝に横たわる軍人たちの中隊を数え上げた。 ―― 憲兵二人は、5分ほど立ち止まり、塔を見た。ぼくは、当時の要塞がどのようなものだったのか、説明した。

歴史! 考古学! 哲学! 何かしら役に立つものだ。

歩いてモンテピロワの村まで上って行かないといけなかった。村は森の中に位置していた。そこで、クレピの立派な憲兵が、サンリスの憲兵にぼくを引き渡し、こう告げた。「馬車の荷台には「二日分のパン」が入っています。」 ―― 昼食を希望するかと、親切な様子で質問された。 ―― 「申し訳ありませんが、私はイギリス人みたいなんです。パンはあまり食べません。」 ―― 「そうですか! 人間、慣れるものです。」

今度の憲兵は、前の二人ほど愛想がよくないようだった。一人が私に言った。「もう少し規則を満たさないといけません。」彼は私に手錠を掛けた。ちょうど、アンビギュ座のヒーローに手錠を掛けるみたいに。そして、二つの南京錠で手錠を閉めた。「おやおや」とぼくは言う。「どうして手錠を閉めるのが、ここなんですか。」「あちらでは、憲兵は馬車にあなたと一緒に乗っていました。でも、私たちは馬に乗っています。」

サンリスに着くとぼくたちは検事のところに行ったが、ぼくはこの町ではよく知られていたので、すぐに釈放された。憲兵の一人がぼくに言った。「今回のことで、次の時、パスポートを忘れたらどうなるか、教訓になりますよね。自分の県の外に出るときの話ですが。」

読者へのお知らせ。 ―― ぼくは間違っていた・・・。検事はとても礼儀正しかった。他の人たちも同じだった。行き過ぎだと思うのは、監獄と手錠。でも、こんなことを書いたからといって、今の社会で起こっていることを批判しているわけではない。ずっとこんなだった。今回の出来事をこうして物語るのは、他のことに関しても同様だけれど、この点について進歩してほしいと思っているからだ。 ―― もしぼくが世界の半分を駆け巡り、アラブ人、ギリシア人、ペルシャ人たちと商隊宿やテントで一緒に過ごした経験がなかったら、モーからクレイユに行く短い旅程の間だけのことでも、眠りはたぶんもっと掻き乱されていただろうし、目覚めも悲しいものだっただろう。

言うまでもないが、カワウソ狩りには、到着が遅すぎた。友だちのレモネード売りは、狩りの後、クレルモンに行き、お葬式に立ち会った。彼の奥さんがぼくにカワウソの剥製を見せてくれた。ヴァロワ地方で取れた動物や鳥のコレクションの一部で、イギリス人に売ろうと思っているものだ。

以上が、10月の三日間の夜の忠実な物語。この三日のおかげで、ぼくはあまりにも絶対的なレアリスムの過激な部分を矯正できた。少なくとも、そう期待する理由は十分にある。

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