
散文詩集『パリの憂鬱』に収められている「時計(L’Horloge)」は、猫の目を見つめて時間を知るというエピソードから、愛する女性の瞳の中で発見される不思議な時間へと展開する詩。
最後に詩人自身によって、それが恋愛詩であると告げられる。
詩人が愛する猫(女性)の中に見つける時間がどのようなもので、その詩がなぜ愛の告白になるのだろうか。
L’HORLOGE
Les Chinois voient l’heure dans l’œil des chats.
Un jour un missionnaire, se promenant dans la banlieue de Nankin, s’aperçut qu’il avait oublié sa montre, et demanda à un petit garçon quelle heure il était.
Le gamin du céleste Empire hésita d’abord ; puis, se ravisant, il répondit : « Je vais vous le dire ». Peu d’instants après, il reparut, tenant dans ses bras un fort gros chat, et le regardant, comme on dit, dans le blanc des yeux, il affirma sans hésiter : « Il n’est pas encore tout à fait midi. » Ce qui était vrai.
時計
中国人は、猫の目の中に時間を見る。
ある日、一人の宣教師が南京の近郊を歩いている時、腕時計を忘れたことに気づき、一人の男の子に、何時か尋ねた。
天の帝国の少年は、最初、ためらった。次に、考え直し、こう答えた。「すぐにお伝えします。」 しばらくして、再び姿を現した時、腕にとても大きな猫を抱いていた。そして、猫をじっと見つめ、ためらうことなく言い切った。「まだ正午ぴったりにはなっていません。」本当だった。

この話は、エヴァリスト・ユック神父(le Père Évariste Huc)が1854年に出版した『中国帝国(L’Empire chinois)』の中のエピソードに基づいている。
神父達が農家の近くを歩いている時、たまたま一人の中国人に時間を尋ねた。その時、曇っていて太陽が出ていなかった。そこで男は家に猫を探しに行き、神父達に猫の目を見せながら、「まだ正午にはなっていない。(Il n’est pas encore midi.)」と言う。
そのエピソードの後、合理的な説明が付けられる。
猫の目は、正午に近づくにつれて細くなり、正午には一本の髪の毛のように縦長に細くなり、その後は再び広がる。
ボードレールの散文は、神父のエピソードの要約だといえるほど簡潔な印象を与える、単純な散文で記されている。
le céleste Empire(天の帝国)は中国を指すときに普通に使われる。
regarder dans le blanc des yeux(じっと見つめる)という表現も、comme on dit(よく言われるように)とボードレール自身が言うように、決まった言い方。
散文詩として、特別な文体が使われるのではなく、あえて平凡な文で語られている。
Pour moi, si je me penche vers la belle Féline, la si bien nommée, qui est à la fois l’honneur de son sexe, l’orgueil de mon cœur et le parfum de mon esprit, que ce soit la nuit, que ce soit le jour, dans la pleine lumière ou dans l’ombre opaque, au fond de ses yeux adorables je vois toujours l’heure distinctement, toujours la même, une heure vaste, solennelle, grande comme l’espace, sans divisions de minutes ni de secondes, — une heure immobile qui n’est pas marquée sur les horloges, et cependant légère comme un soupir, rapide comme un coup d’œil.
私も、美しいフェリーヌ(猫)の方に身をかがめることがある。その素晴らしい名前は、女性の誉れ、私の心の誇り、私の精神の香りだ。夜だろうと、昼だろうと、光のただ中だろうと、暗い闇の底だろうと、私にはいつでもはっきりと時間が見える。常に同じ時間。空間のように広大で、堂々とし、巨大な時間。分によっても、秒によっても分割されていない。 ーー 不動の時間。時計板の上で印が付けられてもいず、ため息のように軽い。眼差しを一つ投げかけるように素早い。

前節の平凡な文体の文から、フェリーヌという言葉をきっかけにして、一気に文体的な効果が高い文へと移行する。
フェリーヌ(Féline)という名前の元になるのは、félin。猫を意味する形容詞。従って、フェリーヌという名前は、美しい猫を指すと考えることもできる。
そのフェリーヌに対して、まず3つの属性が与えられる。彼女の性(son sexe)、つまり女性、その誉れ(honneur)。
詩人の心(mon cœur)にとってのプライド(orgueil)。
精神(mon esprit)の香り(parfum)。
この3つの属性は徐々に現実的な指示対象が不明になる。言葉が現実の何かを指し示すよりも、言葉そのものが自立し、その意味は読者に委ねられる。
現実に会話している場面で、「美しい猫が私の精神の香り」と言われたとしたら、どのように理解していいのか迷うだろう。
言葉の自立性を高めながら、詩人は、より本質的な謎かけをする。
中国のエピソードでは、猫の目に映った時間は、時計によって示される時間、正午少し前だった。
詩人がフェリーヌの中に読み取る時間は、時計の時間とは別の時間。
そのことは、時計の文字盤に記されていないこと(n’est pas marquée sur les horloges)、分や秒で分割されていない(sans divisions de minutes ni de secondes)という表現で、誰にもわかるように示されている。
では、常に同じ(toujours la même)で、巨大で(vaste , grande)、堂々とし(solennelle)、軽く(légère)、素早い(rapide)時間とは、何なのか。
Et si quelque importun venait me déranger pendant que mon regard repose sur ce délicieux cadran, si quelque Génie malhonnête et intolérant, quelque Démon du contre-temps venait me dire : « Que regardes-tu là avec tant de soin ? Que cherches-tu dans les yeux de cet être ? Y vois-tu l’heure, mortel prodigue et fainéant ? » je répondrais sans hésiter : « Oui, je vois l’heure ; il est l’Éternité ! »
私の目がこの甘美な時計の文字盤の上に置かれている間に、迷惑な奴が私を邪魔しに来たり、不誠実で不寛容な「精霊」や間の悪い「悪魔」が、私にこう問いかけるかもしれない。「そんなに一生懸命何を見ているのだ。そやつの目の中に何を探しているのだ。時間を見ているのか、時間を浪費し怠惰に過ごす死すべき人間よ。」そんなことがあれば、私は躊躇うことなく答えるだろう。「そう、時間が見えている。「永遠」がある!」
ボードレールは、表現を韻文詩で使う言葉に近づけ、フェリーヌの瞳を「この甘美な時計の文字盤(ce délicieux cadran)」と呼ぶ。
さらに、精霊(Esprit)や悪魔(Démon)など、現実を超えた存在を登場させる。
そのようにして、「瞳の中に何を見ているのか」という平凡な問いを、超自然な(surnatural)次元の問いへと引き上げる。
それら全ての文体上の工夫は、最後の言葉、「永遠(l’Éternité)」に達するための仕掛けにほかならない。
猫の中に見つけた神秘的な時間、それは永遠なのだ。
その直前、人間を超えた存在(精霊、悪魔)が、人間を死すべき存在(mortel)と呼んでいた。
その死すべき存在が、猫の目をじっと見、そこに永遠を読み取る。そのことで、見つめている間だけは不死の存在(immortel)になることを暗示していると考えると、次に続く愛の告白の意味が理解できる。
N’est-ce pas, madame, que voici un madrigal vraiment méritoire, et aussi emphatique que vous-même ? En vérité, j’ai eu tant de plaisir à broder cette prétentieuse galanterie, que je ne vous demanderai rien en échange.
愛する人よ。ここにあるは愛の唄マドリガーレではないでしょうか。実際に愛に値し、あなたご自身と同じほど激しい唄。実のところ、私はもう十分に楽しんで、この気取った愛の言葉に刺繍を施したので、あなたから何もお返しをいただこうと願いはしないつもりです。

マダム(Madame)は、美しいフェリーヌ(la Belle Féline)に対する呼びかけ。
彼女の目をじっと見つめ、永遠を読み取ることは、時計盤の上の針で示される外的な時間を忘れる、つまり夢中になって時を忘れることを意味する。
時を忘れることは、我を忘れることでもあり、最高の幸福を意味する。
この詩は、最高の幸福を与えてくれる女性に捧げた愛の唄(Madrigal)であり、その女性からの愛に値する(méritoire)詩ではないかと、詩人は女性に問いかける。

散文詩「時計(L’Horloge)」では、愛する女性に、我を忘れて猫を見ている時の幸福感を伝えることで、恋愛詩が構成されている。
猫好きの人なら誰でも、猫の瞳に永遠を見、その間だけでも心安らぐ幸福感を感じるだろう。
ボードレールは、その幸福感を、あなたを見つめている時にも感じると歌う。