日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。
室内の内部を見通すことができるのは、「吹抜屋台」と呼ばれる技法によって、屋根を描かないから。
そのお陰で、私たちは、女三の宮の住まいの内部をのぞき込んでいるような印象を受ける。そして、当時の住居の建築様式である「寝殿造り」の大きな特色に気づく。
寝殿造りの建造物は母屋と庇からなるが、外周に壁は少なく、周囲に柱があるだけで、内側には柱は無い。
室内を区切るのは、障子(現代の襖にあたる)や屏風である。
こうした建築様式は、温帯湿潤気候な気候の地域に適したものといえる。
そうした気候では、気温ではなく、湿度をコントロールすることが生活環境を快適にするために重要なことであり、家の中の風通しをよくすることが重要となる。

そのことは、ヨーロッパの建築物と比較するとよくわかる。
ヨーロッパの気候は一年中比較的乾燥し、生活環境は、湿度よりも、気温によって左右される。
従って、住居は壁でしっかりと囲い、室内の温度を保つことに重点が置かれる。
ロマネスク様式の教会を見ると、壁中心の建造物であることが一目で見て取れる。ほぼ全てが壁といってもいいほどの建物。
こうした建物の内部は、外部の空間からしっかりと遮断され、内と外の区別が明確になされている。

それに対して書院造りの建物では、壁が少なく、風が吹き抜けやすい構造になっている。
内部と外部の境目はそれほどはっきりとせず、壁の代わりに簾がかけられるだけということもある。
壁中心の建物は、内部の空間を、外に広がる自然から切断し、人間を自然の脅威から保護する役割を果たすことが目的とされた。
それに対して、壁で内部と外部を区切らない寝殿造りの建物では、内部空間は外部の自然との繋がりを保っている。
室内と外部の自然とのつながりを美と感じる感性をよく味わうことができるのは、後の時代の建造物になるが、桂離宮だろう。
室内から外の空間を見る時、素晴らしい自然の光景のように見える庭園の光景が広がる。


日本人にとって、こうした美はごく当たり前に感じるかもしれない。
しかし、ロマネスク様式の建造物では、この眺めを想像することさえできないことに気づくと、日本的感性がいかに自然と人間の調和を重視しているかがわかってくる。
室内から見える光景は、自然そのものではなく、庭園の草木と池。しかし、そこに人工的なものを感じない。
平安時代の庭園に関する基本資料である『作庭記』は、造園の秘伝書として読み継がれてきた。
その中で最も重視されるのは、自然の風景をできるかぎり真似ることだった。
生得の山水をおもはへて、その所々は、ここそありしかと思ひよせよせ、たつへきなり。『作庭記』
生得の山水とは、自然本来の姿であり、それをああだった、こうだったと思い返しながら、石を立て、庭を作っていくことが肝心という教え。
後になると、「人のたてる石は、生得の山水には、まさるべからず。」とあり、人工は自然に劣ると記される。
自然の風景は、どんなに優れた人工的な再現よりも上であることを認めた上で、できるかぎり自然に近い風景を作ることが、庭園の理想であったことがわかる。


こうした庭園造りは、人間が自然の上に立ち、自然を思いのままにコントロールするフランス式庭園とは正反対の精神に則っている。
その対照は、一目見ただけで明らかである。

ヴィランドリー城の完璧といっていいほど整えられた庭と、その後ろに広がる森の光景は、人口と自然の断絶をはっきりと示している。
逆に、日本の庭園では、自然をそのまま再現することが理想の姿だった。

日本的な意識では、人間は「生きとし生けるもの」の一つであって、人間以外の存在と断絶し、それらの上に立つ存在ではない。
人間は、自然の中で自然と共に生き、時間の流れに生の動きを感じ、美を見出す。
そうした精神性が、寝殿造りの住居と庭園にも流れている。