日本の美 平安時代 その6 やまと絵

寝殿造りの住居の仕切りには、屏風や障子が使われたが、その上には絵が描かれていた。
9世紀半ばには、絵のテーマとして、日本的な風景を描いたものも現れ始める。それらは『古今和歌集』に載せられる和歌と対応し、屏風の絵の横に、和歌が美しい文字で描かれることもあった。

例えば、素性法師が竜田川を歌った和歌の前には、次のような詞書が置かれている。

二条の后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れ
るかたをかけりけるを題にてよめる

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 
紅深き 波や立つらむ 

秋の葉の深い紅の色に心を奪われて、葉が流れ最後に行きつく河口では、波も深紅になっているだろうと歌う。
詞書からわかるように、素性法師は実際の風景を見たのではなく、屏風に描かれた竜田川の絵を題として、この和歌を詠んだ。

逆に、屏風絵の作成の際、どのような絵にするかに合わせて歌人を選び、題に相応しい和歌を作らせた上で、画工が絵画にすることもあった。
その場合には、画面の一角に色紙形という一角を作り、課題となった歌を書き込むことがあった。その際、能書家を選び、筆で描かれた文字自体が鑑賞の対象になるような、美しい文字が描かれた。

平安時代には、歌と絵と書が連動し、時には屏風を背に雅楽の演奏などがあったかもしれない。それらは総合芸術であり、貴族達は非常に限定された宮廷社会の中で、耽美的な生活を送ったと考えられる。

唐絵からやまと絵へ

奈良時代、屏風に描かれる絵は、大陸伝来のモチーフを模倣したものだった。空想的で大規模な山水画であり、風景の中に描かれた人物や鳥獣も仙境を思わせた。
9世紀半ばを過ぎた頃から、そうしたモチーフに日本的な要素が加わり、山並みは日本的な穏やかなものになり、人も動物も日本的になっていく。

中国の代表的な山水画には、人の住む地とは断絶した急峻な山々が林立し、岩石、河川、樹木などが、神仙思想を思わせる峻厳な雰囲気を漂わせている。

郭煕、早春図

やまと絵は、画風の面では唐絵とさほど違いはないが、描く対象は、貴族たちが日々の生活の中で目にしたであろう京都付近の山並みとなった。それに合わせて山等の形も円やかで、筆致も柔和になっていった。

唐絵からやまと絵への移行を示す興味深い例は、2枚の代表的な仙水屏風。
東寺の山水屏風(11世紀後半)に描かれた家屋や人物の服は、大陸風に描かれている。

東寺 山水屏風

草堂の中で詩作にふけっているのは詩人の白楽天。馬と共にいるのは、詩人を訪れる貴公子とそのお供の者達だと考えられ、みんな唐風に描かれている。

他方、風景を見ると、切り立ち峻厳な自然ではなく、神秘性を感じさせない穏やかな自然の姿が描かれている。その方面では、日本化が進んでいる。

それから100年後、12世紀後半に描かれたとされる神護寺の山水屏風。
ここで描かれる家屋や人物は、もはや中国風ではない。

神護寺の山水屏風では、風景だけではなく、家屋は寝殿造り、人々の服も日本の装束で描かれ、全てが日本化されている。

11世紀の半ばに建造された平等院鳳凰堂の内部の壁に描かれた来迎図は、仏画ではあるが、風景画としてはやまと絵の特色を備えている。

九品来迎図 復元模写

ここには、中国の自然環境を反映した、神仙的で超自然な雰囲気を漂わせる、地形の厳しさや、高くそびえ立ち、彼方へと続く無限の奥行きを感じさせるものはない。

山々は穏やかな丸みを帯び、川の流れも穏やかで、人を寄せ付けない自然とは正反対の、親しみのある自然を思わせる。
この壁画のモチーフは、阿弥陀如来が25人の菩薩を従え、白雲に乗ってその死者を迎えに下り、死者を極楽浄土に連れていくという来迎図。
しかし、日本の来迎図は、仏画でありながら、地上的である。

風景は宇治のあたりを描いたのではないかとされ、さらに、四季の景物が描き込まれていることである。
北側扉の春の風景では、薄く雪をかぶった州や、枯れ草、山桜、青草などが見られる。

中品上生図 春

夏には、水の流れに沿って柳や山寺、滝など。

上品下生図 夏

南側扉の秋の風景では、山の中の鹿や、秋の草が見える。

下品上生図 秋

時間を超越した神仙的な風景ではなく、それぞれの季節を配した季節が描き出されていることは、日本的な感性にとって、季節の変化がいかに大きな役割を担っていたかを教えてくれる。
四季は、移り代わることで生命の流れを感じさせると同時に、毎年巡ってくることで永劫回帰=永遠を密かに暗示しもする。

西洋絵画の視点

ルネサンス以降の西洋絵画は、透視遠近法で代表される構図によって示されるように、2次元の画布の上に3次元の空間を再現することが基本であった。
その際、遠近法の消失点と対応する一人の人間の視点を中心に、空間はバランスよく広がり、ルネサンスの時代であれば、左右対称で、均整の取れた空間配置が行われた。
その典型として、ラファエロの「アテネの学堂」を挙げることができる。

完璧な一点透視図法に基づき、画布の中央に消失点が置かれ、その手前にプラトンとアリストテレスが左右にバランスよく配置されている。
その中心から、左右対称に空間が広がり、人物象が多少のヴァリエーションを与えられながら、しかし完全のバランスを持って描かれる。
この絵画は中心がはっきりと定められ、左右対称で、均整の取れた構図が明確であり、人間の理性によって幾何学的な計算の上に描かれているといえる。

さらに言えば、消失点の反対側にあるはずの一つの視点=人間の目は、描かれた映像に対して超越的な位置にあり、人間が世界から独立し、特権的な地位を占めていることも理解出来る。
「アテネの学堂」の哲学者たち(描かれた人物)の世界と、それらを見ている(描いている)ラファエルの世界とは別の次元にあり、ラファエロは画面に対して特権的な地位にあるということができる。
その関係は、神と人間の関係と並行関係にある。

こうしたヨーロッパ的な視線から日本のやまと絵を見ると、まず最初に、絵画に中心点がないことに気づく。

醍醐寺 山水屏風(15世紀)

画面全体に多少の遠近は感じるものの、奥行きが一つに集中する点がなく、全体に広がっていて、どこが中心なのかわからない。
描かれている家屋にしても、山にしても、草にしても、中心になるところがない。
画面全体の構図に左右対称はなく、全体的な均整を保とうという意図は皆無である。

鳳凰堂の来迎図を見ても、浄土から下る阿弥陀如来の一団が画布の中心を占めることはなく、「アテネの学堂」のプラトンとアリストテレスのように、見る者の注意を一点に集める存在ではない。
従って、如来を中心にして人物や事物が均衡を保ち、左右に広がってはいない。
一つの統一的な視点がないために、左右対称もなければ、場面全体のバランスもない。

逆に、どこにも中心がないということは、場面場面でどれもが中心になりうるということでもある。
一つの山を描く時には、一つの視点を設定する。その視点はその場面だけのものであり、別の場面では別の視点が設定される。
そして、それらが何の手続きもなしに、ごく自然に並列される。
全てを統一する超越的な視点ではなく、場面毎に視点が設定され、異なった視点から描かれた二つの場面は、違和感なく並置される。

それは空間だけに留まらず、時間=季節に関しても、春の隣に夏、夏の隣に秋といったように、区切りが明確ではないまま続いていく。

やまと絵のこうした特色は、超越性を持たず、その場、その時に密着した、現世中心主義的な日本的心性を過不足なく表現している。

その後、『源氏物語絵巻』に代表される絵巻物の中でも、現世主義的な嗜好は日本的な心性の本質として、しっかりと引き継がれていく。(続く)


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