外国語学習 日本語とは違う世界観を知る

フランスでフランス人と話してるとき、すぐに答えられない質問をされることがある。
例えば、「神戸に住んでいる。」と言うと、「東京から何キロ離れているのか?」と質問されたりする。
もう一つよく質問されるのは、「最初にフランスに来たのはいつ?」
その際には、10年くらい前とか、曖昧な答えしかいえない。

フランス人に同じ質問をすれば、「神戸と東京間は約500キロ」とか、「最初は2012年。」とか、きっちりした答えが戻ってくる方が普通。

こうした違いは何を意味し、そのことから、どんなことがわかるのだろうか。

1)話者(私)の位置

日本に暮らしているとき、神戸が東京から何キロ離れているのか考えることはあまりない。聞かれれば、「かなり遠い」とか答えるだろう。
しかし、フランスにいると、よく「何キロ?」という質問をされる。
その違いは、どこにあるのだろうか?

「遠い。」と言う場合には、今私がいる場所、あるいは私が住んでいることを前提に考え、近いか遠いかを判断する。
しかも、近いか遠いかは、主観的な基準による。

それに対して、約500キロと言う場合には、話者である私とは何の関係もなく、地図上の基準があり、客観的に距離を言うにすぎない。
答える話者に知識があるかないかの問題であり、主観が入る余地はない。

初めてパリに来たのはいつかと問われ、「2012年」と答える日本語母語者は少ない。むしろ、「かなり前」とか「何年か前」とか言うのが普通の反応だろう。

2012年と言う場合には、カレンダーに則り、誰がいつ言ったとしても同じ答えになる。
「かなり前」という場合には、その会話が行われている時点を出発点にして、答える人間(私)の主観で、「かなり前」とか「数年前」とか言っていることになる。

500キロとか2012年と答える時、話者は、「自分のいる地点・時点とは無関係に」、空間上・時間上の基準に基づき、言葉を発している。
それに対して、遠いとか数年前という答えだと、話者は「自分のいる場所・時間を前提にして」、主観的に判断していることになる。

もう一歩進んで考えると、話者が話をする内容に関して、話者の存在が前提になる場合と、話者の存在がカッコに入れられ、客観的な視点に基づいている場合があることになる。

文章があれば、必ず話し手あるいは書き手がいる。
そのことは、どんな言語でも変わらない。
もし日本語と、英語やフランス語と違いがあるとすると、次の様に考えることができるだろう。

日本語では、文章の話し手、書き手の視点が文章の中に常に存在していて、そこから離れることはない。
それと対応するように、文の聞き手、読み手の視点もそこにある。
こう言ってよければ、話し手と聞き手はお互いに知っている同士の関係にあり、文がどのような状況を前提にしているのか了解している。

英語やフランス語では、文章の中に話し手、書き手の視点があるのは同じだが、個人的な視点から離れた視点ーー時空間の基準に基づいた視点ーーから語られることもある。
そこで、基本的には、文の話し手・書き手と聞き手・読み手は状況を共有しないことが前提とされ、一般的な時空間の基準に基づき、個別の状況を知らなくても理解できる文を構成することが基本になる。

こうした違いから、私たちが英語やフランス語を学習するときのポイントが見えてくる。

2)構文

英語を勉強し始めた時、SVOCの習得に苦労した覚えはないだろうか。
最初はなかなか理解できない理由、そして、理解しないといけない理由は何だろう。

日本語は、話し手と聞き手が同じ状況を共有し、お互いにわかっていることを前提にしているため、最低限の言葉を言うだけでコミュニケーションが成立する。

「食べる?」ーー「うん、おそば。」
「いい臭い。」ーー「きれいだしね。」

主語も動詞も目的語も、絶対に必要というわけではない。
極端に言えば、「あうんの呼吸」がコミュニケーションの理想であり、何も言わなくてもわかり合える関係が好ましい人間関係だとさえ考えられる。

それは、お互いが状況を共有し、何を話題にし、何をするのかなど、多くのことはわかった上で、「未知の要素だけを口にすれば意図が伝達できる」という原則に立って言葉を使っているからだ。

それに対して、英語やフランス語では、状況を共有していない人間同士が言葉によって意図を伝えるという前提に立っている。そのために、「誰が・何を・する」のかということを、一回一回明確にすることが基本になる。

その際の、最小の組み合わせは、主語+動詞。
フランス語では、主語の違いによって動詞の語尾が変化する「活用」があり、主語と動詞の結合の強さが形の上でも示される。(je suis, tu es, il est)
(ドイツ語、イタリア語などでも同様。ラテン語では、代名詞の主語はなくても、人称によって動詞は変化する。)
英語では、動詞の語尾変化は少ない。しかし、三人称単数にはsがつき(I go. he goes)、主語の違いにより動詞の形が変化することのあることが確認できる。

主語+動詞の構文なしで、単に単語だけで済ませることができる場合は、お互いが目の前にいて、その単語を口にしただけで通じるとわかっている時だけだということになる。

3)自動詞と他動詞

関係が非常に近い者同士の共同体の中にいると、個は集団の中に溶け込み、全ての出来事が「自然に推移する」ことが好まれる。
それに対して、他者との距離があることを前提にした集団の中では、何かが起こるためには、「事物に対する働きかけ」が求められる。

この違いは、自動詞表現を好む日本語と、他動詞表現が主流の英語・フランス語に反映しているのではないかと考えられる。

風が強いので、ドアが開いた。(自動詞)
強い風がドアを開けた。(他動詞)

日本語では、自動詞表現の方が自然。他動詞表現は「翻訳調」に感じられる。

日本語と英語・フランス語の違いは、自動詞と他動詞の見分け方にも関係している。
日本語では、自他の違いは、動詞そのものによる。
「開く」は自動詞。「開ける」は他動詞。
目的語の有無は関係がない。

それに対して、英仏語では、目的語の有無が自他の区別を決定する。

The door opened. (自動詞)
The wind opened the door. (他動詞)

動詞(opened)の形はまったく同じで、目的語の有無が自動詞か他動詞を決める要素になっている。

日本語では構文は重視されず、単語だけ発すれば意味が通じる前提がある。そこで、目的語があろうとなかろうと、動詞だけで自動詞か他動詞かわかるようになっている。

I opened.
英語を学習し始めた頃、I opened.という文を作り、先生から何かが欠けていると言われても、すぐにはピンとこなかった理由がそこにある。
日本語であれば、すでにドアの話題であることが前提で、「私が開けました。」だけで、文として成立する。
英語だと、I opened.だけだと自動詞表現になり、「私が開いた。」という意味不明の文になってしまう。
何をしたのか、動詞が働きかけをする目的語(ドア)まで言わないと、「開ける」という他動詞にならない。

他動詞表現が多く使われる英語・フランス語では、主語・動詞・目的語(SVO)までを含め、全ての要素が構文を構成するために必要とされる。省略はできない。
目的語を省略すると、意味が変わってしまうか、意味不明の文になってしまう。
その点でも、日本語との違いは大きい。

4)代名詞

日本語では、代名詞はあまり発達しなかったと考えられる。

例えば、彼・彼女という三人称の人称代名詞は、明治時代に使われ始めたと言われているが、現在でも、彼や彼女は、恋人という特別な意味を持ち、彼の「彼女」とあたかも固有名詞のように使われたりもする。

一人称単数の私には様々な言い方があり、英語のIやフランス語のjeを訳すとき、私、ぼく、俺など、どの言い方を選ぶかで、文体が変わってしまう。

二人称のyou, tu, vousに関しても、日本語で一対一対応する言葉はない。
日本で、話す相手に対して、「あなた」という代名詞を使える場面は限られている。「君」に関しても同じこと。

フランス語の初級クラスでは、tu=君、vous=あなたと教えることがあるが、現実の場面ではほとんど対応することがない。

日本語では、話す相手、話す状況などに応じて、繊細に関係性を読み取り、それに応じて、自分や相手を指す言葉を選び、言葉遣いを微調整している。
そのために、自分のことはいつでもIやje、相手はyou, tu, vousで済ませられる言葉とはまったく違う。

相手を呼ぶ時のもっとも簡単で安全な呼び方は、役職で呼ぶこと。
家庭の中では、最も小さな子供の視点からの呼び方をみんなが使う。夫婦でさえ、相手を「お父さん、お母さん」と呼び合う。父が祖父を「おじいちゃん」と呼ぶ。
学校に行けば、先生のことは「先生」と呼ぶ。先生に向かって、英語であれば、you、フランス語であればvousと呼べても、日本語で「あなた」とは言えない。

その一方で、「こそあど」は、英語やフランス語よりも細かく規定されている。
英語では、it、もう少し細かくなると、this, that.
日本語では、「ここ」と「あそこ」の間に「そこ」の区別が加わる。
話し手である「私」との関係で、近・中・遠を細かく分類することは、文の中に常に話し手と聞き手がいることが前提になっている、主観的な言語表現の特色だといえる。

英語やフランス語では、代名詞の第一の役割は、構文の維持にあるといえる。
先ほど検討したように、文に主語は必要条件であり、すでにわかっているからといって、省略することはできない。SVは文の最小単位。

さらに、目的語の有無は動詞が自動詞か他動詞かを決定する要素となり、他動詞の場合には必要不可欠な要素となる。その場合、最小単位はSVO.

The wind opened the door.
The wind opened it.

日本語であれば「風が開けた」と言うだけで文として成立していると考えることも可能。
しかし、英語では、The wind opened.だけは「風が開いた」という意味不明の文になってしまう。意味を維持するために、目的語は必要不可欠な要素である。
その時、話し手と聞き手がドアという情報を共有しているのであれば、the doorという単語を反復するのではなく、「名詞の代用」として代名詞 itを使用することで、情報量を減らしながら、構文を維持することができる。

フランス語の場合には、情報量の大きい要素は文の後ろに置く傾向が強いために、会話者の二人がすでに共有している情報量の小さな要素=代名詞は、動詞の前に置くことになる。

Le vent a ouvert la porte.
Le vent l‘a ouverte.

このように、代名詞の役割が、英語やフランス語と日本語ではかなり違っている。

もう一人の私の形成

こうした考察を通して見えてくるのは、日本人が英語やフランス語を学習する際の難しさが、言語間の本質的な違いに由来しているということ。
その一方で、違いを意識することが、日本語とは違う世界観、感受性、思考法を学ぶことにつながる。
そのことは、実用性以上に重要なことだと言ってもいいだろう。

外国語を学ぶことで、私の中にもう一人の私が誕生する。
それが、外国語学習の第一の意義だろう。


外国語学習 日本語とは違う世界観を知る」への2件のフィードバック

  1. Suki Maw 2020年7月6日 / 12:36 午後

    Bonjour,

    興味深い内容で、共感する部分も非常に多かったです。フランス語を日本語、そして英語も合わせて考えてみると、 他にも数えきれない程気付くことがあります。「フランス語 = (単に) 意思疎通に必要な道具」ではなく、奥が深いですね。

    有難うございました。

    Suki Maw, Londres

    いいね: 1人

    • hiibou 2020年7月6日 / 12:59 午後

      お気付きになることがありましたら、ぜひお知らせ下さい。

      いいね

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