やまと絵と水墨画の統合 安土桃山時代

狩野元信『四季花鳥図』大仙院方丈障壁画、部分

室町時代の後半、幕府の力が衰え、戦国時代が到来する。その群雄割拠の中から、織田信長、豊臣秀吉が登場し、天下統一を成し遂げた。
彼等の活動した安土桃山時代、日本は空前の金銀のラッシュが起こり、芸術の世界でも、背景が黄金色の襖絵や障子画が今はなき安土城等の内部を飾った。

こうした室町時代の末期から安土桃山時代にかけて、美術の世界では、平安時代から続くやまと絵の伝統と、鎌倉時代に大陸からもたらされた禅宗と伴に移入された水墨画の伝統が、融合・統一された。

一方は、優美でありながら、儚さに基づく「あはれ」の感情に基づく抒情的の美。もう一方は、禅的な無を核とする余白の美。
一見すると矛盾するその二つの美意識を統合することで、どのような美が生まれたのだろうか。

室町時代末期

日本各地の名所絵は、やまと絵の伝統的なテーマであったが、能阿弥作と伝えられる「三保松原図」は、墨で描かれ、水墨画との融合が図られた作品である。

伝能阿弥、三保松原図 

水墨画でありながら、わずかに金泥が用いられ、大気の穏やかな光が感じられ、漢画の水墨画とは異なる印象を生み出している。

伝統的な水墨画とは違いを知るために、雪舟の「天橋立図」を見てみよう。こちらは、日本の風景でありなながら、中国の力強い大自然の様子を思わせる。

雪舟、天橋立図

この「天橋立」は、切り立った山や横に伸びた街の様子などを見ても、現実そのままを写生したものではないことがわかる。
場面全体の厳密な構成、墨の濃淡、線の太さや細さを使い分け等によることで、大自然の力強いエネルギーを描き出し、「造化の真」を捉えるという水墨画の精神を見事に表現している。

それに対して、能阿弥作とされる「三保松原図」は、明確な画面構成によって全体が統合されているのではなく、全体が平面的。一つの中心に焦点が集約されず、薄い黄金の大気が全体を覆い、描かれたもの全てが等しく存在している。筆致も柔らかく、静かな抒情をたたえている。
こうした「三保松原図」は、色彩を捨象することで対象の本質に迫る水墨画としての側面と、平面的な画面が穏やかな詩情を醸し出すやまと絵の特質を合わせ持っている。

次に、狩野元信の「四季花鳥図」を見てみよう。
この絵画では、水墨画のテーマであった花鳥図に彩色が施されている。

狩野元信、四季花鳥図、大仙院方丈障(部分)

襖8面を使って描かれた大画面の中で、花鳥を通して、四季の風景が描かれている。
中国の花鳥図では、四季が一つの絵画に同時に描かれることはなく、四季の移り変わりを同時に描くのは、やまと絵の特色である。

全体は墨絵でありながら、花鳥には彩色が施され、非常に鮮やかな印象を生み出している。それは、水墨画とやまと絵を融合した効果に他ならない。

中国の鳥である小綬鶏(こじゅけい)を描いた部分では、厳格な画面構成だけではなく、岩の尖った様や、主題化された二羽の鳥の主観的な感情表現など、水墨画的な要素が強い。

この部分では、見る者の目は、自然に、中央に位置する雄の小綬鶏へと向かう。つまり、画面には中心が設定され、そこに主題が置かれている。

他方、左手の、細い枝にとまる庭の鳥の場面では、焦点がなく、枝、小さな花、水に潜る一羽の鳥等、全てが同等の価値を持って描かれている。そのために画面に奥行きがなく、やまと絵の特色で装飾性が強く感じられる。
その一方で、画面の大部分は何も描かれていない空間で満たされ、余白の美が生まれている。

このように見てくると、狩野元信が、水墨画とやまと絵の融合を図り、新たな美へと大きな一歩を踏み出したことがわかってくる。

元信の「四季花鳥図屏風」は、金地に極彩色の金碧画。安土桃山時代の絵画の先駆けとなることを告げている。

狩野元信 四季花鳥図屏風

右側には、松・桜・紅梅・牡丹、孔雀、鷺・雀・鶉などが描かれ、春から夏にかけての変化を現す。
左側には、紅葉した楓、その下に雪をかぶる笹や岩。秋から冬の移り変わりが表現されている。

こうした金碧濃彩の絵画は、信長や秀吉が天下を統一し、彼等の権力を誇示する道具として使われた、安土桃山時代の絵画の先駆けだといえる。

安土桃山時代 黄金の輝き

安土桃山時代は、空前の金銀ラッシュがあり、背景全体を金箔で覆い尽くし、豪華金襴たる襖絵や障壁画が描かれた。

この時代を代表する画家の中で最大の存在は、狩野永徳。
彼の「檜(ひのき)図屏風」からは、戦国武将たちのエルギーに満ちた躍動感が発散している。

狩野永徳、檜図屏風

金箔が敷き詰められた地面や空を背景にして、画面の中央を占めるのは檜の大木。太い幹をうねらせ、大枝を振りかざし、青い水に向かって力強く進んでいく。

この大木が動物になっても、印象は変わらない。
「唐獅子図」では、力強く堂々とした雌雄2頭の唐獅子が、金色の雲の間を闊歩する姿が描かれている。

狩野永徳、唐獅子図

地面全体に金箔が敷き詰められ、画面の中央を占めるのは、堂々とした唐獅子の姿。体には斑点状の模様が施され、黄金の雲と色彩を抑えた硬質な質感の岩、画面左側の葉のついた小枝等は、写実的であるよりも、装飾的に感じられる。

この絵から色を抜き、墨絵のようにしてみよう。

画面構成や獅子の主題化という面では水墨画的であるが、平面的で装飾的なところはやまと絵的といったように、二つの絵画の流れを融合していることがわかる。

狩野永徳に匹敵する画家といえば、長谷川等伯が挙げられる。
智積院の「楓(かえで)図」は、永徳風の構図に則りながら、より繊細な草や花が付け加えられている。

長谷川等伯、楓図(智積院)

楓の大きな幹が中央を占め、枝葉を力強く左右に広げる様は、永徳の「檜図屏風」を思わせる。その一方で、紅葉し始めた楓と、根元に彩られた草花が色鮮やかに描かれ、繊細で優美な印象を生み出している。

長谷川等伯の「松林図屏風」は、日本水墨画の最高傑作と言われる。

長谷川等伯 松林図(右隻)
長谷川等伯 松林図(左隻)

先に見た能阿弥作と伝えられる「三保松原図」と同じように、大陸由来の水墨画とは大きく異なっている。
厳密な画面構図はなく、朧気な雰囲気の中に、数本の松が朧気に立っている。
柔らかく、繊細で、「あはれ」な様子は、やまと絵の儚く優美な様を思わせる。
伝統的な水墨画の余白の美と、やまと絵的な「もののあはれ」の美とが一つになった、日本的水墨画の傑作と言っていいだろう。

長谷川等伯は、「余白」に「あはれ」を感じる「松林図」の精神を、金碧濃彩の絵画においても失ってはいない。
「松に草花図」の画面は巨大な幹で占められ、背景には金泥が施されている。しかし、そうした要素を取り去り、花や草の表現だけを見れば、やまと絵的ともいえる。

長谷川等伯、松に草花図(智積院)

ここから色彩を取り去ると、次のようになる。

金箔は時代のニーズに合わせたものであり、確かに豪華に飾り立てる印象を与える。しかし、その背後には余白の美が秘められていると考えることもできるだろう。

狩野永徳の「四季花鳥図」の「春」の部分は、構図の面では「檜図屏風」と同様に、巨大な檜が中心を占め、背景には金泥で塗り尽くされている。

狩野永徳、四季花鳥図(聚光院)

力強い梅の幹、真っ直ぐに伸びる凛とした枝、繊細で優美な水の流れ等、自然全体が力強く表現されている。また、梅の枝にとまる二羽の鳥の表情も素晴らしい。

この障子絵を白黒にすると、印象は全く変化する。

空前の金銀ラッシュがあり、「弥勒の世の到来」と讃えられた時代、黄金の輝きに満ちた屏風絵や障壁画が数多く描かれ、街並みを描いた洛中洛外図も黄金に満たされた。

狩野永徳、洛中洛外図(左)

こうした黄金の美は、黄金を取り去れば余白の美になる可能性がある。
そのことは、平安時代の華やかな美と、鎌倉時代の移入された禅宗と伴に受容された余白の美が、安土桃山時代に至って融合されたことを示している。

日本的な美が、簡素でありながら優美、装飾的でありながら精神性を合わせ持つ理由は、「二つの美の流れが一つの表現に統合された」ことによると考えてもいいのではないだろうか。

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