
17世紀前半、デカルトは、「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」と述べ、「考える(penser)私」の中心にある「理性(raison)」が人間の本質であるとした。
https://bohemegalante.com/2020/05/13/descartes-discours-de-la-methode-1/
その時代以降、理性を中心とした思考法が重視されるようになり、18世紀には知識によって人々を照らすことを目指す啓蒙思想が発展し、科学の進歩が人類の幸福につながると考えられる時代になった。

そうした流れの中で、17世紀後半から18世紀前半に活躍したフォントネル(1657ー1757)は、批判的な精神を発揮し、それまで権威の言うがままに信じてきてきたことを、理性的な思考によって見直そうとした。
『神託の歴史(Histoire des Oracles)』(1687)では、古代の神々への信仰(異教)で語られる超自然な出来事、神秘や奇跡を取り上げ、それらが幻影(illusion)にすぎないことを証明しようとした。
ここでは、第4章で語られる、「黄金の歯(dent d’or)」に関する批判を読んでみよう。
Que les histoires surprenantes qu’on débite sur les oracles doivent être fort suspectes.
神託に関して語られる驚くべき物語は、ひどく疑わしい。
出だしから、結論が断定される。
「神託(oracle)」、つまりシャーマンや巫女を通して伝えられた神の言葉は、「非常に怪しく(fort suspecte)」、信じるに値しない。
次に、その理由と、理性的思考の基礎が簡潔に記される。
Il serait difficile de rendre raison des histoires et des oracles que nous avons rapportés, sans avoir recours aux démons ; mais aussi tout cela est-il bien vrai ? Assurons-nous bien du fait, avant que de nous inquiéter de la cause.
悪魔に頼らないと、私たちがこれまで語ってきた物語や神託に打ち勝つのは難しいだろう。しかし、そうしたもの全ては、真実なのだろうか。原因を心配する前に、事実をしっかり確かめよう。
ここで最も重要なことは、「事実(le fait)」を確認すること。
理性的思考においては、あるがままの事実を「観察(observation)」し、さらに進めば、「実験(expérimentation)」によって確認すること。その2つが、真実を知るための方法となる。
理性による検証が行われる以前には、人々は原因を追及せず、権威の言うがままに、超自然な現象を信じてきた。
奇跡があると言われれば、本当はそれが起こらなかったとしても、何らかの原因を作り出し、本当にあるように思い込んできた。
どんなにたわいない迷信も、昔から信じられてきた。
そうした中で、人々が神託を信じないようにするには、実際には存在しない悪魔(démon)の名前を出して、恐れさせることくらいしかなかったのかもしれない。
フォントネルはもちろん悪魔の存在も否定しているために、神託に、「打ち勝つ(avoir raison des orables)」のは「難しい(il serait difficile)」という文の動詞を条件法にしている。悪魔に頼ることは、現実にはありえない前提なのだ。
こうして、結論と証明の方法(事実の確認)を簡潔に記した後、実際の例を提示する。
« En 1593, le bruit courut que, les dents étant tombées à un enfant de Silésie âgé de sept ans, il lui en était venu une d’or à la place d’une de ses grosses dents. Horstius, professeur en médecine dans l’université de Helmstad, écrivit, en 1595, l’histoire de cette dent, et prétendit qu’elle était en partie naturelle, en partie miraculeuse, et qu’elle avait été envoyée de Dieu à cet enfant pour consoler les chrétiens affligés par les Turcs ! Figurez-vous quelle consolation, et quel rapport de cette dent aux chrétiens ni aux Turcs !
1593年、次の様な噂が流れた。シレジアに住む7才の子供の歯が落ちた時、一本の大きな歯の代わりに、黄金の歯が生えた。1595年、ヘルムシュタット大学の医学部教授ホルスチウスがその歯に関する話を書き、ある程度は自然なことであり、ある程度奇跡的なことだと主張した。その歯は神によって子供に送られたのであり、それはトルコ人たちによって苦しめられていたキリスト教徒たちを慰めるためだった、というのである!
まず、子供に黄金の歯が生えたという噂が流れる。
すると、その理由あるいは原因が学者や専門家によって考え出され、ここでは神による恩寵だとされる。
En la même année, afin que cette dent d’or ne manquât pas d’historiens, Rullandus en écrit l’histoire. Deux ans après, Ingolsteterus, autre savant, écrit contre le sentiment que Rullandus avait de la dent d’or, et Rullandus fait aussitôt une belle et docte réplique. Un autre grand homme, nommé Libavius, ramasse tout ce qui avait été dit de la dent, et y ajoute son sentiment particulier. Il ne manquait autre chose à tant de beaux ouvrages, sinon qu’il fût vrai que la dent était d’or. Quand un orfèvre l’eut examinée, il se trouva que c’était une feuille d’or appliquée à la dent, avec beaucoup d’adresse : mais on commença par faire des livres, et puis on consulta l’orfèvre. »
同じ年、ルランデユスがそれに関する話を書き、そのために黄金の歯について語る歴史家たちが次々に出てくることになった。2年後、インゴルステテルスという別の学者が、黄金の歯に関するホルスチウスの感情に反対することを書いた。ホルスチウスは、すぐに、それに対する博学で立派な反論をした。リバヴィウスと名乗る別の偉大な人間が、その歯に関して語られた全ての事柄を収集し、そこに彼独自の見解を付け加えた。数多くの素晴らしい著作に別の著作が続いた。ただし、歯が黄金であることが真実とは証明されなかった。1人の金銀細工師が調べてみたところ、金箔が歯に非常に巧みに付着していることがわかった。しかし、人々はまず本を書き、次に金銀細工師に意見を求めたのだった。
事実は、歯に金箔が付いているだけのことだった。しかし、その事実を確認せずに、推測をし、次々に推論を重ねていく。
奇跡とか神託で語られる出来事は、事実に基づいていないことを、フォントネルは、このような事例を下に説明していく。
その際、推論を提出する人々を、医学部教授(professeur en médecine)から始め、歴史家(historiens)、別の学者(autre savant)、偉大な人間(grand homme)とし、書かれた書物に関しても、博学で立派な反論(une belle et docte réplique)、素晴らしい著作(beaux ouvrages)等と、アイロニーに飛んだ表現が用いられている。
真実を発見するのは、こうした権威ではなく、1人の職人、金銀細工師(orfèvre)なのだ。
この挿話の最後に、フォントネルは次の様な結論を下す。
Rien n’est plus naturel que d’en faire autant sur toutes sortes de matières. Je ne suis pas si convaincu de notre ignorance par les choses qui sont, et dont la raison nous est inconnue, que par celles qui ne sont point, et dont nous trouvons la raison. Cela veut dire que, non seulement nous n’avons pas les principes qui mènent au vrai, mais que nous en avons d’autres qui s’accommodent très bien avec le faux.
あらゆる種類の事柄に関して、こうしたことが起こるほど自然なことはない。私が自分たちの無知を自覚するのは、存在するけれど原因を知らないこと以上に、存在しないのに原因を知っていることを通してである。つまり、私たちは、真実に繋がる原則を持たないだけではなく、偽りと協調する原則を持っているのだ。
フォントネルは、二つの状態を想定する。
一つは、ある出来事の原因や理由を知らないと思っていること。
もう一つは、それを知っていると思っていること。
そして、往々にして、分からないと自覚していることは実際にあることであり、その反対に、知っていると思っていることは実際には存在していない。
無知であることの自覚は、知らないと思うこと、疑うことから始まり、そこから事実を確認することになり、真実へと繋がる。
反対に、知っていると思い込んで、信じていることを何も疑わずにいると、無知の自覚がないまま、偽りを信じ続けることになる。
18世紀的な批判精神とは、無知の自覚から出発して、事実を確認することに基づいている。
その際、想像力に惑わされるのではなく、理性による検証が必要となる。
合理主義精神に基づき、事実を観察し、科学的な精神で事実を検証すること。
黄金の歯の挿話を読むだけで、フォントネルが、理性の光によって人々の無知を照らすという「啓蒙の世紀(Siècle des Lumières)」の始まりを告げる思想家であることを、理解することができる。