ボードレール 午前1時に Charles Baudelaire À une heure du matin 詩人ボードレールの生の声

ボードレールは、いつでも虚勢を張り、人を驚かせるダンディスムを身に纏っている。それほど、彼の詩句はいつでも格好いい。
しかし、時には一人になり、他人の目を意識しない時には、弱音が出ることもある。

外でさんざん虚勢を張った後、小さなアパートの部屋に戻る。疲れ果てて一人でいると、ふと本音が出てしまう。
「午前1時に(À une heure du mation)」からは、そんなボードレールの生の声が聞こえてくる。

 Enfin ! seul ! On n’entend plus que le roulement de quelques fiacres attardés et éreintés. Pendant quelques heures, nous posséderons le silence, sinon le repos. Enfin ! la tyrannie de la face humaine a disparu, et je ne souffrirai plus que par moi-même.

 やっと! 一人だ! 聞こえてくるのは、もう、夜も遅くなり疲れ果てた馬車の走る音だけ。何時間かは静かでいられるだろう。心が安まるわけでないとしても。やっとだ! 人間の顔の横暴が消えた。苦しむとしたら、もう、私自身によるだけ。

「人間の顔の横暴(tyrannie de la face humaine)」というのは、外にいると、見たくもない顔を無理にでも見ないといけないし、避けたいとしてもどうしようもない、という状態。
自分の部屋に戻れば、やっとそうした人々から解放され、話したくもない話をしなくてもよくなる。朝になり、再び外に出て、人の顔を見るまでの間は、静か(silence)でいられる。

もちろん、そんな時でも、心が完全に「安まる(repos)」わけではない。
何も考えずにいられればいいのだが、どうしても、昼にあったことを考えてしまう。
物理的には人との接触はない。それでも、頭には昼間の出来事が浮かぶ。
一人の時に「苦しむ(souffrir)」ことがあるとすれば、それは「自分自身のせい(par moi-même)」なのだ。

それでも、やはり、現実に人と直面している時と、一人でいる時は違う。
ボードレールは、「やっと!(Enfin)」、「もう・・・しかない(ne … plus que)」という表現を二度繰り返すことで、その違いを明確にする。
そのことで、外での鎧を脱ぎ、弱い自分の本音を出すことが可能になる。

 Enfin ! il m’est donc permis de me délasser dans un bain de ténèbres ! D’abord, un double tour à la serrure. Il me semble que ce tour de clef augmentera ma solitude et fortifiera les barricades qui me séparent actuellement du monde.

 やっとだ! 闇の湯船で寛げる!まず、二重にドアの鍵を回す。そうして鍵を回すと孤独が深くなり、バリケードを補強するように思える。そのバリケードが、今、私を外の世界から切り離してくれる。

お風呂に入って寛ぐ感覚は、日本人なら誰でもすぐにわかる。ボードレールは、湯船にお湯ではなく闇をはり、灯りをつけず暗い部屋全体を湯船のようにする。そこでやっと寛ぐことができる。

誰も入ってこないように、部屋に鍵をかける。2重に鍵を回すというのは、フランスの鍵のシステムで、しっかりと鍵を閉めるときには、二重に回す。
そうすることで、外の世界との接触がより遮断され、一人の世界に浸ることができる。

そんな風にして、やっと寛ぐことができる。
と、昼間の出来事が思い出されてくる。
「自分自身によって苦しむ(souffrir par moi-même)」のは、やっと寛ぐことができ、自分自身に気を許す時。
一気に、昼の映像が押し寄せてくる。

 Horrible vie ! Horrible ville ! Récapitulons la journée : avoir vu plusieurs hommes de lettres, dont l’un m’a demandé si l’on pouvait aller en Russie par voie de terre (il prenait sans doute la Russie pour une île) ; avoir disputé généreusement contre le directeur d’une revue, qui à chaque objection répondait : « — C’est ici le parti des honnêtes gens, » ce qui implique que tous les autres journaux sont rédigés par des coquins ; avoir salué une vingtaine de personnes, dont quinze me sont inconnues ; avoir distribué des poignées de main dans la même proportion, et cela sans avoir pris la précaution d’acheter des gants ; être monté pour tuer le temps, pendant une averse, chez une sauteuse qui m’a prié de lui dessiner un costume de Vénustre ; avoir fait ma cour à un directeur de théâtre, qui m’a dit en me congédiant : « — Vous feriez peut-être bien de vous adresser à Z… ; c’est le plus lourd, le plus sot et le plus célèbre de tous mes auteurs, avec lui vous pourriez peut-être aboutir à quelque chose. Voyez-le, et puis nous verrons ; » m’être vanté (pourquoi ?) de plusieurs vilaines actions que je n’ai jamais commises, et avoir lâchement nié quelques autres méfaits que j’ai accomplis avec joie, délit de fanfaronnade, crime de respect humain ; avoir refusé à un ami un service facile, et donné une recommandation écrite à un parfait drôle ; ouf ! est-ce bien fini ?

 おぞましい生活! おぞましい街! 今日したことをまとめてみよう。数人の作家と会った。そのうちの一人は私に、ロシアには陸の道で行くことができるのかと尋ねた。(その男はたぶんロシアを島だと思っているのだ。) 雑誌の編集長と寛大に言い争った。編集長は、こちらが一つ反論する度に、「— ここは誠実な人間の集まりなんだ。」と答えた。要するに、他の雑誌は全てろくでなしどもによって編集されているという意味だ。二十人くらいの人間に挨拶したが、15人は知らない人間だった。同じ位の比率で握手もしたけれど、疥癬をうつされないように用心しなかった。にわか雨の間、時間を潰すために大道芸でアクロバットをする女の家に行ったら、彼女からヴィーナスぽい絵を描いて欲しいと頼まれた。劇場の支配人のご機嫌を取りに行くと、やつはぼくを追い払いながらこう言った。「Z…に声をかけるといいかもしれない。。。彼はこの劇場の作家の中で一番愚鈍で、一番アホで、一番有名だ。彼と組めば、君もたぶん何かできるかもしれない。彼に会ってみなさい。その後はどうなるかはまたの機会に。」自分が決してしなかった幾つかのつまらないことを、(なぜかわからないのだが)自慢した。大喜びでした悪事を卑怯にもしていないと言い張った。ホラをふく罪とか、人に対する敬意を欠く罪とかだ。ある友だちにはすぐにできる手助けを断り、完全に変な奴にはアドヴァイスを紙に書いて渡してやった。やれやれ! これで終わりだろうか?

Fantin Latour, Hommage à Delacroix

一つ一つの出来事はどうでもいいことで、大きな意味はない。ボードレールも、普通の人と同じように、仕事のために人に会い、おべっかを使うこともあれば、ちょっとした噓をついてみたり、親切にしたり、相手を不快にする行動を取ることもある。
外見を繕おうとすればするほど、思い出すとうんざりすることが多くなるのは自然なことだろう。

私たちは一人でいても、決して孤独にはなれない。
物理的には誰もいないのだが、しかし、頭の中や心の中には、色々なイメージが浮かんでくる。
今日あったばかりの人のこともあれば、ずっと昔にあった人も出てくる。今日の自分の行動が浮かんでくることもあれば、過去の行動が何の脈絡もなく思い出されることもある。

ボードレールは、自分が外の世界ではダンディであろうと無理をしている。だからこそ、内面の世界では、自己イメージに追いつかない自分に苦しむことになる。
外の世界を「おぞましい(horrible)」と口に出し、相手を悪く思ったとしても、それらは全て彼自身がイメージする他者であり、もっと言えば、彼自身の反映でもある。

そんな孤独の中で自分自身によって苦しめられる時、思わず本音が漏れてくる。
その時、詩人ボードレールの生の声が聞こえる。

 Mécontent de tous et mécontent de moi, je voudrais bien me racheter et m’enorgueillir un peu dans le silence et la solitude de la nuit. Âmes de ceux que j’ai aimés, âmes de ceux que j’ai chantés, fortifiez-moi, soutenez-moi, éloignez de moi le mensonge et les vapeurs corruptrices du monde, et vous, Seigneur mon Dieu ! accordez-moi la grâce de produire quelques beaux vers qui me prouvent à moi-même que je ne suis pas le dernier des hommes, que je ne suis pas inférieur à ceux que je méprise !

 みんなに不満であり、私自身に不満。だからこそ、夜の静寂と孤独の中で、自分を立て直し、少しだけ自分にプライドを持ちたい。私が愛した人々の魂よ、私が詩に歌った人々の魂よ、私を強くしてください。私を支えてください。偽りと世界を堕落させる靄を私から遠ざけて下さい。そして、あなた、私の神様! 私に数行の美しい詩句を作り出す恩寵をお恵み下さい。私が人間の中でも最低の人間ではなく、軽蔑している奴ら以下の人間ではないと、自分自身に証明できるような詩句を!

昼間に人と接している時、ボードレールは決して人に頼ろうとはしないだろうし、決して弱みを見せようとはしないだろう。
しかし、夜の孤独の中で、彼は弱い自分を自覚し、祈りを捧げる。

Gustave Courbet, Portrait de Charles Baudelaire

その祈りの内容は、決して美しいものとは思われない。
「美しい詩を生み出す(produire quelques beaux vers)」という「神の恵み(grâce)」を与えて欲しいというのは詩人として当然のこと。
しかし、その美しい詩句によって、自分が「最低の人間ではなく(le dernier des hommes)」、「軽蔑している人間以下の人間ではない(pas inférieur à ceux que je méprise)」ことを証明したいという言葉は、あまりにも赤裸々に本心を明かしているように感じられる。

しかし、その赤裸々さが、逆にボードレールの人間としての弱さを伝えている。
もし美しい詩が書けなければ、自分が最低の人間かもしれない、軽蔑している人間以下の人間かもしれないと思ってしまう。外では虚勢を張るダンディスムの詩人が、内心では自分に自信が持てず、「私の神(Seigneur mon Dieu)」に祈りを捧げる。
そのギャップから、上に向かいたいという強い「憧れ(aspiration)」が生まれ、ボードレールの詩の抒情性が生じる。

「午前1時に」は、ボードレールの生の声が聞こえる美しい散文の詩句で綴られている。
読者は、彼にも弱みを見せる時があることを知り、闇の風呂に浸かりながら、自分も弱さを受け入れていいのだと、夢想に浸ることになる。

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